ナッツとニュートリノの悩める関係/青野由利

 原稿を書くと体重が増える。執筆中の落ちつかなさをなだめるため、大好きなナッツ類を食べずにいられなくなるからだ。
 前作『宇宙はこう考えられている』を書いていた時もナッツ太りした。ところが、刊行後に体調を崩し、体重は減少。ダイエットに成功かと思いきや、今回その貯金を使い果たし、元の体重を通り越して記録更新中。
 などと愚にもつかないことを言っていると、「ナッツとニュートリノと、どういう関係があるんだよ!」とられそうだが、実は大ありだ。
 素粒子ニュートリノは、今、こうしている間にも、あなたや私の体をビュンビュン通り抜けている。太陽からやってくるものだけでも1当たり1秒間に660億個に上る。今が夜だとしても、地球の裏側からスイスイすり抜けてやってくる。ニュートリノにとって、地球は透明なボールのようなものだ。
 太陽ほどの量ではないが、食べ物からもニュートリノは出ている。なぜなら、食品に含まれるカリウムの中に一定の割合で放射性カリウムが含まれていて、それが「ベータ崩壊」という現象を起こしてカルシウムになる時に、ニュートリノを放出するからだ。
 そしてナッツ類は、野菜や果物と並んで、カリウムの多い食品だ。従って放射性カリウムも多く含まれ、ニュートリノもたくさん放出している。だから本書を執筆している間、私の体からは普段より多くのニュートリノが放出されていたことになる。
 なんとも回りくどい話で申し訳ないが、「幽霊粒子」ニュートリノが、実は身近な存在であることが、わかっていただけたのではないだろうか。
 謎の素粒子ニュートリノを、さらに身近に感じさせてくれるのは、歴代の科学者たちだ。
 ニュートリノの概念を1930年に最初に提案したウォルフガング・パウリは、その提案を学術集会に手紙で伝えておきながら、自分は舞踏会に行ってしまう。パウリの予言通りの粒子を発見したフレデリック・ライネスは、当初、原爆を使ってニュートリノを検出する計画を立てていたという驚きの人物だが、その後、カミオカンデのライバルとして活躍する。
 太陽からやってくるニュートリノの謎を解くため、誰も信じてくれなかった実験をこつこつと続けたレイ・デイビスと、デイビスの年若い共同研究者として理論計算を続けたジョン・バーコールの物語も味わい深い。
 もちろん日本人の活躍は格別だ。カミオカンデを構想し超新星ニュートリノを捕らえた小柴昌俊さんはもちろん、梶田隆章さんらが発見したニュートリノ振動も、実は1962年に坂田昌一、牧二郎、中川昌美の三人が理論で提案していた。名古屋大が育ててきた原子核乾板、日本の原子炉を利用したカムランドなど、縁の下の力持ちとして欠かせなかった装置もある。
 ただ、身近であることは、わかりやすいことを意味するわけではない。白状すれば「ニュートリノ振動」は思った以上に手強かった。
「ニュートリノには三種類の型があり互いに変身する」「地球の裏側から飛んでくる間に別の型に変身するので元の型として観測される数が減る」と言われれば、わかった気にはなる。
 だが、その背後にあるのは量子力学だ。「ニュートリノは粒子であり波でもある」から出発し、「飛行中に三種類の波が重ね合わされてうなりが生じる」という話になり、「それが振動だ」と言われても、うーんと頭を抱えたくなるが、少しずつ理解が進むと、パズルを解くようにやみつきになってくる。
 しかも、その先には、「ニュートリノが「宇宙に反物質が見当たらない謎」を解いてくれるかもしれない」というおまけまでついている。複雑なパズルを楽しむつもりで読んでいただければ幸だ。
 本書の執筆前は「『宇宙はこう考えられている』の続編だから、楽だろう」とたかをくくっていたが、大甘だった。ニュートリノは奥が深い。体重がちょっと増えるぐらいは我慢するしかないかも(でも、この体重はニュートリノに質量があるせいではない)。これが本書を書き終えた実感である。
(あおの・ゆり 科学ジャーナリスト)

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