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ちくま文庫「文豪怪談傑作選」がドラマ+ドキュメンタリー化!
※NHK−BShi 8月23日〜26日まで四夜連続(22:00〜23:00) 公式ホームページ
シリーズの今年の内容紹介、および、ドラマの製作秘話など、
コアな情報を週刊でお届けします。


<バックナンバー>
第1回  「妖しき文豪怪談」放映決定!(07.01更新) 記事はこちら▼
第2回  『芥川龍之介集』まもなく発売!(07.08更新) 記事はこちら▼
第3回 落合正幸監督と「片腕」を語る(07.15更新) 記事はこちら▼
第4回 日本近代文学館の芥川文庫をめぐって(07.22更新) 記事はこちら▼
第5回 『幸田露伴集 怪談』スタンバイ!(07.30更新) 記事はこちら▼
第6回 「妖しき文豪怪談の魅力」出演記(08.06更新) 記事はこちら▼
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週刊文豪怪談 最終回 「妖しき文豪怪談」放映される!
東 雅夫


 さて、前回の文末で急遽お約束したとおり、今回が本当の最終回である。
 8月23日から四夜連続(その後、29日には一挙に四本連続で再放送もされた)で放送された「妖しき文豪怪談」――ご覧いただけただろうか。
 小生自身も完全版を目にするのは初めてだったので、心待ちにすると同時に、どこか空恐ろしいような気持ちで、放送当日を迎えた次第である。
 もっとも、小生が監修役としてお手伝いしたのは、もっぱら企画段階とドキュメンタリー・パート制作に際しての怪談文芸方面のレクチャーやら質疑対応やらであって、番組づくりの実際に関しては、ドキュメンタリー・パートを二つの制作会社――東京サウンド・プロダクション(川端康成篇と太宰治篇)とテレビマン・ユニオン(芥川龍之介篇と室生犀星篇)が、ドラマ・パートを四人の監督たちが率いる個々の撮影チームが、それぞれ担当し、それらをNHKエンタープライズが統括するという形で進められたのであった。


 今回の番組の基本コンセプトが、名だたる文豪たちと怪談という取り合わせの意外性にあることは、間違いないところだろう。
 そもそもこれは「文豪怪談傑作選」シリーズ自体の基本コンセプトでもあった。
 あの文豪が、こんな作品を!?……と読者の意表を突くことで、まんまと文豪怪談の世界へ誘い込もうという作戦である。
 その意味で「妖しき文豪怪談」と「文豪怪談傑作選」が、どちらも幕開けに、川端康成の『片腕』を選んだのは、当然の帰結といえるのかも知れない。
 日本初のノーベル文学賞作家となった、文豪中の文豪というべき川端が、その晩年、『伊豆の踊子』や『雪国』とは似ても似つかぬ、かくも奇想天外にして妖艶怪美な作品を手がけていたのだから……。


 ドラマ・パートのトップバッターとなった落合正幸監督は、驚くほど正攻法で、この稀代の怪作の映像化に挑んでいた。
 女性の腕を相方とする密室での独り芝居という難役を見事に演じきった平田満の熱演と、日本特撮のお家芸というべき繊細な造形・操演による「片腕」の存在感によって、監督の企図したであろう映像世界が鮮やかに展開されてゆく様に圧倒された。
 しかも、そこに浮かびあがった世界が、『アウター・リミッツ』や『ウルトラQ』といった、ミッド・センチュリーの面影を色濃く留める一連の「空想科学映画」を髣髴させることも驚きであった。
 思えば『片腕』の執筆年と、それら特撮ドラマの製作年は、ほぼ同時代であり、文豪が描いた妖かしの世界もまた、まぎれもない「アンバランス・ゾーン」の物語なのだった。















『文豪怪談傑作選 太宰治集 哀蚊』の中から、『鉄男』の塚本晋也監督が、よりによって『葉桜と魔笛』をチョイスされたと聞いたときには、なんとも意表を突かれた心地がしたものである。
 同書を既読の向きは御承知のように、嫋嫋たる女性の一人称独白体で綴られた「葉桜と魔笛」は、太宰の怪談系作品の中では傍流というか、異色の珠玉篇だからだ。
 あの片々たる物語が……しかも怪談たる所以が、ひとえに幕切れ間近、不意打ちめいて降臨する「魔笛」のシーンに集中している構造の作品が、果たして数十分の映像作品になりうるのか……満開の桜の情景に始まる塚本版『葉桜と魔笛』は、そんな素人の杞憂を吹き飛ばす異様なパワーに充ち満ちていた。
 塚本マジックともいうべき不安なカメラワークと音響効果によって、静謐な叙述の背後に渦巻く情念の搏動や他界の響動(とよ)もしが、間歇泉のごとく噴出する様は圧巻であった。














 とはいえ、こと意表を突かれたという点では、李相日監督の『鼻』こそ、その最たるものといえよう。プロデューサーの浜野さんから、「芥川は『鼻』に決まりましたよ」と聞かされたときには、編集Kさんともども、思わず絶句したほどだ。
 さすがに怪談馬鹿たる小生も、『鼻』を怪談小説と称することには二の足を踏む……というか実際、今夏のラインナップの一冊である『文豪怪談傑作選 芥川龍之介集 妖婆』にも、同篇は収録されていないのだから。
 その後、李監督が、『鼻』そのものではなく一種の後日談、オリジナルな怪談バージョンを構想されていることが伝えられて、今度は俄然、興味が湧いてきた。
 果たして完成した映像は、往年の文藝怪談映画――溝口健二監督の『雨月物語』や小林正樹監督の『怪談』等々――を髣髴せしめる重厚な仕上がりで、まさに異貌なる物語となっていた。泉下の我鬼先生がどんな感想を洩らすか、あれこれ想像するのも愉快である。














 そしてトリを飾る是枝裕和監督の『後の日』――原作となった室生犀星の「後の日の童子」は、小生にとって鍾愛の一篇であり、先に『日本怪奇小説傑作集』にも採録し、その後『文豪怪談傑作選 室生犀星集 童子』を編む際にも、前日談である「童子」と、姉妹篇というべき「童話」の三篇をトリオで巻頭に据えたほど、思い入れ深い作品であった。日本的な幽霊譚、ジェントル・ゴースト・ストーリーの一頂点を極めた名品であると、今でも確信してやまない。
 その「後の日の童子」を、あの是枝監督が選ばれたと聞いて、内心大きくガッツ・ポーズをしたことを懐かしく想い出す。
 期待にたがわぬ、どころか、予想を遥かに上まわる出来映えであった。日本的な他界観を象徴する「草葉の陰」という形容を、そのまま映像化するかのような幕開けからのシーン。光と影が変幻自在に織り成す是枝作品特有の演出が、かくも怪談にしっくりハマるとは……日本的怪談映画の新たなスタンダードが、ここに誕生したという感を深くする。














 こうして形を成した四本のドラマには、四人の監督それぞれが「文豪と怪談」というテーマに取り組まれた軌跡が歴然としていて、その意味でも『文豪怪談傑作選』の編者としては、まことに興味尽きないものがあった。四氏の真摯な取り組みに、更めて深い敬意を表するものである。
 毎回ドラマ・パートに続いて放送されたドキュメンタリー・パートについては、小生も関与した一員なので、ここで感想を申し述べることは差し控えたい。
 短時間で一般の視聴者向けに、文豪の生涯と作品誕生の背景を映像にまとめるというのは、ある意味でドラマ篇にもまして至難の業であると痛感させられたのだが、テレビマン・ユニオンの黒田さん、TSPの宗像さんの両ディレクターをはじめとする制作スタッフの皆さんは、これまた真摯に取り組んでくださった。


 さるにても、「文豪怪談傑作選」シリーズが始まった四年前には、まさか公共放送で、このような番組が制作され、お茶の間に「文豪怪談」という言葉が広まるとは、夢想だにしなかった。この展開自体が、怪談めいていると思わぬでもない。
 とはいえ、せっかくの好機到来である。さらなる「文豪怪談」普及へ向けて、実は今、新たな企画を編集Kさんとともに勘案しているところだ。お披露目は年明け以降になりそうだが、ひとつ今後ともよろしくおつきあいのほど、伏してお願い申しあげまする。

東雅夫(ひがし・まさお)
1958年神奈川県生まれ。アンソロジスト、文芸評論家。元「幻想文学」編集長、現「幽」編集長。著書に『遠野物語と怪談の時代』『怪談文芸ハンドブック』、編著に『文豪てのひら怪談』など
http://blog.bk1.jp/genyo/







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