【特集 ちくま文庫30周年記念】菊池亜希子/るきさん時代


 いつか結婚して女の子が生まれたら「るき」と名付けたい。そもそも私はまだ結婚もしていないし、母親にもなっていない。それとは関係なく、“こどもの名前を考える”ことが好きな私は物語を紡ぐような感覚で“つけたい名前”を日々ストックしている。どんどん入れ替わるランキングの中で、“るきちゃん”はいつも上のほうにちょこんと座っている。
『るきさん』という漫画には、いわゆる“おとしごろ”(アラサーとは言いたくない)なふたりの女性が登場する。自由気儘でどこか浮世離れしたオリーブ体型の“るきさん”と、お洒落大好きで世話焼きな“えっちゃん”。ふたりは未婚で、恋人もいない。“おとしごろのおひとりさま”を描いた作品はいつの時代も存在するけれど、『るきさん』はそういった類いの作品に漂う辛辣さや湿っぽさが1ミリもなく、秋晴れのようにカラリと明るく心地いい風が吹いている。心配事があって動悸がするようなときでも、それを「ワクワク」だと言ってしまう“るきさん”は私にとってお守りのような存在で、私はこの文庫をいつもストックしておいて、ひょいと友達にあげたりしている。
 そもそも、るきさんの生活は素敵ではない。座椅子に体操座りして新聞を読んだり、洋服を丸ごといっぺんに脱いじゃったり。おしゃれな雑誌に登場するような“丁寧で素敵な暮らし”では決してないけれど、喫茶店で静かにウトウトしたり、おせんべいをくわえて玄関から飛び出たりしながら、私の暮らしの中にいる“るきさん”を見つけるたび、にんまりするのだ。
“るきさん”が「Hanako」で連載されていたのは、80年代後半から90年代はじめ頃。作中にコムサデモードのベレーとパーソンズを着た小学生の女の子が登場するのだけど、年代的にもファッション的にも、私はあの女の子と同世代だろう。そんな少女が成長して大学生になった頃に『るきさん』と出会い、ことあるごとに読み返し続けることになるのだけど、30歳を越えた今、ようやくこの豊かさが理解できたような気がしている。思い返せば、私のまわりにはいつの時代も“るきさん”や“えっちゃん”がいて、私の中にも“るきさん”と“えっちゃん”は両方存在していた。
 思い出すのは、大学時代の先輩。おかめ顔で赤ちゃんみたいに肌がきれいで男っ気がまったくなく、いつも同じような格好をしていた。彼女の言動はいつも健やかで面白くて、だからと言って優等生ってわけでもなく、ニヤニヤしながら意地悪をしたりする。そう、彼女にはニヤニヤとか、ルンルンとか、そういう楽しげな擬態語がいつもくっついていた。かわいい人や素敵な人にはたくさん出会ってきたけれど、心の底から「かなわないなあ」と思うのは、もしかしたら彼女だけかもしれない。そんな彼女は、あるとき突然結婚してふわりと海外へ移住した。彼女はどこまでもるきさんで、彼女といるときの私は、完全にえっちゃんであった。そしてもうひとり、大学を卒業した頃に出会った7つ年上のトモダチ。彼女は背格好や性格も含めて完全にえっちゃんで、彼女にとって私はるきさんのような存在だったと思う。彼女とは、同じマンションの隣同士に住んでいたこともあり、とにかく長い時間を一緒に過ごした。用もないのに入り浸ったり、風邪をひいたらスープを届けて家事をしてあげ、張り切って餃子を焼く姿を拍手で見守ったり、「今、気ィわるくしたかな」とこっそりご機嫌を伺ってみたり。基本的に彼女が“えっちゃん”役を一手に引き受けてくれていたけれど、そのときどきでお互いが“るきさん”になったり“えっちゃん”になったりしながら、私たちは“おとしごろ”になっていった。
 私を含めた私のまわりの“るきさん”たちが、ノンキに生きたい気持ちを揺るがす今の時代。「早よヨメいかんとー」と笑って小突き合いつつ、みんな踏ん張って生きている。すべての“るきさん”たちの未来が、ウフフと楽しいものでありますようにと心から願うばかりだ。

(きくち・あきこ 女優・モデル)

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