ポランニー研究の新たな地平/中山智香子

 たしか今年四月のまだ少し肌寒い頃、ある会合で若き俊英の人類学者Sさんとご一緒したときのことだ。会合の終わり近くにSさんが突然に神妙な面持ちで「仁義を切ります」という。うかがえば、数名でカール・ポランニーの翻訳をしているとのことであった。一介のポランニー研究者に対してなんとも義理堅いのだが、当方もちょうど原本を手に入れて読み、関連する論文を構想していたところだったのでびっくりした。その翻訳が、このたび刊行された『経済と自由――文明の転換』である。同じくちくま学芸文庫の『経済の文明史』(二〇〇三年)、『経済と文明』(二〇〇四年)とあわせて、カール・ポランニー・コレクションが一段と充実したことになる。

 二〇一四年はポランニー没後五〇年、主著『大転換』刊行から七〇周年の節目の年で、ポランニー研究所のあるモントリオールのコンコーディア大学に世界各国から百名近くが集まって、研究集会が開かれた。ピケティとの比較やベーシックインカム論など現代的なテーマの報告も多く、ポランニーを題材とした最新のドキュメンタリー・フィルムが上映され、デジタル・アーカイヴ公開が発表された。本書はこのポランニー2・0ともいうべき研究の進展と相前後して、イタリアの気鋭の研究者が未刊行の講演録や講義メモを中心に編んだ選集の邦訳である。
 原題は第1章の表題「新しい西洋のために」(一九五八年の原稿)である。これを「経済と自由――文明の転換」としたのも見事な訳業だが、「西」に対する熟考は、ハンガリーという「東」世界を知的出自とするポランニーの思想的特質でもある。だからこそ彼は、西洋文明が科学、工業技術、経済組織の力に恃んで自由主義の名のもと、思考停止からついに核兵器使用に及んだこと、その後のアジアの諸革命の高まりのなかで、新たな価値観と対話が必要であることをいち早く見抜いたのだ。第一次大戦直後から一九五八年までをカバーする本書の諸論考は、世界戦争や核戦争の危機という激動期の国際政治と世界経済のなかで、揺るぎない平和の公準を見極めようとしたポランニーの透徹した眼差しに貫かれている。
 これに関しては、編者のカタンザリティが編者解説2で指摘するとおり、カール・シュミット、とりわけ「政治的なもの」の概念からの影響が重要な論点である。しかしその有無がどうあれポランニーは、平和主義に批判的な立場をとった。戦争を精神や気質の異常に帰し、戦争は割に合わないとする平和主義の擬似理想主義は、戦争を防げないばかりか、むしろ危険ですらあるからである(第6章「国際理解の本質」)。戦争利益は「大いなる幻想」であるという平和主義を唱えて一九三三年にノーベル平和賞を受賞したノーマン・エンジェルは、ポランニーが批判した対象であった。他方でまた、戦争は割に合わないから避けられるという考えは、その後の抑止論による平和、つまり脅威を示して戦争を避けるのは経済的合理性であるとした冷戦期の思考法にも通じている。つまりここでは抑止論的平和主義もまた、潜在的かつ先取り的に批判されている。
 ポランニーは、戦争も制度のひとつであるとする。そして共同体には境界が存在し、境界が脅かされるとき、他に制度がなければ「戦争を引き起こさなくてはならない」、つまり「なんびとによっても望まれない戦争」が存在する。この基本的事実を認めることなしに、戦争を避ける政治や政策の模索はできないという。本当に戦争を回避するために、戦争正当化との危ういギリギリの一線へと肉迫するポランニーの思考の軌跡を、読者は注意深く辿るだろう。そこに新たな価値観の真髄が垣間見える。政治、自由、社会科学についてもまた然りである。
 訳文は十分練られて平明かつ品があり、端正な思想とよく馴染んでいる。時代と場所を超えてポランニーが現代世界によみがえり、直接語りかけてくるようである。

(なかやま・ちかこ 経済思想)

カール・ポランニー 著
福田 邦夫 翻訳 , 池田 昭光 翻訳 , 東風谷 太一 翻訳 , 佐久間 寛 翻訳

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