フラナリー・オコナー 強力な短篇の群れ/横山貞子

 よく知っているつもりの風景に、いきなり別の光があたって、ちがう深みと奥行きを生じる。フラナリー・オコナーの作品にはそういうところがある。それぞれ生まれ育った社会の環境や伝統の型の中で生きている人間の現実が、突然、強い光に照らし出され、人間という存在の中心にある神秘が明らかになる。作品の中でこの働きを実現することが自分の仕事だと、オコナーは考えていた。
「真実とは、かなりな犠牲をはらってでもわれわれが立ち戻るべきなにかである。」(「自作について」)
 そういう特徴が日本の読者にまっすぐ伝わる現場を、私は英文講読の授業で体験している。テキストは“A Good Man is Hard to Find”(「善人はなかなかいない」)。三十人あまりの学生が、今読んでいるものに集中しきっている、あの時のふしぎな感じを今も思いだす。後にオコナーの短篇を訳す仕事を思いたつきっかけになった出来事だ。


 オコナー(一九二五~六四)はジョージア州に生まれ育った。二十歳で南部を離れ、北部アイオワ州の大学院で創作を学ぶ。二十代のはじめに作家として認められ、ニューヨークやコネチカット州に住んで仕事を進めていたが、二十五歳のとき、クリスマスの帰省の途中で発病し、そのまま入院して母親の看護を受けることになる。回復のむずかしい難病で、十年前、父親がおなじ病気で亡くなっていた。
 この時以来、亡くなるまでの十四年間を、母親が管理をまかされていた農園で暮らすことになる。ここが彼女の生きる場所となった。その条件をオコナーはこう要約する。
「ここからは、現代世界がよく見渡せる。」
 この言葉が負け惜しみでも強がりでもなかったことを、彼女の作品は証明している。母親や、農園の働き手や、身近な人びとを題材にしながら、人間の現実の姿を凝視し、それを拡大してみせる。
 乾燥のはげしい夏、オコナーの母親は、農園内で火が出るのを心配していたらしい。この不安を種子として作品世界の中で大きく展開させ、所有と非所有、その問題をめぐる人間の悲哀にまで筆を届かせているのが、短篇「火の中の輪」だ。
 十二歳の娘を育てながら農園をやっているミセス・コープは、農園内で火が出ることを心配している。かつて農園で働いていた雇い人の息子パウエルが、友達をつれて突然やってくる。キャンプをするつもりらしい。パウエルの父は亡くなり、母は息子をつれて再婚したことがわかる。友達の一人が言う。
「こいつ、ここにいたころがいちばんよかったって言うんだ。いつだってここの話ばかりしているよ。」
 少年たちは十三歳くらいとなっていて、中学生の年齢。煙草を吸い、吸い殻をそのへんに捨てるようすに、母親の警戒感は強まる。早く引きあげてほしいという態度に少年たちは反感をもち、逆に何日も居座って、家畜にいたずらをしたり、石を投げたりする。自分が追い払ってやろうと森に入っていった少女は、少年たちのこんな言葉をきく。
「ここに住めたらいいのになあ!」
「なあ、ここはだれのものでもないんだぞ。」


 少年たちが森に火をつけたことをしらせに走る少女の心に、「これまで感じたことのない、言いようのない悲哀」が湧きあがる。そして、出火の場所にいそぐ途中で足を止めた母親の顔に、おなじ悲哀が表れるのを少女は見る。
「その悲哀は昔ながらのものに見えた。黒人、ヨーロッパ人、それからパウエル自身、だれのものであってもふしぎはない悲哀。」
 火の中で少年たちがあげる「荒々しく高らかな喜びの叫び」が、女の子には旧約聖書にあるユダヤの預言者たちの声のようにきこえた。
(よこやま・さだこ 翻訳家)

『フラナリー・オコナー全短編集 上・下』
横山 貞子訳











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