東京文人余話/大村彦次郎
まず言い訳から。東京で生まれ、育った文人たちを数え上げたら、それこそきりがない。それを百人百話でまとめようとするのだから、しょせん割愛せざるを得ない人物がかなりの数にのぼった。
小説家では著名度抜群の三島由紀夫、安部公房、星新一をはじめ、評論のほうでは当然入ってしかるべき中島健蔵、中村光夫、高橋義孝、福田恆存といった人を外した。庶民派の川上三太郎、岡本文弥、田河水泡、添田知道らも枠外になった。それに引きかえ、女優の水谷八重子、田村秋子、沢村貞子を文人扱いにした。つまりその取捨選択はもっぱら著者の恣意による。
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こんど書いてみて、気がついたことが幾つもあった。たとえば、昭和二十年の敗戦時に、まだ幕末江戸生まれの文人が三人生き残っていた。文久三年生まれの嵯峨の屋おむろ(八十二歳)、慶応三年の幸田露伴(七十八歳)、慶応四年の鶯亭金升(七十七歳)。いずれも歴とした幕臣の末裔である。
戦火の中、彼らはきびしい疎開流亡の生活を送らざるを得なかった。嵯峨の屋は千葉県牛久へ、露伴は長野県坂城へ、金升は山梨県甲府の在である。露伴同様、疎開先に長野県下を選んだ文人が他に何人もいる。真山青果、里見弴、宇野浩二、歌人の岡麓、それに早稲田で教鞭を執っていた岩本素白もそうだ。
素白は永年住み慣れた東京麻布の家屋を厖大な量の蔵書と共に戦災で焼失し、わずかの縁を頼って、千曲川のほとり長野県屋代町に落ちのびたが、山国の暮らしは何事にも勝手が違った。その頃詠んだ彼の一首。
よごれ物洗ふ小溝に食器洗ひあやしともせずこの町びとは
仮り棲まいの二階の窓からは棄老伝説で知られる姥捨の山が見られたが、これがかえって都会からの流人の身にはひとしおこたえた。
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田舎にツテもないところから、疎開もせずに東京に居すわっていた者もいた。永井荷風は麻布と中野で二度焼け出され、内田百閒は麹町で被災した。それでも命からがら逃げのびて、のちにそれぞれ罹災日記を書き残したから強運である。
このときの東京空襲で、焼死した文人が二人いる。山岸荷葉と野村無名庵。いずれも生前、あまりパッとしなかったから、知る人ぞ知るだが、歌舞伎、演芸の世界では忘れられない名前だ。二人のうち、荷葉は本名惣次郎。若い日、硯友社の尾崎紅葉に弟子入りし、一時は紅葉や露伴から、〈生っ粋の江戸っ子作家〉などと、折紙付きの賛辞を貰って、人気作家になった。しかし、自然主義の時代が来て、没落し、中年以降はもっぱら俳句、川柳、劇評などに手を染めたが、書家としても一芸を成した。晩年は日本橋浜町の自宅で書道塾を開き、暮らしを立てたが、洒脱な人柄だから、若い連中から慕われた。空襲当夜、近くの劇場明治座の地下室へ避難し、煙に捲かれて死んだ。享年六十九。
野村無名庵は本名元雄。日本橋の小学校で谷崎潤一郎と同級生だった。二人そろって秀才で、府立一中に進んだが、無名庵の実家が没落し、中学を途中で退き、以後、紆余曲折の人生を辿った。筆が立つところから、都新聞の演芸欄にしばしば投書し、当時、同紙の記者をしていた長谷川伸に認められ、終生の交誼を結んだ。
彼の業績で特筆すべきは戦時中に「落語通談」、「本朝話人伝」という、江戸宝暦以来の名人、上手とされた講釈師、落語家の列伝を執筆、刊行したことである。綿密に取材された名著といってよい。無名庵の没後、四十年近くを経た昭和五十七、五十八年に両作品いずれも中公文庫から再刊され、評判を呼んだ。
荷葉の死は三月十日の空襲であったが、無名庵は五月二十五日の夜、山の手一帯が被災した折、小石川区武島町で焼死した。荷葉よりひと回り下の享年五十七。この二人、拙著では荷葉を入れ、無名庵を外した。
(おおむら・ひこじろう 元編集者)
『東京の文人たち』
大村彦次郎
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