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ちくま新書『仏教論争 ―「縁起」から本質を問う』(宮崎哲弥著)に誤りがありましたので、下記の通り訂正いたします。

10ページ・終わりから2行目
(誤)「生起したもの」
(正)「生起するもの」

11ページ・前から1行目
(誤)「依存して生起したもの」
(正)「依存して生起するもの」

11ページ・前から6行目
(誤)「依存して生起したもの」
(正)「依存して生起するもの」

<説明>
 多くの概説書や辞書、事典類に示されている縁起の一般的語義は「依存して生起すること」「縁って生じること」である。この「こと」というのは、通常、現象が起こる道理、原理、仕組み、機制など抽象名詞としての意味を表すと考えられている。初期仏教や大乗仏教における縁起の定義は、ほぼこの「こと」を指す。
 だがアビダルマ仏教においては、「こと」、つまり「現象が起こってくる原理」ではなく、「もの」、つまり諸存在(諸法)を示す縁起の用例が拡がった。しかも「依存して生起するもの」という因や縁を表すばかりでなく、「依存して生じたもの」という結果をも縁起という語で表すようになる。
 こうした定義の変遷を踏まえ、その語義の「幅」を示すため、「縁って生起すること」に「縁って生じたもの」を付加した。これは前著『ごまかさない仏教 仏・法・僧から問い直す』(新潮選書)の説明を踏襲したものだ。
 然るに本書では、他のページで「縁已生法(pratItya-samutpanna dhArma)」「縁已生(paTiccasamppannA)」という概念を紹介している。これは本文(p.194 )でも述べている通り「縁によって生じた事象」、正確にいえば「縁によって生じさせられた存在」であり、要は「縁起の結果」を指す。確かにアビダルマ仏教では「縁已生(法)」の意で縁起の語が用いられることがあったが、このまま詳説なく放置すれば、読者の混乱を招きかねないと判断し、現状の「生起したもの」「依存して生起したもの」を、「生起するもの」「依存して生起するもの」と訂正することにした。(宮崎哲弥)

43ページ・後ろから4行目
(誤)五支、八支、九支、十支、そして十二支
(正)五支、六支、八支、九支、十支、そして十二支

104ページ・後ろから8行目
(誤)第四次元
(正)「第四階」

105ページ・後ろから7行目
(誤)第四次元(“the fourth dimension”)
(正)「第四階(“the fourth dimension”)」=第四次元

258ページ・前から7行目
(誤)鈴木氏
(正)鈴木

275ページ・前から4~5行目
(誤)仏教以前のウパニシャッド
(正)仏教以前のブラーフマナ文献