【対談】吉本隆明、講演の魅力 ――やわらかい入門書
吉本隆明〈未収録〉講演集全12巻
刊行記念
宿沢あぐり 一九五三年生れ。吉本隆明の資料蒐集や資料に関する論考を発表。現在、『吉本隆明資料集』(猫々堂)で年譜を連載。『吉本隆明全集』(晶文社)の著作年譜、書誌を担当。著書に詩集『〈一家〉心中』等がある。
宮下和夫 一九四二年、神戸生れ。学習院大学卒業。徳間書店編集部を経て、七二年、弓立社創業。吉本隆明・橋川文三の著作や『東京女子高制服図鑑』(森伸之著)などを出版し、二〇一一年、後進に譲る。『吉本隆明〈未収録〉講演集』全12巻、編者
〈未収録〉講演集の特色
宿沢 最初に、宮下さんは、どのような理念をもって今回この〈未収録〉講演集を企画されたのか。そこをお聞かせいただければと思います。
宮下 吉本さんの講演の音源や発表誌がたくさんあるから、〈未収録〉といっても落穂拾い的に本をつくろうとは思わなかった。吉本さんの単著には入っておらず、雑誌や新聞掲載だけ、または音源のみしかない講演でもテーマ別に全12巻で明確な巻立てができるという確信があったから、講演集をつくろうと考えたんです。
宿沢 僕は第1巻の附録になる全講演リストの作成をお手伝いしたんですが、最初頂いた時から講演数が五〇ぐらい増えたんですよ。吉本さんの資料蒐集の第一人者である川上春雄さん作成の年譜や宮下さんから頂いた講演メモをたよりに、講演の主催元や図書館などに調査のお願いをしました。
宮下 それで五〇も増えるなんて、すごいですよね。
宿沢 以前、資料がないという回答があったところにも再度問い合わせたんです。あとは僕のほうで偶然拾い上げたもの、前から分かっていたものもありましたので、それを付け加えさせていただきましたが、まだあると思いますね。吉本さんは「今度こういう講演がある」というようなことをめったに言わない方でしたよね。講演のことを記録して残しておくということもしない。宮下さんは、どこから講演の情報を得ていたんですか。
宮下 たとえば、ご自宅に行って話をしている時、吉本さんが「ちょっと用事があるんで、あなたはのんびりしていってください」と言って出かけていった。そうしたら奥さんに「宮下さん、今日お父ちゃんは講演があるのよ。あなた知らないの?」って言われてあわてて追っかけて行ったことがあります。これは極端な例ですけど、そのぐらい、吉本さんは講演について言わないんですよ。別に講演のことを知られるのが嫌なのではなく、それが自然体なんですね。だから、僕がどうやって講演のことを知ったのかは、あまり覚えていないんです。
宿沢 主催者が宮下さんに、講演会があることをいつも知らせてくれるわけでもないんですよね。
宮下 ええ、そういうことはほとんどないです。知らせてくれたのは宿沢さんのところ、『修羅』同人の太田修さん(講座「良寛」「農村の終焉」「日本農業論」「農業からみた現在」など)、あとは北九州の金榮堂書店ぐらいですかね(「〈アジア的〉ということ――そして日本」など)。直接教えてもらったものもいくつかあります。でも、それ以外はどこかから何となく情報を得ていたんです。
宿沢 それでもなお、宮下さんは吉本さんの講演を追いかけていた。
宮下 ええ、その通りです(笑)。僕がある大学の先生にそう言ったら、ずいぶん顰蹙を買いました。「いい大人が追っかけだなんて」とか。
宿沢 でもそうやって追いかけていなかったら、講演集を出版することはできなかったでしょう。
宮下 そうですね。記録は残っても、講演集はできない。
宿沢 今回の〈未収録〉講演集では、新しく見つかった八本の講演テープを起こし、収録している。これらの講演は、吉本さんの古い読者にもあまり知られていないのではないかと思います。ただ、講演をした記録が残っていても音源が見つからないものがあります。第1巻附録の全講演リストに記しましたが、いくつかはどなたか録っている方がいらっしゃるのではないかと思います。
宮下 誰かが録音している可能性はゼロではないですね。
作品としての「話し言葉」
宮下 吉本さんはずっと「自分は講演が下手だ」と言ってたんですが、講演・文章の中で二回だけ自らそれを否定しています。一回は一九八二年一二月八日、無限ゼミナール主催の「〈若い現代詩〉について」という講演です。この中で「僕は常日頃、自分のお喋り自体をひとつの作品にするつもりで喋っています」と言ってるんです。
この言葉からは、相当な自信がうかがえます。
もう一回は『吉本隆明全講演ライブ集第一巻〈アジア的〉ということ』(弓立社、二〇〇一年)の広告に使った吉本さんの文章ですけど、「人まえで喋言るのは苦手だと言いながら、書き手のなかではよくお喋言りしているほうではないかとおもう。喋言ることでは他人に通じないという思いから書く手習いをはじめたと思い込んできたわたしには、ある時から講演とかインタビューとかを、書くことの方へ近づけようという意識的な習練を心がけたことがあった。そのために幾つかの試みを課した記憶がある。苦手の意識をふり払うため、というのがそのモチーフの主なものだった。聴かれた人がわたしのこのモチーフに気づかれたことがあるかどうかは判らない。でも、音声の伝わり方に新たな理解の視野が加わっていると感じてもらえたら、これ以上の喜びはない。」
つまり、かなり意識的に講演しているわけです。「上手い」とか「下手だ」ではなく本人としては講演を意識的に書くことのほうに近づけようとしていた。
吉本さんは決して、講演が下手ではなかった。講演で、作品のようなものをつくろうとしていた。このことはぜひ言っておきたいと思います。
宿沢 僕も今回(第1巻)の月報にちょっと書かせていただいたんですが、吉本さんは人前で喋るということをかなり明確に意識されていた。講演・聞き書きともに平易な言葉で語られているんですが話し言葉で作品をつくるための習練をずっとされていたのではないでしょうか。
宮下 そうでしょうね。
宿沢 宮下さんにも「宿沢さんのように、講演とその記録をこれだけ追いかけている人はあまりいない」と言われたんですが、もしかしたら僕自身もそういうことを考えていたのかもしれません。吉本さんの講演をひとつの作品として捉え、意識的に追いかけようとしていたのかなと。
ところで、吉本さんは、講演の起こし原稿に何度も赤字を入れるんですよね。宮下さんが『吉本隆明全講演ライブ集』を出された時、吉本さんは最初のうちは自分で起こし原稿に赤字を入れ、CDの別冊付録をつくったんですけれども、ある時からそれを宮下さんに任せるようになったんですよね。
宮下 途中から文責・弓立社になりました。
宿沢 どういう経緯でそうなったんですか。
宮下 テープ起こし原稿に入れてある赤字には二つの意味がある。まず、テープと起こし原稿を統一する。テープを聞きながらチェックすると、起こし原稿では省かれた言葉があったりする。つまりテープと起こし原稿を統一し、なおかつ起こしに反映されていないテープの言葉を書き加える。厳密には、ここで入れた赤字をテープでもう一度確認し、修正を加えていかねばならない。吉本さんが話す時の癖がありますから、それを僕が聞きながらチェックして、省かれている場合には書き込んでいかないと駄目なんです。
宿沢 吉本さんは、ある時期までご自身でそういうことをおやりになっていたと。
宮下 吉本さんは普通にテープ起こしされた原稿に赤字を入れた。原稿、初校、再校と三回赤字を入れたこともあります。それを喋った状態に戻せとは言いません。
宿沢 ある時期からそれを宮下さんに任せるようになったんですね。
宮下 吉本さんは目が悪くなって、原稿をチェックしたりするのがきつくなった。それで『ライブ集』全二〇巻の第九巻あたりから、僕が任されるようになりました。
宿沢 よほど信頼されていないと、そういうことはないですよね。宮下さんのように、現場に頻繁に足を運んでいた編集者はほかにいないでしょう。
宮下 そうですね。
宿沢 関東近県だけでなく、全国ですからね。
宮下 ええ。北海道や沖縄には行ってませんけど。
若い読者へ
宮下 今回の講演集に関して、宿沢さんから「とにかく若い人たちに読んでもらえるような講演集にする」という宿題を出されました。七二歳の僕からすれば、宿沢さんだって若いですよ。まだ六一歳でしょう。
宿沢 いや、若くないですよ(笑)。
宮下 吉本さんが多くの人を惹きつけたのは一九六八年頃だと思うんですが、その頃、宿沢さんはまだ一五歳ですから。
宿沢 ええ。だからその頃のことはまったく知らなくて。
宮下 いつどのようなきっかけで、吉本さんのことを知ったんですか。
宿沢 吉本さんのことを知ったのは、二〇歳を過ぎてからですね。『埴谷雄高作品集』(全一五巻別巻一、河出書房新社、一九七一~一九八七年)の第一巻に、吉本さんの『死霊』についての解説が載っていて。僕は埴谷雄高さんのことが好きだったんですけど、あの解説ではかなり批判されていた。僕はそれを読んで「ああ、こういう考え方もあるのか」と思って。それから興味を持ったんです。
宮下 そのあたりから、本格的に読み始めたと。
宿沢 僕は団塊世代の後に生まれたので、六〇年代の吉本さんを知らない。
宮下 では今のように資料を集めるとか、そういうことを始めたのはいつ頃ですか。
宿沢 仕事で社会教育の講座を担当することになり、思い切って吉本さんを呼んでしまおうと。それが一九八三年三月五日の「『源氏物語』と現代」という講演です(山梨県石和町教育委員会主催)。資料を集めるようになったのは、それよりも後です。
宮下 そのあたりが、僕にとっては非常に興味深い。僕よりも若い世代が、何をきっかけに吉本さんに傾倒していったのか。具体的に何を読んでそうなったのか。
宿沢 僕らが若い頃、吉本さんはまだお元気で、精力的にいろんな仕事をされていました。でも今はもういない。だから今の人は、たとえば長女のハルノ宵子さんの漫画やエッセイ、次女のよしもとばななさんの日記や小説のあとがきなどで吉本さんのことが書かれているのを読んで、興味を持つ可能性もある。
宮下 これは宿沢さんがいろいろと調べておられることですが、教科書や試験問題に採用された吉本さんの文章というのも、若い人が興味を持つひとつのきっかけになると思うんです。また講演集というのは入門書的な要素があるから、そういう意味では非常に入りやすいと思うんですけど。
宿沢 吉本さんはお年を召され目がすごく悪くなって、ご自身で精力的に書くということができなくなってから、聞き書きという方法をとるようになった。とりわけ、若い人たちを対象とした本を数多く出されています。それを読んで、興味を持つという可能性もあります。
教材については今のところ、吉本さんの詩や文章が採録されているのは高校生の教科書のみです。小・中学生を対象とした教科書には採録されたことがないと思います。僕が調べたのは二〇一二年ですから、今は多少状況が変わっているかもしれませんが。でも『少年』(徳間書店、一九九九年)や『15歳の寺子屋 ひとり』(講談社、二〇一〇年)、『ひきこもれ――ひとりの時間をもつということ』(大和書房、二〇〇二年)といった作品は、わりと教科書に載りやすいのではないかと思いますね。
あとは入試問題に採用されると、若い人が興味をもつきっかけになりますよね。たとえば『13歳は二度あるか』(大和書房、二〇〇五年)という本が出たことにより、中学校の入試問題に採用されるようにもなったようです。そこで興味を持った方であれば、今回の講演集も理解しやすいのではないでしょうか。それに、大学の入試問題では吉本さんの作品は、非常に多く採用されています。
宮下 そんなに多いですか
宿沢 『マス・イメージ論』や『ハイ・イメージ論』、講演では「渦巻ける漱石」とか『愛する作家たち』や『詩人・評論家・作家のための言語論』などからも出題されています。
吉本さんの作品のうち外国で翻訳されているものもいくつかあります。ほとんどが詩作品ですけど、『自立の思想的拠点』や、講演では「現代とマルクス」「幻想論の根柢」などもあります。吉本論を博士論文で提出している人もいます。
吉本さんの単行本が国外で初めて出版されたのは韓国で、『ひきこもれ――ひとりの時間をもつということ』が翻訳されています。
吉本さんは、日本思想史、世界思想史に名を連ねる方だと思うんです。思想・文学を研究していくのであれば、吉本さんの作品・思想を避けて通ることはできないはずです。今、詩や文芸批評を書いてらっしゃる方には大学教授が非常に多い。その方々がゼミや講義で吉本さんのことを取り上げれば、若い人も興味を持つのではないかと。
宮下 そこで取り上げられるというのは、大きいですよね。
宿沢 それに吉本さんの作品はさまざまな分野から入ることができます。若い人も自分が求めているものやヒントになるものがきっと見つかると思いますね。
宮下 本当はいろんな方が言ったほうがいいと思うんですが、最後に、僕が若い人に勧めたい、吉本さんの著書をあげたいと思います。『増補 最後の親鸞』(春秋社、一九八二年)『吉本隆明初期詩集』(講談社文芸文庫、一九九二年)、『源実朝』(ちくま文庫、一九九〇年)、『背景の記憶』(宝島社、一九九四年)、『愛する作家たち』(コスモの本、一九九四年)、を勧めたい。僕は批評家でも何でもありませんが、編集者として勧めたい本がありまして、挙げてみました。
(二〇一四年一一月五日 筑摩書房にて)
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