山谷メモリー・3 地霊/多田裕美子


 一九九九年の夏から始まった玉姫公園での青空写真館。胡散くさい姉ちゃんだなと遠巻きの恐い視線は、すぐにあつい接待に変わった。私の周りにはいつものように、酔っぱらいのケンさんが折りたたみのサマーベッドを広げて昼寝をし、ギャンブル好きの折さんは赤い座布団で一人花札に夢中だった。私は、店(青空写真館)の前で邪魔しないでと冗談交じりに言うが、まるでおかまいなしの二人。折さんがもう今日は客は来ないから姉ちゃんもいっちょやるかと花札に誘ってくる。まあいつもの事だ。そうと決まれば折さんは誰かにお金を借りてくる。そんなギャンブルの神様はだいたい負けてばかりで、私のポケットは小銭でパンパンになる。たまに公園の外からバイクに乗って偵察に来ている父は、お前は写真撮らないで花札ばかりしているなと。その通りだった。
 公園の隅でいつも睨みをきかせているガタイのいい中山さんも、姉ちゃんは何しにきたんだ、写真を撮らないのかと、花札に興じている私に発破をかけてくれる。酒もギャンブルもやらない潔癖症で、私の最初の用心棒的存在だった。ある時ひどく酔っぱらっている男が私をからかい、負けずに応戦してたらいきなり、その男の顔に中山さんのパンチが入った。顔から血を流して男は大人しくなった。ボクサーの経験ありと聞いていたので、中山さんを怒らせてはいけなかった。だが中山さんの庇護の下では他のおじさん達が近づいてくれなくなる。そんな私の心配はご無用だった。よっぽどの事が無い限り中山さんは手を出さないし、離れた所から見守ってくれていた。朝、写真機材を積んでタクシーで公園に着くと、すぐに中山さん一派がわっとやって来て荷物をおろしてくれる。タクシーの運ちゃんは慌てて去って行く。陽が傾いてくればさっさと帰れと、また機材を運んでくれた。格闘技一家で水戸出身の、怒りと優しさの塊のような男だ。
 小銭で膨らんだポケットと同様にカメラバッグもおじさん達からの差し入れで、帰る時は重たかった。缶ビールや大五郎のワンカップはもちろん、帽子や雑貨、高級メロンをくれたのは七十代の紳士。ハットとステッキで上等なスーツや粋な和服姿で、名刺には社長の肩書き。日本が大敗を喫し多くの犠牲者を出したインパール作戦をくぐり抜け、その時の傷が背中にある、すさまじい生命力をもつ。家族と離れ気ままな一人暮らし、若い女性と遊ぶのが生き甲斐という。
 いきなりやってきて眼の奥から鋭い睨みをカメラのレンズに突き刺した男がいた。今にも殴り掛かってくるのではないかと思ったので、ただシャッターを押し続けた。ファインダーからみた顔貌はこわかったが写真には暴力性はまるで写っていなかった。航空自衛隊にいて空を飛んでいたという。岩手出身の七人兄弟の末っ子で、ちょくちょくやって来ては知らない本や作家の名前を教えてくれた。浅草の写真展では毎日やって来てギャラリーの案内役をし、自分の写真の前に座ってじっと見入っていた。
 公園から帰ってくるといつもどっと疲れる。気を張ってもいたが、山谷の男達に生気をぬかれる。極端な資質、共存できないひとり突き抜けている生命力に、それ故に果たされなかった優しさに。

(ただ・ゆみこ 写真家)

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