評論にはなじまない/冨原眞弓

 トーヴェ・ヤンソンは自作について語ることをあまり好まない。作者たるもの作品で勝負するべきだし、読者は作品のなかで作者と出会うべきだと。人見知りの性格から、大向こうをうならせる当意即妙な喋りは苦手だった。それでも律儀なもので、つぎからつぎへと舞いこむインタヴューやファンレターに応えるために、あらかじめ「公式回答」や返事をきちんとノートにまとめていた。おそらく暗記するほど答えた質問もある。たとえば、ムーミントロールはどうやって生まれたのか? モデルはいるのか? 名前の由来はなにか? ムーミン谷はどこにあるのか? なぜムーミン物語を書くのをやめたのか?
 じっさい、数ある新聞・雑誌・テレビのインタヴューを比べても、たいした違いはない。対象に合わせたニュアンスの差がある程度だ。量はあるが実質が少ない。自著原稿の記事や散文でも、はっきりと作品論を展開したものは少ない。
 だからヤンソンと会うとき、わたしはめったに質問しなかった。答の予想できる質問に貴重な時間をついやすのはもったいない。むしろ、心をからっぽにして、おなじ時間と空気を共有するだけで、なにかがみえてくるかもしれない。ヤンソンは饒舌ではないが、相手の眼をみながら、言葉を選びながら、ゆっくりと話す。内容よりも、その仕草や気配に圧倒される。
 あるとき、あなたはなぜ質問しないのか、とヤンソンが訊いた。たいていの質問の答はもう知っています、新聞雑誌のインタヴューや記事を読みましたから、というわたしの答に、ヤンソンはにやりと笑った。
 それでもたまには質問もする。コミックスの原画について。原画はどうなったのですか、手元にもどってこなかったのですか? ヤンソンは肩をすくめ、さあね、捨てられてしまったのかも、昔はいいかげんだったのよ、という。コミックスの大量の原画の行方は、いまもって知れない。
 本国フィンランドはいうまでもなく、『たのしいムーミン一家』の英訳版が刊行されたイギリスでも、ヤンソンはそれなりに名の知れた児童文学作家だった。その作家の手書き原稿がほとんど残っていない。謎である。一九三〇年代後半から五〇年代半ばまで描きつづけた諷刺画や挿絵も、その多くは行方知れず。当時の挿絵や漫画の(粗雑な)扱われかたがうかがえる。
 こうした風潮を意識してか、ある種の照れからなのか、ヤンソンはコミックスについて語るとき、内容を云々するまえに、もっぱら物理的・心理的にきびしい試練だったと強調する。大部数の夕刊紙に穴をあけてはならない。ロンドンの「洗練された」読者を飽きさせてはならない。政治や死や性など「深刻な」モチーフを扱ってはならない。これでは、手足を縛られて跳べ、といわれるにひとしい。
 なによりヤンソンを悩ませたのは、思ってもみなかった量と頻度と迅速さを求められる通信だった。新聞社をはじめ、出版社、映画会社、グッズ制作会社、あらゆる種類のエージェント、そして飛躍的にふえたファンレター。もともと手紙を書くのは嫌いではない。しかし、「可及的速やかに」と判を押された茶色の大型封筒をみると、ずんと気分が沈んだ。
 だからといってコミックスが、ヤンソンにとって副次的な産物だったと考えるのは、早計ではないかと思う。大変だったと嘆くその裏に、その試練をみごとに乗りこえたという自負がすけてみえる。ヤンソンという芸術家は、どのような仕事でも、どのような環境にあっても、ぜったいに手をぬかない。創作者の誇りにかけて妥協はしない。
 トーヴェ・ヤンソンのムーミン・コミックスは、軽やかで、楽しくて、重々しい余韻がない。かといって薄っぺらではない。読めばわかる。ある意味で評論になじまないジャンルだ。それなのにあえて評論を試みた。筋書きの解説ではなく、一枚の絵を切りとって、そこからなにがみえてくるかを考える。わたしが語るのではなく、画家ヤンソンに語らせるよう努めた。ヤンソン作品を愛する者にとって、絵と文の両方を同時にたっぷりと味わえるコミックスは、最高のごちそうかもしれない。そうヤンソンに報告したら、なにをばかなことをと呆れられるだろうか。(とみはら・まゆみ 聖心女子大学教授)

『ムーミン谷のひみつの言葉』
冨原眞弓著
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