10.03.12
右半分のクリエイティブ・パワー 第三回:カバン屋さんは自転車に乗って
山内栄衛門(やまうち・えいえもん)さんは「ながれのかばんや」である。特製の自転車に自分で作ったカバンや袋をたっぷり積んで、谷中・根津・千駄木の、いわゆる「谷根千」かいわいを流しては、道端や家の軒先に自転車を停め、店を開いて客を待つ。人通りがなくなったら、場所を移動して、また店を開く。夕方まで、そうやってお客さんの相手をして、それから商品を自転車にくっつけた箱にしまって、三河島の自宅兼工房まで漕いで帰る。週末ごとにそんなふうに移動販売、平日は家にこもってカバンづくり。そんな生活が、今年で3年目になった。そして究極にオッサンくさい名前の栄衛門さんは、実はうら若き女性なのだ。
山内栄衛門さんは琵琶湖の西岸に面した、滋賀県高島市出身。地元で高校まで通ったあと、京都の立命館大学に進学。しかし立命館は理系、経済学部が滋賀のびわこ・くさつキャンパスにあったため、理工学部遺伝子工学科に進んだ山内さんは、大津にあったおばあちゃんの家から、自転車で大学に通う生活だった。
大学を選ぶとき、手に職つけなくちゃと思って、遺伝子工学科を選んだんです。当時はヒトゲノム解析が注目を浴びている時代で、それこそ伊坂幸太郎の『重力ピエロ』に出てくるお兄さんのようになれたらなーとか、淡い期待を抱いてたんですが……実際に入ってみると、目に見えない世界ですから、DとかNとかなんとか言われても想像ができなくて、それでちがうことしたくなったんです。
山内さんのおばあちゃんは、洋裁で子供を育てたという。小さいころから、おばあちゃんについて京都に行って、大丸の横にある生地屋さんで材料を選んで洋服を作るのを見ていた山内さん。自分もしぜんに手を動かしてものを作るのが好きになって、学校でも手芸部に入っていた。そんな経験から、洋服とかカバンとか作る職人さんという道もあり得るんだと思いいたり、勤め先を探して動き始めた。
それで学校の就職課に行ったんですけど、ぜんぜんダメで。自分としては「東京で一旗あげよう!」という気持ちもあったので(笑)、とにかくまずは東京に出なくっちゃということで、クラフトショップみたいなところに「隠れ就職」しまして、それで親を安心させてこっちに出てきました。それで、お給料もらいながら、カバン作りを学べる会社を探したんです。
手作りの職人さんがいるところを探したんですが、国内メーカーはすでにほとんどが生産拠点を海外に移していて。技術を持っている職人さん以外は雇えないと、軒並み断られちゃいました。それで、自分の足で探さなくちゃと思って歩き始めたら、谷中の界隈にカバンの会社がけっこうあることがわかって。それで、手作りのカバンを並べてるお店に通って、お願いしたんです。パートでもいいから働かせてください! って。
そしたら、そこのお店のひとが本社に連絡を入れてくれたんですね、「ヘンなやつが来てるんですけど」って(笑)。それでちょうど、その会社の常務さんが来て、「これから草加の工場に行くけど、見に来るか?」って誘ってくれたんです。あとから聞いたら、現場を見せて、諦めさせるつもりだったそうなんですが。でも、工場で裁断や縫製の現場を見たら、どうしても働きたくなって。それで頼み込んで、あちらが根負け。その日のうちに採用されて、工場で働くことになりました。
草加の工場で働くこと4年半、そのあと浅草のお店に移って1年半。トータル6年間にわたってカバン作りのノウハウをしっかり身につけた山内さんは、いよいよ独立を決意する。しかしそれからの道のりは、けっして平坦ではなかった。
ずーっと考えてて、いざ周囲に話したら、みんな「どうせ無理でしょ」みたいな反応でした。「そんな山ちゃん、理想はわかるけど、実際ひとりでやって食ってくって、大変だよ。工場にいたら縫製だけでいいけど、ひとりでやるってことは、裁断から営業から材料の調達からすべて、みんながやってることをひとりでやらなくちゃならないんだよ。ま、やりたいならやってみれば」みたいなことしか、言われませんでしたねー。
最初、山内さんが目指していたのは革のカバンづくりだった。しかし革は材料の調達が難しい上に、技術的にも自分のイメージするものを実現させるまでには、さらに時間がかかる。そんな悩みを抱えていたとき、たまたま田舎に帰ってお母さんと交わした会話が、「山内栄衛門ブランド」誕生のきっかけになった。お母さんによれば、高島市の地場産業は帆布生産。日本の帆布の6割以上が、高島で作られているという。自分の生まれ故郷が帆布づくりで有名だとは、まったく知らなかった山内さん。びっくりして地場産業センターに足を運び、工場を見学させてもらう。
滋賀のとなりの京都は一澤帆布とか、有名なお店がありますよね。でも、そこに帆布を供給している滋賀の高島のことは、ぜんぜん知られてない。それが悔しくて、高島の帆布にこだわってキャンバス地のカバンを作ることにしたんです。それで名前も「ええもん=栄衛門」に決めて。
最初はもちろん、お店(実店舗)を兼ねた住居と工房がほしかったんですが、やっぱり予算が厳しくて。材料やミシンも買わなくちゃならないでしょ。それに、軌道に乗るまでの生活費とか考えると、なかなか難しい。それで、自転車って思いついたんです。ウェブもいいですが、どうしてもお客さんの顔を見て、お客さんに商品を触ってもらって、それで買ってほしかったんで。自分で材料を仕入れて、作って売ってというやりかたと資金を計算したら、あとには自転車を買えるぐらいの予算しか残ってなかったというのもありますが(笑)。
素材を帆布にして、自転車による移動販売、とアイデアが固まった時点で、山内さんには「こんなふうにやっていく」というビジョンがはっきり頭に浮かんだものの、まずはベースとなる自転車調達から、つまずくことになった。
やっぱり、自転車だって地元産がいいじゃないですか、そうなると。販売場所は東京に来たころから好きだった谷根千に決めていたので、通うのに近くて家賃も安い場所を工房に探して、三河島にして。だから足立区とかの自転車屋さんをずいぶん回ったんですが、まるで相手にしてもらえないんです。そんなときに、池袋東武デパートで開催された職人さん展というのがあって、そこに茅ヶ崎のサイクルボーイという、オーダーメイドの自転車を作っている方が出品されてたんですね。それで、こういう自転車がほしいんです! とお願いしたら、その方がこちらの気持ちをすごくよく聞いてくれる方で。それで、こんなすてきな自転車ができたんです。商品を積んで、開けば陳列棚になる箱がついて。谷根千は坂がすごく多いので、実用車ですが変速機をつけてもらって、ブレーキも強化して。でも、気をつけないと盗まれちゃいますから、うちでは室内保管ですし、移動販売中でもすごく気をつかいます。置いたままでは、休憩にも行けないぐらい。
自転車ができて、「ながれのかばんや えいえもん」というノボリもつくって、2008年10月に山内さんの移動販売カバン店は開店した。路上で販売するので、警察にも事前に相談に行ったが、「路上に置くんじゃなくて自転車の上だから、取り締まるわけにはいかない、地元の方に迷惑にならなければけっこうですって言われました。区役所でも、食べ物じゃないから区の許可は要らないって」と、こちらのほうは意外にスムーズだった。
知り合いのお店の前とか、駐車場とか、そういう場所を「自転車置いて、お店開かせてください」ってお願いして、だんだん増やしていきました。まず、隣近所に挨拶するところから始まります。場所が増えてきたので出没スポットと、わたしが好きなお店とかを書き入れた「えいえもんの谷根千てくてく歩きMAP」も作ったんですよ。
いま、山内栄衛門のカバンは、「対面販売が8割、ウェブサイトが2割」だという。そのウェブサイトも、楽天のような既成の大規模な販売サイトに乗せるのではない。問い合わせの返信から商品の発送まで、ひとりで手がける小さなスケールだ。
ウェブは、そのとき手持ちのお金が足りなかったりとか、もうちょっと考えてから決めたいっていう方、遠方の方用に作ったサイトなので、ここのホームページを見ないと買えないようにしてます。ひとりですから、あんまりオーダーがあっても苦手な作業が増えるので。いまくらいがちょうどいいですね。もともとのわたしの気持ちともちがいますし。
自分で小さな商売を始めるとする。いまだったら、100人のうち99人は、まずウェブを使ってネット販売を、と考えるだろう。でも、そうじゃない道を行くひとがいる。この山内さんみたいに。細いからだの女の子には重すぎるほどの自転車に商品を載せて、息を切らしながら坂道を上って、雨の日も合羽を着て、ときには冷やかしにも耐えながら、それでも自分のつくったものと、それを選んでくれるお客さんとのコミュニケーションをなによりも大切にするひとがいる。
真冬、谷根千に観光客が少なくなった時期に、山内さんはいちど表参道や大手町にクリスマスのカップル目当てに遠征したことがあるという。「でも、すごくアウェイ感があって(笑)。わたしの周囲1.5メートルぐらい、ひとがいなくなるみたいな状態でした」。こういうもののつくりかた、売りかた、生きかたをするひとに似合う土地柄はやっぱり、右半分なんだろう。
ながれのかばんや えいえもん
http://eiemon.com/
山内栄衛門さんは琵琶湖の西岸に面した、滋賀県高島市出身。地元で高校まで通ったあと、京都の立命館大学に進学。しかし立命館は理系、経済学部が滋賀のびわこ・くさつキャンパスにあったため、理工学部遺伝子工学科に進んだ山内さんは、大津にあったおばあちゃんの家から、自転車で大学に通う生活だった。
大学を選ぶとき、手に職つけなくちゃと思って、遺伝子工学科を選んだんです。当時はヒトゲノム解析が注目を浴びている時代で、それこそ伊坂幸太郎の『重力ピエロ』に出てくるお兄さんのようになれたらなーとか、淡い期待を抱いてたんですが……実際に入ってみると、目に見えない世界ですから、DとかNとかなんとか言われても想像ができなくて、それでちがうことしたくなったんです。
山内さんのおばあちゃんは、洋裁で子供を育てたという。小さいころから、おばあちゃんについて京都に行って、大丸の横にある生地屋さんで材料を選んで洋服を作るのを見ていた山内さん。自分もしぜんに手を動かしてものを作るのが好きになって、学校でも手芸部に入っていた。そんな経験から、洋服とかカバンとか作る職人さんという道もあり得るんだと思いいたり、勤め先を探して動き始めた。
それで学校の就職課に行ったんですけど、ぜんぜんダメで。自分としては「東京で一旗あげよう!」という気持ちもあったので(笑)、とにかくまずは東京に出なくっちゃということで、クラフトショップみたいなところに「隠れ就職」しまして、それで親を安心させてこっちに出てきました。それで、お給料もらいながら、カバン作りを学べる会社を探したんです。
手作りの職人さんがいるところを探したんですが、国内メーカーはすでにほとんどが生産拠点を海外に移していて。技術を持っている職人さん以外は雇えないと、軒並み断られちゃいました。それで、自分の足で探さなくちゃと思って歩き始めたら、谷中の界隈にカバンの会社がけっこうあることがわかって。それで、手作りのカバンを並べてるお店に通って、お願いしたんです。パートでもいいから働かせてください! って。
そしたら、そこのお店のひとが本社に連絡を入れてくれたんですね、「ヘンなやつが来てるんですけど」って(笑)。それでちょうど、その会社の常務さんが来て、「これから草加の工場に行くけど、見に来るか?」って誘ってくれたんです。あとから聞いたら、現場を見せて、諦めさせるつもりだったそうなんですが。でも、工場で裁断や縫製の現場を見たら、どうしても働きたくなって。それで頼み込んで、あちらが根負け。その日のうちに採用されて、工場で働くことになりました。
草加の工場で働くこと4年半、そのあと浅草のお店に移って1年半。トータル6年間にわたってカバン作りのノウハウをしっかり身につけた山内さんは、いよいよ独立を決意する。しかしそれからの道のりは、けっして平坦ではなかった。
ずーっと考えてて、いざ周囲に話したら、みんな「どうせ無理でしょ」みたいな反応でした。「そんな山ちゃん、理想はわかるけど、実際ひとりでやって食ってくって、大変だよ。工場にいたら縫製だけでいいけど、ひとりでやるってことは、裁断から営業から材料の調達からすべて、みんながやってることをひとりでやらなくちゃならないんだよ。ま、やりたいならやってみれば」みたいなことしか、言われませんでしたねー。
最初、山内さんが目指していたのは革のカバンづくりだった。しかし革は材料の調達が難しい上に、技術的にも自分のイメージするものを実現させるまでには、さらに時間がかかる。そんな悩みを抱えていたとき、たまたま田舎に帰ってお母さんと交わした会話が、「山内栄衛門ブランド」誕生のきっかけになった。お母さんによれば、高島市の地場産業は帆布生産。日本の帆布の6割以上が、高島で作られているという。自分の生まれ故郷が帆布づくりで有名だとは、まったく知らなかった山内さん。びっくりして地場産業センターに足を運び、工場を見学させてもらう。
滋賀のとなりの京都は一澤帆布とか、有名なお店がありますよね。でも、そこに帆布を供給している滋賀の高島のことは、ぜんぜん知られてない。それが悔しくて、高島の帆布にこだわってキャンバス地のカバンを作ることにしたんです。それで名前も「ええもん=栄衛門」に決めて。
最初はもちろん、お店(実店舗)を兼ねた住居と工房がほしかったんですが、やっぱり予算が厳しくて。材料やミシンも買わなくちゃならないでしょ。それに、軌道に乗るまでの生活費とか考えると、なかなか難しい。それで、自転車って思いついたんです。ウェブもいいですが、どうしてもお客さんの顔を見て、お客さんに商品を触ってもらって、それで買ってほしかったんで。自分で材料を仕入れて、作って売ってというやりかたと資金を計算したら、あとには自転車を買えるぐらいの予算しか残ってなかったというのもありますが(笑)。
素材を帆布にして、自転車による移動販売、とアイデアが固まった時点で、山内さんには「こんなふうにやっていく」というビジョンがはっきり頭に浮かんだものの、まずはベースとなる自転車調達から、つまずくことになった。
やっぱり、自転車だって地元産がいいじゃないですか、そうなると。販売場所は東京に来たころから好きだった谷根千に決めていたので、通うのに近くて家賃も安い場所を工房に探して、三河島にして。だから足立区とかの自転車屋さんをずいぶん回ったんですが、まるで相手にしてもらえないんです。そんなときに、池袋東武デパートで開催された職人さん展というのがあって、そこに茅ヶ崎のサイクルボーイという、オーダーメイドの自転車を作っている方が出品されてたんですね。それで、こういう自転車がほしいんです! とお願いしたら、その方がこちらの気持ちをすごくよく聞いてくれる方で。それで、こんなすてきな自転車ができたんです。商品を積んで、開けば陳列棚になる箱がついて。谷根千は坂がすごく多いので、実用車ですが変速機をつけてもらって、ブレーキも強化して。でも、気をつけないと盗まれちゃいますから、うちでは室内保管ですし、移動販売中でもすごく気をつかいます。置いたままでは、休憩にも行けないぐらい。
自転車ができて、「ながれのかばんや えいえもん」というノボリもつくって、2008年10月に山内さんの移動販売カバン店は開店した。路上で販売するので、警察にも事前に相談に行ったが、「路上に置くんじゃなくて自転車の上だから、取り締まるわけにはいかない、地元の方に迷惑にならなければけっこうですって言われました。区役所でも、食べ物じゃないから区の許可は要らないって」と、こちらのほうは意外にスムーズだった。
知り合いのお店の前とか、駐車場とか、そういう場所を「自転車置いて、お店開かせてください」ってお願いして、だんだん増やしていきました。まず、隣近所に挨拶するところから始まります。場所が増えてきたので出没スポットと、わたしが好きなお店とかを書き入れた「えいえもんの谷根千てくてく歩きMAP」も作ったんですよ。
いま、山内栄衛門のカバンは、「対面販売が8割、ウェブサイトが2割」だという。そのウェブサイトも、楽天のような既成の大規模な販売サイトに乗せるのではない。問い合わせの返信から商品の発送まで、ひとりで手がける小さなスケールだ。
ウェブは、そのとき手持ちのお金が足りなかったりとか、もうちょっと考えてから決めたいっていう方、遠方の方用に作ったサイトなので、ここのホームページを見ないと買えないようにしてます。ひとりですから、あんまりオーダーがあっても苦手な作業が増えるので。いまくらいがちょうどいいですね。もともとのわたしの気持ちともちがいますし。
自分で小さな商売を始めるとする。いまだったら、100人のうち99人は、まずウェブを使ってネット販売を、と考えるだろう。でも、そうじゃない道を行くひとがいる。この山内さんみたいに。細いからだの女の子には重すぎるほどの自転車に商品を載せて、息を切らしながら坂道を上って、雨の日も合羽を着て、ときには冷やかしにも耐えながら、それでも自分のつくったものと、それを選んでくれるお客さんとのコミュニケーションをなによりも大切にするひとがいる。
真冬、谷根千に観光客が少なくなった時期に、山内さんはいちど表参道や大手町にクリスマスのカップル目当てに遠征したことがあるという。「でも、すごくアウェイ感があって(笑)。わたしの周囲1.5メートルぐらい、ひとがいなくなるみたいな状態でした」。こういうもののつくりかた、売りかた、生きかたをするひとに似合う土地柄はやっぱり、右半分なんだろう。
ながれのかばんや えいえもん
http://eiemon.com/

















1956年、東京生まれ。現代美術、建築、写真、デザインなどの分野で執筆活動、書籍編集。93年、東京人のリアルな暮らしを捉えた『TOKYO STYLE』刊行。96年、日本各地の奇妙な新興名所を訪ね歩く『珍日本紀行』の総集編『ROADSIDE JAPAN』により第23回木村伊兵衛賞を受賞。
97年〜01年『ストリート・デザイン・ファイル』(全20巻)。インテリア取材集大成『賃貸宇宙』。04年『珍世界紀行ヨーロッパ編』、06年『夜露死苦現代詩』、『バブルの肖像』、07年『巡礼』、08年『だれも買わない本は、だれかが買わなきゃならないんだ』など著書多数。現在も日本および世界のロードサイドを巡る取材を続行中。