ゲームの理論と日本的経営/下島英忠

 ほぼ四十年ぶりにノイマン=モルゲンシュテルン著『ゲームの理論と経済行動』の訳書が「ちくま学芸文庫」として復刊された。この名著は、多様な価値の錯綜する「暗黒大陸」としての「市場」に向けて、厳密な数理論理の光を照らしつつ、その近代化に多大な貢献をなした。
 ここでは、「ゲームの理論」の論理性を念頭に、「日本的経営」が辿った変貌の過程と現実の課題を考えてみたい。
 日本的経営は、周知のように「官民一体の経営行動」を特徴とするが、この「一体組織」は「ゲームの理論」では「一人プレイヤー」と見なしうる。
 一九七〇年代以降、この「一人プレイヤー」が世界市場において「一人勝ち」をおさめてきた。それに伴う欧米からの「失業の輸出」との非難が高まるにつれ、日本的経営の構造改革が不可避の課題となる。これは、いわば「世界市場」という「ゲームの場」の基本的構成原則である「n人プレイヤー」に、日本的経営が変わるべしとの要求に他ならない。
 日本経済は、「失われた十年」の半ばにおいて、日本的経営の瓦解に直面するが、皮肉にも、この時をもって「一人プレイヤー」の「n人プレイヤー化」が実質的に完成する。
 現実に、日本企業の多くが、成熟した日本市場の狭さを理由に「世界市場」への進出を急いでいる。まさしく「n人プレイヤー」としてである。と同時に、日本における経営の近代化も、その内外での変貌を伴いつつ、まぎれもなく進展した。
 だが、今日の経済社会がわれわれに突きつける課題は、この近代化をもってよしとするほど、やわではない。
 世界市場の主要な「場」としてのアメリカ市場が、二〇〇八年の「金融恐慌」のもとで崩壊の危機に瀕し、これへの対応策として「グリーン・ニューディール」が提起された。これはいわば、「プレイヤー」としての政府の市場介入による経済社会の「グリーン化」である。
 この現実は、「ゲームの理論」の扱う「市場」が「経済社会的基盤」の上に成立する上部構造的な存在であることを示している。この二重構造への対処こそ、今日のわれわれの課題に他ならない。
 現実の日本企業に見られるように、「狭隘な日本市場」から世界市場へ「n人プレイヤー」として脱出することは、「市場」しか見ておらず、これでは実質的に何も解決しないばかりか、ますます大きな社会的矛盾を生成させる。
 かつての日本的経営は、その経営行動の成果を「二重構造全体」の豊かさの実現に向けて展開された。他方、今日の「世界市場への脱出政策」では、「ゲーム型経営行動」を余儀なくされるがゆえに、「格差社会」の深化が不可避となる。
 今日の企業体に求められる経営行動は、「ゲーム型経営」の成果を「利害関係者」へ配分する「投資型行動」ではなく、市民としての従業員へ、物心両面に「豊かさ」をもたらしうる「協働型行動」なのであり、これは、「市場」を規定する経済社会基盤の形成に深く関わる。
 もともと日本社会では、「市場」は、欧米の狩猟社会の伝統上での「ゲームの場」ではなく、農耕社会の「結の場」である。
 このような伝統を踏まえて、今日のわれわれには、新たなる経済環境の下での経営行動を設計し直す課題が突きつけられており、そこに「社会設計論」の適用がまたれる(http://plaza.rakuten.co.jp/shimojim/diary/200807200000/参照)。
 その際、名著『ゲームの理論と経済行動』が切り拓いた高度な数理論理は、その論理形成に不可欠であり、経済社会の分析とモデル化にきわめて有効である。とりわけ現実の日本社会に関して、その厳密な論理性を「市場」および「経済社会基盤」の両面へ適用する作業が切実に求められており、そこに向けて、名著の学習と活用が今日こそ真に望まれる。
(しもじま・ひでただ 札幌学院大学教授)

『ゲームの理論と経済行動』(全3巻)
J・フォン・ノイマン/O・モルゲンシュテルン著
銀林浩/橋本和美/宮本敏雄/下島英忠訳





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