[遠い地平、低い視点]2・終わった社会/橋本治

 パソコン遠隔操作事件の容疑者として逮捕され、その公判中にへんな小細工をしたことがバレ、その結果「私が真犯人です」と白状した男が「私はサイコパスだ」と言い、「酒鬼薔薇聖斗と同い年の生まれだ」などとも言って、一九九七年の神戸で起きた中学三年生の男の子による少年惨殺事件を久し振りに思い出した。するとそのすぐ後で、九年前に栃木県の旧今市市で小学生の女の子が殺害された事件の容疑者が逮捕されて、それがまた同じ年の一九八二年生まれだったという。それで、「一九八二年生まれにはなにかがあるんでしょうか?」という週刊誌の取材を受けた。
 聞けば、何年か前に東京の秋葉原で起こった連続殺傷事件の犯人も「酒鬼薔薇世代」なんだそうな。こっちは、それを聞かされて「あ、そうなの」と思うばかりだが、一九八二年生まれの男達の中には、「自分と同世代である酒鬼薔薇聖斗」に敏感で、その彼が自分の中に潜む「暗いなにか」を刺激する負のヒーローのように思えてしまう人達も多いらしい。そんな話を聞いて、私は二〇〇〇年に起こった「少年達の犯罪」を思い出す。
 その年に十七歳になる酒鬼薔薇聖斗と同年の少年の一人は、「人を殺してみたかった」という理由で近所の主婦を殺す。それが愛知県で、続いては佐賀県に住む少年がバスジャックで人を殺し、岡山県の少年は部活の後輩を金属バットで殴り、自分の母親を撲殺して逃亡する。たった二カ月の間にこの三件の事件がたて続けに起こって、そのために「酒鬼薔薇聖斗の影」も当時は囁かれたりはしたけれど、この年に多かった少年犯罪のすべてが「十七歳の少年」によるものではなかったし、この年に起こったいやな事件の犯人が「少年」だけだったわけでもない。
 この年の一月には、新潟県の柏崎市で小学生の女の子を自宅で九年間監禁していた三十七歳の男が逮捕された。九年前なら、この男が事件を起こしたのは一九九〇年の終り頃で二十七か八歳だ。酒鬼薔薇聖斗は関係ない。それを言うなら、一九八九年に逮捕された幼女連続誘拐殺害の宮勤の方だ。逮捕された時、宮勤は二十六歳だった。同世代はあるかもしれないが、厄介な事件を惹き起こす因子は、それよりも「時代の変わり目」なのではないだろうか。
 昭和天皇崩御によって昭和が終わる一九八九年はやたらと騒がしかった。十四歳は、義務教育が終わるのを目の前にする年で、十七歳は高校卒業を目の前にする年。そして二〇〇〇年は二十世紀が終わる年だ。私は占星術師ではないので、一九八二年がどんな星回りの年だったかは知らない。しかし、この年に生まれた子供達は、進み行くバブル経済下の日本で小学生になり、小学校を卒業する頃にはもうそのバブルがはじけて、時代の不景気の波に洗われている。だからどうだというわけではないけれど、そんなことを考えて、私はあることを思い出した。
 多分、昭和が終わった翌年の一九九〇年だったと思う。私はその相手が誰かは忘れてしまったが、対談をしていた。まだ「バブルがはじけた」にはならず、相変わらずの騒々しい投機熱は続いていたが、昭和天皇、手塚治虫、美空ひばり等が連続して世を去り、天安門事件が起こって宮勤事件があって、ベルリンの壁崩壊に至る一九八九年の激動の余波は、なんとはなしに人を不安にしていた。「昭和は終わったけれど、この先はどうなるんだろう?」というような。
 そんなことを対談相手に聞かれて、「うっかりしたことは言わない方がいいんじゃないの」と私は言った。昭和が終わった後の私の「日本」に対するイメージは、「高い天井のあるドームに覆われた、大きな廃墟」だった。
「その内、古くなった天井が落ちて来る。天井を支える柱も倒れて来る――でも、今そんなことを言ってもパニックを誘発するだけだから、うっかりしたことは言わない方がいい」と思っていた。根拠を挙げる前に、そう思っていたからそう言った。その後の日本が私の言った通りになったかどうかは知らないが、私は天井が落ちて来るかもしれない古いドーム都市から退去して、当時の社会情勢とはまったく関係のない仕事をしていたから、平気でそう言った。
 昭和という時代が終わったということは、一つの時代が終わっただけではなく、「その後の方向を見失った」ということでもある。昭和が終わって四半世紀が過ぎて、このことだけは確かだろう。終わった社会の幻影を追って「ああだ、こうだ」と言っても仕方がない。一つの時代は終わっても、人の社会はまだ続いて行く。だから、ゼロからやり直す覚悟をする必要がある。その覚悟の前で、「終わった時代」の跡を辿ってあれこれ言っても、あまり意味はないんじゃないかと思う。
(はしもと・おさむ 作家)

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