『生贄夫人』の衝撃/みうらじゅん


 初めて見に行った日活ロマンポルノ。今から40年以上も前のことなのに思い出は妙に新鮮だ。その頃、男子高に通ってた僕は“オッサン”というアダ名の同級生に誘われ、期末テストが終ったその日に京都・千本日活という大人の臭いがプンプン漂う映画館に向った。「大学生二枚」、流石、オッサンとアダ名されてるだけある。同級生は堂々、チケット売場で言ってのけた。ロビーはタバコのヤニとカビ臭さで童貞の僕を怖じけづかせた。
「さぁ、行くで」、オッサンはそんな僕の肩を押し劇場内に入って行った。黒いビロードのカーテンを抜けるとそこは闇。どこに座っていいやら暗過ぎて見えない。しばらく後ろの柵のところに立って上映中のポルノ映画を見た。当時、日活ポルノは三本立てだったのでタイトルすら分らなかったが、それでもセックスシーンが始まると、当然、息を飲んだ。「おい、座りに行こ」、オッサンに言われた頃には目も慣れてきて、広い客席に5、6人のオヤジたちが座っていることが確認出来た。席に着き、じっくり見ようと思ったら、一本目はアッサリ終ってしまった。
 短い休憩を挟み、次に始まったのが『生贄夫人』という和服を着た婦人が主人公の映画。何の前知識もなかったのでストーリーの展開は全く読めない。しかし、和服の女の人が荒縄で縛られ出した時、“これが世に言うSM映画なのか!”と気付きドキドキした。
 和服の女の人は熟女に見えた。眉間にいっぱい皺を寄せ、その責め苦に耐えている。舞台が山中に移ってから一層、その激しさは増したが、快楽すら表情に浮べ出した時、“この婦人は何を考えてるんだろう?”と思った。途中、心中に失敗したカップルが山の廃屋に連れ込まれるシーンもあり、何と若い女が浣腸されていた。何もかもが想定外の展開。僕はスクリーンに釘付けとなった。
 荒縄が和服の婦人の胸を締め付ける。巨乳なんて言葉がなかった時代、大きなボインがさらに大きなボインへと変化し、よく見ると乳輪も少し膨れ上っている。しかも柔乳。木に縛り付けられ男が揉みまくる。“あぁ……”
 僕はこの瞬間、大量のカウパーを放出したことを自覚した。そしてラスト、和服の婦人が便所に連れて行かれ脱糞。何、何なんだ!? 僕は映画が終ってもしばらく呆然としてた。
「オレ、SM苦手なんや」、オッサンはそう言って席を立ちトイレに向った。
“僕は変態かも知れない”、ズボンの隆起が治まらず、そんな心配をした。次の上映が始まっても『生贄夫人』の興奮は醒めやらず、単に裸と裸が絡むセックスシーンに物足らなさを感じた。
 映画館を出ると既に陽は落ち、商店街には夕飯の買い物をするおばさんたちの姿。突然、現実に引き戻され戸惑った。「ほな、また来月行こうぜ」と、オッサンがいなくなった時、僕は商店街を疾走した。早く家に帰って、頭に焼き付けたSMシーンでヌキたかったからだ。あれから僕はオッサンの手を借りることなく一人で映画館に行った。もう、その頃には和服の婦人が“谷ナオミ”さんであることも知っていたし、特に“団鬼六”シリーズのSMモノは欠かさず見た。
 今でこそSMは誰もがフツーに口にする言葉となったけど、あの当時、カミングアウトなんて有り得ない。僕は20代後半になるまでひた隠しにしてた。でも、一度くらい映画をマネて“縛ってみたい”。そんなドス黒い欲望が噴出してしまう夜もあって、つき合った彼女に「変態じゃないの?」と言われドキドキした。この度、僕が見てきたSM映画の縛り師の方の本を読ませて頂いた。谷ナオミさんや東てる美さんのことも載ってる。彼女たちがどれだけプロフェッショナルな女優さんだったかも知った。そして生半可な気持ちで縛りに憧れた自分を恥じた。SMと言うは易いが、その裏で大変な作業があったこと。それあっての妄想世界だから、今見てもAVなどが及ばない芸術映画であることは間違いないと思うのだ。

(みうら・じゅん 作家)

縛師――日活ロマンポルノSMドラマの現場
浦戸宏著 2400円+税

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