猫の集会の正体は……/浅生ハルミン

 嵐山光三郎さんはニャアという名前の猫を家で可愛がっておられた。そのニャアをモデルにして『旅するノラ猫』という小説をお書きになった。ニャアはもとは野良猫だったが、じょじょに嵐山家に出入りするようになった。私も嵐山さんが撮ったニャアの写真を一葉、見せてもらったことがある。真白いからだに稲荷鮨色の模様がちらばって、庭の、蓋をした瓶の上で伸びていた。瓶の中は湯? と思ってしまうくらいぽかぽかとした光景だった。ニャアは人なつこくて大事にされた猫。出かけたくなると二階の窓を足であけ、閉めはせず、勝手気ままに放浪していたかと思ったら百日紅の枝をつたって戻って来て、窓越しに一直線の眼で、「ニャーン」と鳴く。そしたらもう、やむをえず、嵐山さんは猫の窓あけ係にさせられてしまうのだった。そのニャアがある日家に帰ってこなくなった。『旅するノラ猫』の創作まっただ中のことである。
 思いだしてゆくと、私も嵐山さんに街角で拾われたのだった。あっ、拾われたというのはちょっと格好良すぎる言い方でしたとすぐさま反省。嵐山さんが新聞の取材で訪れた早稲田の古本屋さんに、私が描いた小さなイラストの載った小冊子がたまたまあった。嵐山さんはそのとき初めて私のイラストをご覧になった。そのことが始まりで、『旅するノラ猫』の挿絵を描かせてもらうことになったのだ。古本屋さんの店先で、私の描いた絵の鳴き声が嵐山さんに通じたのかしらん。こんなことが私の人生に起きるとはこれまで思ってもみなかったな、と嬉しくて浮かれ、妹に電話をかけて「今度奢ってやる」と大いばりしたことを思いだす。


 私は猫を前にしたとき人がどう身構えるのかを知りたい。猫は人の言葉を話さない生き物であるから、ニャアという声はどんなふうにも受け取れる。猫と目が合ったとき、引っ掻いてくる獣だと怖れるか、名前をつけて服を着せたいと愛おしむか、守るべき小さな命だと保護するか、思うままがいちばんだと思うか、人それぞれの強さや優しさや弱さがわっといっぺんにやってくるのだと思う。それはその人の地肌が見える一瞬のような気がして、私は、はっ、とする。
『旅するノラ猫』の連載中に、嵐山さんが電話で「次の回でね、猫を××しようと思うんだよ。いいか?」と真剣な声でおっしゃったことがあった。私はダメ出しをできるはずもなく、「はい、そうしましょう」と真面目くさった声で答えた憶えがある。私が猫好きの心配性なので、これは「ちゃんと挿絵が描けるか、大丈夫か、お描きなさいよ」というつっかえ棒なのだなと思った。嵐山さんの厚みのあるペンダコの多い手の中に、拾われた子猫がすーすー眠っているところが思い浮かんだ。その子猫は大事に扱われている、と思った。でも受話器を置いたあと、私の前に最上川(『旅するノラ猫』は奥の細道をゆくのです)が灰色の激流となってごわーっと横たわってきた。急転直下、嵐山さんが水泳部の鬼コーチにも思えた。この中に飛び込んで、絵を描いて泳ぎきらなくっちゃ! と心構えをした。


『旅するノラ猫』はとびきり愉しい猫の小説です。野良猫のノラが我が子を探す旅をして、俳句を詠み、念仏を唱え、トラックに乗り、草花をまとい、じつに充実して生きています。嵐山さんは猫の生態に通じていて、ふつうはこう、とみんなが決めてかかっている猫のしぐさの意味も、こんなふうに見えているのだなと胸が躍ります。葉っぱのしずくは猫の携帯電話であることや、猫の集会の正体は何だったかもわかります。そのようなふくよかでゴージャスでわくわくするお話が詰まっています。詰まっているだけでなく、これまで哀れなものにも悲しきものにも、やたらと神秘的にも深刻にもファンシーにもいかようにもされてきた猫についての話でありますが、『旅するノラ猫』には、猫を前にして何が書かれていないかということも深く追ってみていただけたらと思います。そこに嵐山さんという人の、万物への姿勢が浮かびあがってきます。
 私も旅したいな。猫と一緒に旅したら俳句が上手になれるかな。
(あさお・はるみん イラストレーター/エッセイスト)

『旅するノラ猫』
嵐山光三郎・文 浅生ハルミン・絵
5月下旬刊

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