街角シャーロックのすすめ/松原始

「考えてもみたまえワトソン君!」
 シャーロック・ホームズ氏がしばしば発する言葉だ。ホームズ氏の観察眼によって、欄干の小さな傷やワイングラスの汚れが真実を語り出すのは、痛快な体験である。残念なことに我々にはホームズ氏ほどの叡智がないので、このような経験をする機会はない。だが、ちょっと目を止める、あるいは耳を傾けるだけで、気づいていなかったものが急にはっきり見えるという経験なら、すぐできる。この本を読めばいい。
 家を出て駅まで歩く間に、鳥を見かけることは普通にあるだろう。電線にツバメが止まり、ハトが「ででっぽー」と鳴き、頭上でスズメがうろうろし、カラスがピョンピョン、のしのしとゴミに近づき、小さな鳥が幹を伝うように動き、駐車場を尻尾の長い小鳥がテケテケと駆け回る。こういった光景は、野鳥の会に入って図鑑を買って双眼鏡を持って望遠レンズ付きのカメラを構えなくても、当たり前に見ることができる。
 では、この鳥たちは一体誰で、何をしているのか? もちろんスルーしてしまってもいいのだが、もし、ちょっとわかったら面白くない?
 例えば、カラスの歩き方の違い。例えば、ハトの羽の色。例えば、頭上の換気口あたりからピイピイと声が聞こえたら、それはどういう意味か。ツバメの巣があって、つがいがいるのに、もう一羽のツバメがやって来るのは、何をしているのか。
 こういった身近な鳥たちの行動を、正確だが気負わない筆致でサラリと説明されれば、「ふんふん、なるほど」と納得が行く。「そういえば見たことがある」と思い出しながら、鳥の行動が腑に落ちるはずだ。本書を一読した後で町に出てみれば、電線に雌を狙うツバメの独身雄が止まり、キジバトが「ででっぽー」と鳴き、頭上の電柱にスズメが巣を作っており、電線から舞い降りたハシブトガラスがピョンピョン、のしのしとゴミに近づき、コゲラが幹を伝うように登りながら餌を探し、駐車場をハクセキレイの雌がテケテケと駆け回るのに、気づくはずである。
 知ることにより世界は解像度を増し、それゆえに世界が興味深く、また愛おしいものになる。これがこの本の第一の効能である。
 もう一つ、強く感じたのは、この本は都市鳥を語る、新世代のスタンダードだということだ。ハシブトガラスやキジバトなどがどんどん都市部に進出してきたのは、1970年代以降である。かつての「都市鳥論」は、大仰に言えば、こういった鳥たちを「環境破壊の犠牲者」「都市という住みにくい環境に適応した驚くべき鳥たち」という目で見る傾向があったと思う。
 だが、それから数十年。街に住む鳥たちは増え続け、種によっては「むしろ邪魔」と言われ、もはや「彼らは都市をごく普通の生活環境の一つと見なしている」としか言えなくなっている。あたかも、ハイブリッドカーやスマホが生まれた時からあり、友人達とはラインで繋がっているのが当然の世代のように。
 筆者は第一章で、はっきりと「町の中にいる鳥は、あえて好き好んで町の中にいます」と宣言する。そして都市を一つの環境として生態学的に捉える。まるで、都市を当たり前に受け入れる鳥たちのように。ここに、観念論ではない現役の研究者の目を感じるのである。
 この本は学術的な誠実さと、読み物としての気軽さを両立した希有な作品である。扱う種数は多くはないが、種数を絞ることで、それぞれの種についてきちんと解説できる頁数を確保している。単なる図鑑ではなく、鳥を観察し考えるための入門書としては、これが正解だろう。
 この本を読み終えてから外に出れば、ホームズ氏のように、こう言えるはずだ。「や、雛の声が聞こえるね。それに、あの換気口から藁が一本垂れているじゃないか。スズメが巣を作っていて、雛の巣立ちが近いということさ!」
(まつばら・はじめ 東京大学総合研究博物館)

ちくま新書
三上修著
940円+税

    2008

  • 2008年1月号
  • 2008年2月号
  • 2008年3月号
  • 2008年4月号
  • 2008年5月号
  • 2008年6月号
  • 2008年7月号
  • 2008年8月号
  • 2008年9月号
  • 2008年10月号
  • 2008年11月号
  • 2008年12月号

    2007

  • 2007年1月号
  • 2007年2月号
  • 2007年3月号
  • 2007年4月号
  • 2007年5月号
  • 2007年6月号
  • 2007年7月号
  • 2007年8月号
  • 2007年9月号
  • 2007年10月号
  • 2007年11月号
  • 2007年12月号

    2006

  • 2006年9月号
  • 2006年10月号
  • 2006年11月号
  • 2006年12月号

「ちくま」定期購読のおすすめ

「ちくま」購読料は1年分1,100円(税込・送料込)です。複数年のお申し込みも最長5年まで承ります。 ご希望の方は、下記のボタンを押すと表示される入力フォームにてお名前とご住所を送信して下さい。見本誌と申込用紙(郵便振替)を送らせていただきます。

電話、ファクスでお申込みの際は下記までお願いいたします。

    筑摩書房営業部

  • 受付時間 月〜金 9時15分〜17時15分
    〒111-8755 東京都台東区蔵前2-5-3
TEL: 03-5687-2680 FAX: 03-5687-2685 ファクス申込用紙ダウンロード