10.03.05
右半分のクリエイティヴ・パワー 第2回:モボモガの夢ふたたび
以前この連載で紹介した浅草の深夜対応レストラン&カフェ、「オレンジ・ルーム」と「Cuzn」が並ぶ浅草のフラワー通り(公式名称はロックフラワー通りだそう……だれも使ってないと思うが)。道路沿いに浅草出身の芸人や俳優さんたちの顔写真が飾られていて、ほかの通りとはちょっとちがう雰囲気が漂っている。
「オレンジ・ルーム」と「Cuzn」のあいだには細長い路地があって、入口に「モボモガ御用達」という怪しげな看板が掛かっている。いつも気になっていたのだが、路地奥のドアは運悪く閉ざされたまま。なかなか入店する機会がなかったのだが、今回初めて、中に入ることができた。店の名前は「東京螢堂」。分類すればアンティーク・ショップになるんだろうけれど、浅草に数ある骨董屋、古物店とはひと味もふた味もちがう、それこそモボモガ全盛の大正末期から昭和初期に特化した、ピンポイント・テイストの店なのだ。
2008年2月にオープンした螢堂のオーナーをつとめるのが稲本淳一郎さん。みずからも和装を着こなす、若き粋人である。
古物 X 現代 X 実用性 → 未来
古い物には知恵の集結、文化魂が
あります。
ここを合理化でスッパ抜くんじゃなくて、
ここベースで現代の良い部分を
合わせていけば、尚良いと思うのです。
外国のものもそれはそれで見た事も
ないので良いですが、六畳一間の
うさぎ小屋にプラスチック製のイスを
置いて座っても、ズッコケるだけです。
身土不二という言葉があるように、
土地々々の風土に見合ったものが
あるわけで……。
安かろう悪かろう、売っちまえば、
使い捨てちまえばいい! はバブリー世代
で止め、そのものの本質や必要性
を追求して、ひとつずつ置いていきたい、
まずはキッカケ作り……。
この蛍堂を通じて、見る目を養い、
自分自身も成長していきたい。
等身大の対価で食えていけたら
嬉しいです。
こう、公式ウェブサイトには「ごあいさつ」が記されている。ただ単に珍しいから、きれいだから、あるいは高いから買って、飾るのではない。ものづくりに愛情がこめられていた時代の品物を手に入れて、それを毎日の生活に取り入れることで、身もこころも豊かになっていければ、という願いがそこには籠められている。
稲本さんは神奈川県相模原市出身。もともとアンティークに興味があったわけではなく、旅行関係の専門学校に進んで、卒業後は旅行会社に就職。サラリーマン生活を送るかたわらで、デスメタル系のバンド活動にいそしむという、二重生活だった。
平日はふつうにサラリーマンしながら、バンドになるとマイクに向かって「オ゛ーッ」なんて叫んでたんですけど。それがなんだかレール敷かれてる人生みたいでイヤになって、20歳になったころにバイクに寝袋積んで、突然京都に旅立っちゃったんですね。まあ、自分探しというか(笑)。
京都に着いて、最初は浮浪者生活。それから住み込みで新聞配達とか、数十種類の仕事に就きました。最後は社交ダンスのお相手、といってもほとんどホストみたいなもんです。そうやって生活費を稼ぎながら、デスメタルに耽る日々だったんですが、あるとき「チェキラッ!」「オケラッ!」とか叫びながら思ったんです、こんなこと叫んでてもしょうがないんじゃないかって。なんで日本人なのに、英語でわけわかんないことを叫んでいるのかって。叫んでて、寒く感じちゃったんですね。そこで気がついたのが、五七五七七だとしっくりくるってことでした。
それから「日本の音楽はどこで止まってしまったのか」を研究するようになりまして。そうすると、それは滝廉太郎なんですね。それで、そこまで戻らなくてはと思いはじめたんです。
そうやって自分の感覚で良いものを探していくと、古いものに行き着くわけですが、親に聞いてもわからないんですね。戦争で、価値観が180度変わっちゃったんですよ。
「100円ショップでいいじゃん」と言うのが、戦後世代の親でしょう。戦争を境に、日本人全体が記憶喪失になってしまったんです。それで、勉強していくうちに、戻るべきは大正時代なんだと思うようになりました。江戸までさかのぼってしまうと、敷居が高いでしょ。大正時代はエログロナンセンスもあったし、いままで考えてきたすべてのことに、つじつまが合う気がしたんです。
けっきょく、京都には8年間ぐらいいました。でも、京都にいると東京に憧れてしまって(笑)。下北沢の若者文化とか、都会に吹く風とか。僕はスネークマンショーにハマった世代なんですが、ああいうオトナの文化が、東京にはあるって思っちゃったんです。帰ってきてみたら、そんなのなかったんですが……。
東京に帰るお金が貯まったので、帰ってきてからはタクシーの運転手とかしながら、高円寺に住んで、同じ志の友人と集まっては「大正ロマンの会」を開いたりするようになりました。でも知識じゃなくて、良さは体感しなくちゃわからない。絹の肌触り、カシミアのぬくもり、木造家屋の住み心地、寒さや、蚊帳を吊ったときの暑苦しさとかまで。そういう体験学習をくりかえすうちに、自分で場を作ってみるしかない、と思うようになったんです。ロマンの会の会員には、電気じゃなくて氷の冷蔵庫を使って、モガの断髪にして、なんてひともいましたしね。
場を作りたいと思いはじめてから、理想の物件と出会うまで5年ぐらいかかりました。いちど神楽坂にいい物件が出たんですが、契約直前に破談になってしまって。でも不動産屋に「結婚と不動産は追いかけるな」と諭されて、それもそうだなと。そしたら、ここが見つかったんです。
浅草は大正文化芸能の、発祥地ですよね。浅草寺があることで、パワーもありそうだし。60歳くらいになったら横浜がいいかな、とか思うけれど、いまは「大正ロマン」を探究するなら、ここですね。土着の庶民性を探るのに、とってもおもしろい土地柄なんです。「ひ」と「し」の区別のつかない人も、いまだに実在するし。「しだり(左)」とか言っているし。住んでみないとわからないですよ、浅草のおもしろさは。
ここはもともと、大正時代に野口食堂という名前で営業していた、有名な店の従業員宿舎だったようです。野口食堂は当時、日比谷公会堂の中に支店があったぐらいで、建物は3階建て、ムーランルージュみたいな電飾があって、時代の最先端を行く大食堂でした。ここがちょうど食堂の裏手に当たるんですね。でも路地の石組みとか、室内のディテールとか見ると、すごく粋なところがあって、ただの宿舎じゃなかったような感じもあります。
理想の空間に出会った稲本さんは、丸一年の時間をかけて、みずからの手で徹底的な改装を施した。その苦労の日々は自身のブログに写真つきで紹介されているが、入手時の老朽ぶりを見てしまうと、いまの店の完成度がとうてい信じられない(http://tyohotaru.exblog.jp/)。
案内されて、地下室があるとわかった時点で「ここで決まり!」と思っちゃったんですが、改装は一年間、籠もりっぱなしの作業になりました。夜中に素っ裸になって、デスメタル流しながら地下室の壁を磨いたり。『太陽にほえろ!』のテーマ曲でチェーンソー振り回したり(笑)。
それで東京に螢はいないけれど、珍しい螢が集まるような、好きな者たちが集まれるような「お堂」であるようにと、願いをこめて「東京螢堂」という名前をつけたんです。大正ロマンをキーワードにして、地下室は男性っぽく、中二階が乙女というふうに、部屋ごとに調子も変えてみました。
開店以来、店番するのも商品を仕入れるのも全部、自分ひとりでやってます。だから店を開くのは金・土・日・祝日にして、あとは仕入れの旅と、自分のための勉強時間に充ててます。美術館に行くとか。仕入れは地方に行くんですが、いろんなひとに会って、話を聞いて、町の骨董屋さんに眠っているものを発見して。そうしてまず最初、自分で身につけてみる。体感して、それから店に還元するんです。そうじゃないと、良さが実感できないですよね。ただお金のためじゃなくて、眠っている良いものを循環させて、無駄をなくしていく、それがみんなのためにいいんじゃないかと思ってるんです。
江戸とちがって、大正ならいまの時代と、まだつながりもあるでしょ。うちの店は、地元のお客さんはあまりいなくて、外国人や、いわゆる浅草好きじゃないひとも多いんですが、親子三代で来てくれるお客さんなんかもいるんですよ。娘が「このデザインすてき!」とか始めると、親が「なつかしいわねえ」と、それにおばあちゃんが「そんなの、うちにあったわよ」って言う。そんなふうに、世代がつながっていく感じがいいんです。
いま流行ってるのは、「洋ベースの和風」でしょ。日本なのに「風」なんて、おかしいですよね。そうじゃなくて、畳の上の和のベースに、洋的なものを取り入れて遊ぶ。それが本来だと思うので、ちょっと流行に逆襲したい気持ちもあります。だからというわけでもないですが、そのうちに仲間を集めて、ほんとうのカフェの復活をやりたいんですよね。銀座のライオンを借り切って、女性は着物、男性はスーツで、ダンスホールにして。男性には、女の子に触りたい気持ちがあるし、女性には男性と接することで知識を得たいという気持ちがある。そういうドキドキ感を、感じてもらう会を開いてみたいんです。
大正ロマンは大好きだけれど、つきつめすぎて日常が窮屈になるのはよくないという稲本さん。店の音楽は蓄音機にSPじゃなくて、iPodをスピーカーにつないで鳴らしているし、古風な柱時計を再生するのでも、むりにゼンマイ式にこだわるのではなく、電池式に内部を入れ替えて、利便性を保ちながら現代に甦らせる。そういうフレキシブルなこころが、ビンテージとの新しいつきあいかたを、提案してくれている気がする。
東京螢堂
東京都台東区浅草1-41-8
http://hotarudou.ocnk.net/
「オレンジ・ルーム」と「Cuzn」のあいだには細長い路地があって、入口に「モボモガ御用達」という怪しげな看板が掛かっている。いつも気になっていたのだが、路地奥のドアは運悪く閉ざされたまま。なかなか入店する機会がなかったのだが、今回初めて、中に入ることができた。店の名前は「東京螢堂」。分類すればアンティーク・ショップになるんだろうけれど、浅草に数ある骨董屋、古物店とはひと味もふた味もちがう、それこそモボモガ全盛の大正末期から昭和初期に特化した、ピンポイント・テイストの店なのだ。
2008年2月にオープンした螢堂のオーナーをつとめるのが稲本淳一郎さん。みずからも和装を着こなす、若き粋人である。
古物 X 現代 X 実用性 → 未来
古い物には知恵の集結、文化魂が
あります。
ここを合理化でスッパ抜くんじゃなくて、
ここベースで現代の良い部分を
合わせていけば、尚良いと思うのです。
外国のものもそれはそれで見た事も
ないので良いですが、六畳一間の
うさぎ小屋にプラスチック製のイスを
置いて座っても、ズッコケるだけです。
身土不二という言葉があるように、
土地々々の風土に見合ったものが
あるわけで……。
安かろう悪かろう、売っちまえば、
使い捨てちまえばいい! はバブリー世代
で止め、そのものの本質や必要性
を追求して、ひとつずつ置いていきたい、
まずはキッカケ作り……。
この蛍堂を通じて、見る目を養い、
自分自身も成長していきたい。
等身大の対価で食えていけたら
嬉しいです。
こう、公式ウェブサイトには「ごあいさつ」が記されている。ただ単に珍しいから、きれいだから、あるいは高いから買って、飾るのではない。ものづくりに愛情がこめられていた時代の品物を手に入れて、それを毎日の生活に取り入れることで、身もこころも豊かになっていければ、という願いがそこには籠められている。
稲本さんは神奈川県相模原市出身。もともとアンティークに興味があったわけではなく、旅行関係の専門学校に進んで、卒業後は旅行会社に就職。サラリーマン生活を送るかたわらで、デスメタル系のバンド活動にいそしむという、二重生活だった。
平日はふつうにサラリーマンしながら、バンドになるとマイクに向かって「オ゛ーッ」なんて叫んでたんですけど。それがなんだかレール敷かれてる人生みたいでイヤになって、20歳になったころにバイクに寝袋積んで、突然京都に旅立っちゃったんですね。まあ、自分探しというか(笑)。
京都に着いて、最初は浮浪者生活。それから住み込みで新聞配達とか、数十種類の仕事に就きました。最後は社交ダンスのお相手、といってもほとんどホストみたいなもんです。そうやって生活費を稼ぎながら、デスメタルに耽る日々だったんですが、あるとき「チェキラッ!」「オケラッ!」とか叫びながら思ったんです、こんなこと叫んでてもしょうがないんじゃないかって。なんで日本人なのに、英語でわけわかんないことを叫んでいるのかって。叫んでて、寒く感じちゃったんですね。そこで気がついたのが、五七五七七だとしっくりくるってことでした。
それから「日本の音楽はどこで止まってしまったのか」を研究するようになりまして。そうすると、それは滝廉太郎なんですね。それで、そこまで戻らなくてはと思いはじめたんです。
そうやって自分の感覚で良いものを探していくと、古いものに行き着くわけですが、親に聞いてもわからないんですね。戦争で、価値観が180度変わっちゃったんですよ。
「100円ショップでいいじゃん」と言うのが、戦後世代の親でしょう。戦争を境に、日本人全体が記憶喪失になってしまったんです。それで、勉強していくうちに、戻るべきは大正時代なんだと思うようになりました。江戸までさかのぼってしまうと、敷居が高いでしょ。大正時代はエログロナンセンスもあったし、いままで考えてきたすべてのことに、つじつまが合う気がしたんです。
けっきょく、京都には8年間ぐらいいました。でも、京都にいると東京に憧れてしまって(笑)。下北沢の若者文化とか、都会に吹く風とか。僕はスネークマンショーにハマった世代なんですが、ああいうオトナの文化が、東京にはあるって思っちゃったんです。帰ってきてみたら、そんなのなかったんですが……。
東京に帰るお金が貯まったので、帰ってきてからはタクシーの運転手とかしながら、高円寺に住んで、同じ志の友人と集まっては「大正ロマンの会」を開いたりするようになりました。でも知識じゃなくて、良さは体感しなくちゃわからない。絹の肌触り、カシミアのぬくもり、木造家屋の住み心地、寒さや、蚊帳を吊ったときの暑苦しさとかまで。そういう体験学習をくりかえすうちに、自分で場を作ってみるしかない、と思うようになったんです。ロマンの会の会員には、電気じゃなくて氷の冷蔵庫を使って、モガの断髪にして、なんてひともいましたしね。
場を作りたいと思いはじめてから、理想の物件と出会うまで5年ぐらいかかりました。いちど神楽坂にいい物件が出たんですが、契約直前に破談になってしまって。でも不動産屋に「結婚と不動産は追いかけるな」と諭されて、それもそうだなと。そしたら、ここが見つかったんです。
浅草は大正文化芸能の、発祥地ですよね。浅草寺があることで、パワーもありそうだし。60歳くらいになったら横浜がいいかな、とか思うけれど、いまは「大正ロマン」を探究するなら、ここですね。土着の庶民性を探るのに、とってもおもしろい土地柄なんです。「ひ」と「し」の区別のつかない人も、いまだに実在するし。「しだり(左)」とか言っているし。住んでみないとわからないですよ、浅草のおもしろさは。
ここはもともと、大正時代に野口食堂という名前で営業していた、有名な店の従業員宿舎だったようです。野口食堂は当時、日比谷公会堂の中に支店があったぐらいで、建物は3階建て、ムーランルージュみたいな電飾があって、時代の最先端を行く大食堂でした。ここがちょうど食堂の裏手に当たるんですね。でも路地の石組みとか、室内のディテールとか見ると、すごく粋なところがあって、ただの宿舎じゃなかったような感じもあります。
理想の空間に出会った稲本さんは、丸一年の時間をかけて、みずからの手で徹底的な改装を施した。その苦労の日々は自身のブログに写真つきで紹介されているが、入手時の老朽ぶりを見てしまうと、いまの店の完成度がとうてい信じられない(http://tyohotaru.exblog.jp/)。
案内されて、地下室があるとわかった時点で「ここで決まり!」と思っちゃったんですが、改装は一年間、籠もりっぱなしの作業になりました。夜中に素っ裸になって、デスメタル流しながら地下室の壁を磨いたり。『太陽にほえろ!』のテーマ曲でチェーンソー振り回したり(笑)。
それで東京に螢はいないけれど、珍しい螢が集まるような、好きな者たちが集まれるような「お堂」であるようにと、願いをこめて「東京螢堂」という名前をつけたんです。大正ロマンをキーワードにして、地下室は男性っぽく、中二階が乙女というふうに、部屋ごとに調子も変えてみました。
開店以来、店番するのも商品を仕入れるのも全部、自分ひとりでやってます。だから店を開くのは金・土・日・祝日にして、あとは仕入れの旅と、自分のための勉強時間に充ててます。美術館に行くとか。仕入れは地方に行くんですが、いろんなひとに会って、話を聞いて、町の骨董屋さんに眠っているものを発見して。そうしてまず最初、自分で身につけてみる。体感して、それから店に還元するんです。そうじゃないと、良さが実感できないですよね。ただお金のためじゃなくて、眠っている良いものを循環させて、無駄をなくしていく、それがみんなのためにいいんじゃないかと思ってるんです。
江戸とちがって、大正ならいまの時代と、まだつながりもあるでしょ。うちの店は、地元のお客さんはあまりいなくて、外国人や、いわゆる浅草好きじゃないひとも多いんですが、親子三代で来てくれるお客さんなんかもいるんですよ。娘が「このデザインすてき!」とか始めると、親が「なつかしいわねえ」と、それにおばあちゃんが「そんなの、うちにあったわよ」って言う。そんなふうに、世代がつながっていく感じがいいんです。
いま流行ってるのは、「洋ベースの和風」でしょ。日本なのに「風」なんて、おかしいですよね。そうじゃなくて、畳の上の和のベースに、洋的なものを取り入れて遊ぶ。それが本来だと思うので、ちょっと流行に逆襲したい気持ちもあります。だからというわけでもないですが、そのうちに仲間を集めて、ほんとうのカフェの復活をやりたいんですよね。銀座のライオンを借り切って、女性は着物、男性はスーツで、ダンスホールにして。男性には、女の子に触りたい気持ちがあるし、女性には男性と接することで知識を得たいという気持ちがある。そういうドキドキ感を、感じてもらう会を開いてみたいんです。
大正ロマンは大好きだけれど、つきつめすぎて日常が窮屈になるのはよくないという稲本さん。店の音楽は蓄音機にSPじゃなくて、iPodをスピーカーにつないで鳴らしているし、古風な柱時計を再生するのでも、むりにゼンマイ式にこだわるのではなく、電池式に内部を入れ替えて、利便性を保ちながら現代に甦らせる。そういうフレキシブルなこころが、ビンテージとの新しいつきあいかたを、提案してくれている気がする。
東京螢堂
東京都台東区浅草1-41-8
http://hotarudou.ocnk.net/



































1956年、東京生まれ。現代美術、建築、写真、デザインなどの分野で執筆活動、書籍編集。93年、東京人のリアルな暮らしを捉えた『TOKYO STYLE』刊行。96年、日本各地の奇妙な新興名所を訪ね歩く『珍日本紀行』の総集編『ROADSIDE JAPAN』により第23回木村伊兵衛賞を受賞。
97年〜01年『ストリート・デザイン・ファイル』(全20巻)。インテリア取材集大成『賃貸宇宙』。04年『珍世界紀行ヨーロッパ編』、06年『夜露死苦現代詩』、『バブルの肖像』、07年『巡礼』、08年『だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ』など著書多数。現在も日本および世界のロードサイドを巡る取材を続行中。