インタビュー いま、中高生が評伝を読むということ/藤原和博・重松 清

ちくま評伝シリーズ〈ポルトレ〉刊行記念インタビュー


重松 藤原さんが「ポルトレ」のパンフレットにお寄せになった推薦の言葉のなかに「人間のドラマに勝る教材はあるのか」とあります。やはりこれは、藤原さんが学校現場で中高生と出会ってきた、その実感のなかから出てきたのですか。

藤原 僕は和田中学校の校長をしていたときに、おそらく五年間で六十人くらい、色々なゲストをお招きしました。その中には重松清さんもおられたし、宮台真司さんもおられました。で、大変恐縮なんですが、僕はこうしたナマの人たちが、何を語るかというよりは、その人の存在そのものが、生徒たちにどんなインパクトを与えるのかといったほうに興味があったんですね。教師が何かを教えようとしても、本物のもつ魅力、本物のもつエネルギーには絶対に敵わないですから。
 今回、こういう中高生向けの人物伝シリーズが出るのは必然性があると思っています。今まで小学生向けの伝記ものはあったし、大人が読むやつもあった。でも、例えばスティーブ・ジョブズのあの伝記(『スティーブ・ジョブズ』W・アイザックソン著)は、本当に素晴らしいけれど、あれを上下巻で読めと言われたら、中高生にはやっぱり無理。だから彼らが本物に触れるには、こうしたものが出てくるのはいいなと。

ナナメの関係が大事

重松 中高生って、ある面で一番の反抗期じゃないですか。だから偉い人に対する反発が、どこかにあるんじゃないかと思うのですが。

藤原 あるでしょうね。で、その一番身近な例が父親だったり先生だったりするわけです。うちの長男は、中学二年のときに僕が「うちは方針として、高校生までケータイを買わないよ」と言った瞬間から、中学卒業までの約二年間、僕とまったく口を利きませんでしたし。

重松 てっきり僕は、藤原さんって、家でも良いパパでやっていて仲良しな感じなのかと。

藤原 僕も必要なければ口を利かなくていいと思っていました。というのは、僕自身がそういう子だったんです。

重松 中二くらいの反抗期?

藤原 僕のはもっと激しくて、中二のときに僕はある事件を起こして、その格好悪さで僕が変に意識しちゃって。それから二十年、うちの父が六十七歳である病気で死にそうになったんですが、そのときまでずっと口を利かなかった。
 なので、息子や娘と親とが、中高生のころに会話をしないというのは、結構心配しなくていいと僕は思う。その息子も、高校とか大学に入って自分の居場所ができると、また会話が戻るんですよ。まず母親のほうと戻ってきて、それから、父親とも平気でしゃべるようになる。

重松 藤原さんは、お父さんと口を利かなかった頃に、お父さん代わりというか、何か父親的なものをどこから学んだんですか。

藤原 僕らの小学校、中学校のときには少なくとも地域社会がまだありましたよね。僕はずっとナナメの関係って言っているんだけど、お兄さんお姉さん、おじさんおばさん役というのがいて。で、けっこう格好良かったり、オープンマインドな人がいたりしました。
 あとはやっぱり、高校になると部活が大きいです。高校の担任でかつバスケットボール部の顧問だった先生が、麻布で十六代続いた浄土真宗の寺の坊主だったんですが、この人が、ものすごくさばけた人でした。文化祭で「すみません、先生ちょっとお金が足りないんですけど」とか言うと、黙って五千円渡してくれるような、そんな担任だったんです。で、結局それで何をやったかというと、渋谷に行って、中華料理屋でワーッと、ジョッキで乾杯というのを高校一年のときにやってました。

重松 やっちゃ駄目でしょう。

藤原 本当はね。でも、その先生は格が違うというか、凄みがある大人だったので、僕はガス抜きできてものすごくよかった。

重松 僕は高校時代に矢沢永吉の『成りあがり』を読んで、東京に行きたいと思ったんですよ。で、中学校や高校時代って、やっぱり親父とは絶対にぶつかるじゃないですか。昔だったら、ぶつかると先輩だったり近所のおじさんおばさんが出てくるんだけど。でも、今はなかなかナナメの関係ってないですよね。

藤原 ないです。地域社会が崩壊しちゃって。

重松 その時に何かお手本にするとか憧れるとか、僕がむかし矢沢永吉みたいになりたいと思ったみたいに、そう思わせる相手がなかなかリアルの生活の中では見つからない時ってありませんか。

藤原 ありますあります。

重松 中高生が評伝を読むことで、これが果たして、リアルなところで兄貴や良い先生に出会うことの代わりになるのか、そうではないのか。どっちなんでしょう。

失敗や挫折に共感する

藤原 例えばここに有名人の伝記があるとします。で、こんなにすごい人がいるんだ、見習えと言っても、誰も読まないと思う。そうではなくて、僕がこの〈ポルトレ〉に期待しているのは、失敗談なんです。要するに、偉い人たちも、いきなりスタートから約束されていて、ずっとスター街道を歩いて、キラキラした人生を送ったわけじゃないですね。たとえばスティーブ・ジョブズでも、どれほどきつい高校時代、大学時代を過ごしたか。

重松 なるほど。

藤原 エジソンやアインシュタインにしても、小学校時代は不登校です。だから、そういう不登校とか、はまらなかったとか、本当にもう死んだほうがいいんじゃないかと思ったみたいなことが、たくさん出てくるといいなと思います。こんなに成功したんだぞ、すごいだろう、なんてそんな美談を並べてもしょうがないでしょう。失敗や挫折みたいなところに、中高生が共感すればいいんじゃないかな。

重松 僕はね、例えば田舎の高校生だった僕が矢沢永吉の『成りあがり』を読んで、上京してビッグになるという、何か道筋を与えてもらったみたいな、そういう読まれ方も絶対にあるんじゃないかと思う。
 定期的に、ヤンキー出身の人がこうなったという本がベストセラーになるじゃないですか。みんな一発逆転の道筋を知りたいんですよ。僕は小学校時代に、田中角栄の『わたくしの少年時代』を読んで勇気をもらったんです。いわゆる裏日本の、大学も出てなくて、しかも僕もそうだったんだけど、吃音でうまくしゃべれないという人が、マイナスのカードを、一気にプラスに変えていく、その物語にみんなが励まされた。だから、やっぱり勇気をくれる物語ってあると思うんですよ。

藤原 そうです。絶対そうですね。

重松 人間の面白さって、マイナスになったりプラスになったりの紆余曲折がいくつあるかで決まるような気がする。だからやっぱり、よく下積み時代とかで、僕らの時代だったら、王貞治が一本足打法を学ぶ時に、日本刀で素振りをして畳がすり減ったとか、長嶋茂雄は、甲子園には出られなかったけれども、六大学野球で、ボールに石灰を付けて、夜中に砂押って監督のノックを受けたとか、そういう一つ一つのディテールにみんな惹かれるんだと思うし。で、その時に、みんな才能に恵まれていて天才で、というんじゃなくて、やっぱり挫折があったり、マイナスの条件があったりしたほうがいい。高校を辞めていたりとか、親がいなかったりとか、そういう物語のもっている強さが、きっとあるはず。

藤原 マイナスモードの物語ですね。

重松 もしかしたら、一冊の評伝を読んで、友だちと別のところに感応するかもしれないってあると思う。小説でもそうだけど、十人の読者がいて、みんな感動する場所が同じだったら、それはつまらないわけ。だから、たくさん引っかかるところがあって、どこに引っかかるかが、その子の持っている一番大事なところかもしれなかったりすると思います。

冴えないところが面白い

藤原 このシリーズでは、僕はとくに安藤百福さんに期待したいですね。

重松 チキンラーメンの?

藤原 日清食品の創業者。チキンラーメンと、カップヌードルつくった人ね。そこまで結びつけた人。これは面白いと思うんですよ。この安藤さんは、ラーメン人生でおそらくものすごい失敗をしていると思う。
 ダイソンって掃除機がありますよね。あのダイソンさんが、今、英国で失敗学というのを教えているんですよ。で、あのダイソンの今の掃除機って、五五〇〇回くらいの試行錯誤を繰り返して、今の製品に辿り着いている。要するに失敗が大事なんだというね。実はこれと同じことをエジソンも言っていて、例えば九九九回失敗して一〇〇〇回目に成功したとすると、九九九通りのそっちじゃないのよという方法がわかったんだと。そっちじゃないことをわかることに成功したんだと言っているんだよね。

重松 たぶん、失敗したエピソードだけを集めていっても一冊できるでしょ。だって、みんな偉い人だから、最終的にはオッケーだよね。

藤原 そうそう。結局は安藤さんだって、ブランドだものね。もう傷つくことはないわけ。だから徹底的にあばいていいんじゃないかな。

重松 要は、この人たちにはこれだけの失敗があったんだとか、これだけ冴えないところがあったんだとか。

藤原 冴えないところ、良いですね。

重松 ところで、藤原さんが一番影響を受けた著名人というか、歴史上の人物でもいいんだけど、誰かいるんですか?

藤原 もっとも影響を受けたのは誰かと言われたら、やっぱり江副浩正氏かなあ。

重松 リクルートの。

藤原 そう。リクルートという会社はグループで売上一兆円のしかも無借金経営です。で、今年上場するともいわれています。その基礎を作ったのが江副さん。いまだにリクルートがやっていることの八割から九割は江副さんの発想ですよ。毀誉褒貶があった人だけど、あの人が一体何だったのかということを、日本の社会はまだちゃんと総括できていないと思う。
 七八年から八八年まで、彼が一番勢いの良い時に隣で仕事をしちゃったから、これはやっぱり影響がある。父親の次くらいに影響を受けているなという感じはありますね。

重松 影響というのが、ほら、よくこういうのって教育現場だと、尊敬とかにすり替えられちゃうんだけど、尊敬と影響は違いますか。

藤原 リクルート事件後は疎遠になりましたし、その後のやり方などには、僕は尊敬できないことも多かった。ですが、ものすごい影響を受けたことは事実です。
 僕の育った環境は、普通の公務員の家庭で、母は専業主婦の一人っ子でしたから、本来ならばもっと真面目でありふれた生き方をしていたはずだと思うんですよ。それが東大からリクルートでちょっと外し、そこを四十歳で辞めちゃったのもそうだし、そのあと学校長になるというのもかなり外しているかなと思う。本来は人と群れるのが大好きなはずなのに、いつの間にか孤高のプレイヤーみたいになってしまって。これはやっぱり、リクルートというもの抜きには語れないですよ。
「自ら機会を創り、機会によって自らを変えよ」というスローガンがリクルートにはあるんですね。今までを振り返ると、これがある種のDNAみたいに染みついていて、僕としては非常に悔しくもあるけど、やっぱり、あのおっさんのせいだなと思う。“おかげ”と“せい”っていうのが五一パーセントと四九パーセントくらいの感じはあります。

重松 今の話は、「愛憎半ばする」ということですね。“愛憎半ば”もそうだし、“毀誉褒貶”もそうだけど、やっぱり人間って、何か半ばしてほしいのね。一〇〇%素晴らしい尊敬でもなければ、一〇〇%の否定も有り得ないわけだし。何かこう、“半ばする”のこの“半ば”が、こっちに寄ったり向こうに寄ったりする。その“半ば”を受け止められることが大人になることだと僕は思っています。
 だから、人の一生を評伝なんかで読んで、すごく無批判に「感動しました」とか、「尊敬します」とか、「こうなりたいです」と言うのでなくて、どこかで批判的に見ることも大事だろうし、そういう半ばするものがたくさん必要なんじゃないかしら。

失敗しないで作った幸せじゃ駄目

藤原 それ、重松さん、ものすごく核心をついたお話だと思います。なのに、世の中全体の雰囲気としてグレーゾーンを許さない。マスコミのあり方を含めて、いわば抗菌グッズが流行っちゃって、たったひとつでも菌がいたら、もうだめ。学校というところも、そういう文化に侵されつつあります。これは、実は教師特有の文化では全然ないんです。今日のように、ものすごく前例主義、事なかれ主義といわれているのは、はっきり言うと、お母さんたちがそれを望むからなんですよ。ね。事故を起こしてもらいたくない、間違ってもらいたくない、失敗なんてさせてもらいたくない。この風潮がどんどんいくとどうなるか、「学校から鉄棒がなくなる日」がいずれ来るというのを僕は言っている。要するに、落ちてケガをするのが駄目なら、鉄棒をなくしましょうと。

重松 最初からなくしちゃうと。

藤原 そう。ある種、そっちのほうがどこかの政権よりも危ないんじゃないかというくらい、ファシズムに近い、守りましょう文化、事なかれ主義の典型じゃないかな。

重松 これは本当に自分の親としての本音も含めていうと、やっぱり失敗を極度に恐れることはあると思う。で、もう一つ、何か日本人ってられたくないという気持ちがあると思う。だからサッカーでもシュート打たないしね。

藤原 打つよりはパスしちゃう。

重松 あのね、普通の幸せな暮らしというのは、失敗をしなかったから幸せなんだというのがあって、自分の小説に登場するお父さんでは、わりと意識的にそれを否定したり救ったりしながらやるんですね。
 だけど、失敗しなかったことで作った幸せって、やっぱり臆病になりますよね。どんどん怖くなると思う。「何で今、お父さんは会社で頑張っているの」と言われた時に、「こんなことをやった」「あんなことをやった」じゃなくて、「失敗をしなかったからここにいるんだ」としか言えないような状況が、いまの世の中には出てきているんじゃないか。だから逆に言えば、世の中全体に失敗のショックが少ないと思う。こんな失敗とか、あんな失敗というのがたくさんあったほうがいいと思うんですよね。

藤原 だから成功談の偉人伝ではなく、失敗談のバリエーションが大切ということね。

「偉人伝」ならぬ「異人伝」「違人伝」を

重松 多分、本を読むことってサプリメントみたいなもので、普段の日常生活の同級生やお父さんや先生との繋がりだけでは足りないものを、こういう評伝から補うというのはありかもしれない。で、それも、成功のやり方を補うのではなくて、こんな失敗もアリだったとか、これは面白い失敗だなというような、失敗のサプリメントとして読んでほしいと思います。

藤原 一応これ、最後に言っておくと、現政権というのは、教育問題に非常に関心が高い政権なんですね。で、前回の安倍政権の時に、道徳の教科書で『心のノート』というものを作りました。その時に僕が、『心のノート』って本当に気持ち悪い本なので、徹底的に批判したんです。「あるべき心」のオンパレード、そんなの教科書で文科省が作ってどうするの? と。
 そうしたら、自民党の義家弘介さんが怒りまして、「藤原さん、改訂して徹底的に直します」と。で、倍の分量になったんですよ。その中身はというと、もとの部分はほとんど変わってなくて、実は、偉人伝がすごく入っているの。とにかく偉人伝が大好き。

重松 なるほど。だけど、やっぱり偉人伝の“偉”は、偉い人というだけじゃなくて、「異人さんに連れて行かれた」の“異人”ね。あるいは違うという字の“違人”でもいい。

藤原 なるほど。

重松 何か「偉い」というのは、上下の関係になっちゃうけど、これが「違う」になったら、横の関係になって、常識の外側にいるとか、そういう成功の外側にいるという言い方に多分なると思う。だから、偉人伝の人というのは、縦の関係で偉いわけじゃなくて、こんな失敗をやったのに元気だねっていうところで、みんなを褒めたいなと僕は思う。

藤原 さすが作家ですね。「異人伝」や「違人伝」的な評伝をプロデュースしていってほしいし、そういうものだったらぜひ義務教育ど真ん中の学校図書館や高校の図書館にガンガン並んでいてほしいと。こういうことでまとめていただきましたね。

重松 しゃべりすぎて恐縮です。ごめんなさい。

(東京国際ブックフェア会場にて、二〇一四年七月四日)

藤原和博 教育改革実践家。元リクルート勤務、杉並区立和田中学校元校長。著書に『人生の教科書 [よのなかのルール]』『坂の上の坂』『つなげる力―和田中の1000日』『負ける力』など。

重松清 小説家。『ナイフ』で坪田譲治文学賞、『エイジ』で山本周五郎賞、『ビタミンF』で直木賞、『十字架』で吉川英治文学賞受賞。近著に『赤ヘル1975』など。


 

第Ⅰ期(全一五巻)
[二〇一四年八月下旬・五巻刊行]
スティーブ・ジョブズ/長谷川町子/アルベルト・アインシュタイン/マーガレット・サッチャー/藤子・F・不二雄

[以下、毎月二巻ずつ刊行]
本田宗一郎/ネルソン・マンデラ/黒澤明/レイチェル・カーソン/ココ・シャネル/岡本太郎/安藤百福/ヘレン・ケラー/市川房枝/ワンガリ・マータイ

イラストレーション  寺田克也
ブックデザイン   名久井直子

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