老子の春仕度/加島祥造
きっぱりと冬が来た
これは高村光太郎の詩「冬が来た」の第一行目だ。このあと彼は、「八つ手の白い花も消え、公孫樹の木も箒」のようになる東京の冬の光景を語ってゆく。私も戦前の東京育ちだから共感できる詩だ。この"冬"はたぶん人形町にベッタラ市の出る十二月半ばごろだと思う。
ところで、いまの私は信州の伊那谷で暮す。ここでは冬が十一月半ばに来る。ある朝、庭に出ると、東と西に連なる高峰の頭が雪を冠っている。地面は霜がいちめんに白い。西から北に変わった風は冷気を帯びている。昼は摂氏十五度ある気温が、夕方から五度以下になる……。ここでの冬はこんなふうにきっぱりと来る。家々ではコタツやストーブを使いだし、これから四月の半ばまでつづく冬への心仕度をしはじめる。
いつも私はこの長い冬を思って、ぞっとするのだが、今年はちがう。ゆったりした気持ちで、大きな薪ストーブを前に本でも読むのが楽しみだ。それというのも十一月で、『私のタオ――優しさへの道』の執筆が完了して、この四月からつづいていた労苦からようやく脱け出たからだ。
はじめはイージーに考えていた。この十五年ほどに書いた老子にかかわるエッセイを集めて本にしようと思いたった。筑摩書房がそれを許容してくれて、やがて校正刷が出た。それに少し手を加えればすむと思った。ところがどの文章も不満だらけのものと分かった。
なぜ、こんなことになったか。これまでの私は『老子道徳経』全八十一章について、直観したことから書きはじめていた――その直観は正鵠を射たようで、そこから面白い道筋が見えるままに、あれこれ文章を綴ってきたのである。そのため全体への見通しのない散漫な印象を感じさせる文章が少なからず、まとめてみると、読者に(そして自分にも)恥ずかしいものだ、と分かった。それと同時に、いまはもう少し高いところから大きな『老子』山塊を観望できるようになっている。せめて、その視点で、これらを語り直そう――そう思い立って、それからは訂正や加筆への努力がつづいた。時には、こんなに熱中して大丈夫か、と自分に危惧の念を覚えるほどだった。
とにかく、私は『老子』にある「柔弱」が「しなやかな強さと優しさ」であり、それがタオ・エナジーの働きだととらえて、そこから生命力・母・母権制・エロスまで辿るにいたった――ひと言で言えば老子の語る道エナジーとは、あらゆる生命に内在する柔らかな生命の回春力を指す。この生命愛の働きを老子は一貫して説いている。この点をなんとか明らかにしようとしたのだった。
もちろん書き残したことは多々ある。ここではひとつだけ挙げたい。この十五年の伊那谷暮しで「自然」からタオ・エナジーの優しさを実感してきたという点だ。
「自然」だなんて抽象的に言ったが、ごく日常の体験なのであり、幾度か話してはいるから(むしろそのゆえに)、この本ではふれなかったが、大きな背景なのだった。
ついこのあいだも、私は落葉をふんで林にはいっていった。そしてあらためて気づいた――この枯れがれの林のどんな木々も、葉を落とした枝々の細い先に、芽をつけている。なかにはもう薄紅色の花の蕾をふくらませているものもあって、林は静かに春の仕度を進めている。まだ冬がはじまったばかりというのに……。
こんな小さな気づきからも、タオ・エナジーの働きに思い及ぶ。
それは目に見えないが優しく、しかし大きく働く力であり、都会育ちの私が頭で解していたころは気づかなかったが、伊那谷の自然から体で感じとるようになった。
そういう体験もこの本で語りたかったが、ほとんどふれず仕舞におわったのだった。
(かじま・しょうぞう 詩人)
『わたしのタオ 優しさへの道』 詳細
加島祥造著
ご注文方法はコチラ
トップに戻る
バックナンバー
- 第637号24年4月号
- 第636号24年3月号
- 第635号24年2月号
- 第634号24年1月号
- 第633号23年12月号
- 第632号23年11月号
- 第631号23年10月号
- 第630号23年9月号
- 第629号23年8月号
- 第628号23年7月号
- 第627号23年6月号
- 第626号23年5月号
- 第625号23年4月号
- 第624号23年3月号
- 第623号23年2月号
- 第622号23年1月号
- 第621号22年12月号
- 第620号22年11月号
- 第619号22年10月号
- 第618号22年9月号
- 第617号22年8月号
- 第616号22年7月号
- 第615号22年6月号
- 第614号22年5月号
- 第613号22年4月号
- 第612号22年3月号
- 第611号22年2月号
- 第610号22年1月号
- 第609号21年12月号
- 第608号21年11月号
- 第607号21年10月号
- 第606号21年9月号
- 第605号21年8月号
- 第604号21年7月号
- 第603号21年6月号
- 第602号21年5月号
- 第601号21年4月号
- 第600号21年3月号
- 第599号21年2月号
- 第598号21年1月号
- 第597号20年12月号
- 第596号20年11月号
- 第595号20年10月号
- 第594号20年9月号
- 第593号20年8月号
- 第592号20年7月号
- 第591号20年6月号
- 第590号20年5月号
- 第589号20年4月号
- 第588号20年3月号
- 第587号20年2月号
- 第586号20年1月号
- 第585号19年12月号
- 第584号19年11月号
- 第583号19年10月号
- 第582号19年9月号
- 第581号19年8月号
- 第580号19年7月号
- 第579号19年6月号
- 第578号19年5月号
- 第577号19年4月号
- 第576号19年3月号
- 第575号19年2月号
- 第574号19年1月号
- 第573号18年12月号
- 第572号18年11月号
- 第571号18年10月号
- 第570号18年9月号
- 第569号18年8月号
- 第568号18年7月号
- 第567号18年6月号
- 第566号18年5月号
- 第565号18年4月号
- 第564号18年3月号
- 第564号18年3月号
- 第563号18年2月号
- 第562号18年1月号
- 第561号17年12月号
- 第560号17年11月号
- 第559号17年10月号
- 第558号17年9月号
- 第557号17年8月号
- 第556号17年7月号
- 第555号17年6月号
- 第554号17年5月号
- 第553号17年4月号
- 第552号17年3月号
- 第551号17年2月号
- 第550号17年1月号
- 第549号16年12月号
- 第548号16年11月号
- 第547号16年10月号
- 第582号19年9月号
- 第546号16年9月号
- 第545号16年8月号
- 第544号16年7月号
- 第543号16年6月号
- 第543号16年6月号
- 第542号16年5月号
- 第541号16年4月号
- 第540号16年3月号
- 第539号16年2月号
- 第538号16年1月号
- 第537号15年12月号
- 第536号15年11月号
- 第535号15年10月号
- 第534号15年9月号
- 第533号15年8月号
- 2019年8月号 No.581 目次はこちら
- 第532号15年7月号
- 第565号18年4月号
- 第531号15年6月号
- 第530号15年5月号
- 第529号15年4月号
- 第528号15年3月号
- 第527号15年2月号
- 第526号15年1月号
- 第525号14年12月号
- 第524号 14年11月号
- 第523号14年10月号
- 第522号14年9月号
- 第521号14年8月号
- 第520号14年7月号
- 第519号14年6月号
- 第518号14年5月号
- 第517号14年4月号
- 第516号14年3月号
- 第515号14年2月号
- 第514号14年1月号
- 第513号13年12月号
- 第512号13年11月号
- 第511号13年10月号
- 第510号13年9月号
- 第509号13年8月号
- 第509号13年8月号目次
- 第508号13年7月号
- 第507号13年6月号
- 第506号13年5月号
- 第505号13年4月号
- 第504号13年3月号
- 第503号13年2月号
- 第502号13年1月号
- 第501号12年12月号
- 第500号12年11月号
- 第499号12年10月号
- 第498号12年9月号
- 第497号12年8月号
- 第496号12年7月号
- 第543号16年6月号
- 第495号12年6月号
- 第494号12年5月号
- 第493号12年4月号
- 第492号12年3月号
- 第595号20年10月号
- 第491号12年2月号
- 第490号12年1月号
- 第489号11年12月号
- 第488号11年11月号
- 第487号11年10月号
- 第486号11年9月号
- 第485号11年8月号
- 第484号11年7月号
- 第483号11年6月号
- 第482号11年5月号
- 第480号11年4月号
- 第479号11年3月号
- 第478号11年2月号
- 第478号11年1月号
- 第477号10年12月号
- 第476号10年11月号
- 第475号10年10月号
- 第474号10年9月号
- 第473号10年8月号
- 第472号10年7月号
- 第471号10年6月号
- 第470号10年5月号
- 第469号10年4月号
- 第468号10年3月号
- 第467号10年2月号
- 第466号10年1月号
- 第465号09年12月号
- 第464号09年11月号
- 第463号09年10月号
- 第462号09年9月号
- 第461号09年8月号
- 第460号09年7月号
- 第459号09年6月号
- 第512号13年12月号
- 第456号09年3月号
- 第458号09年5月号
- 第455号09年2月号
- 第457号09年4月号
- 第548号16年11月号
- 第548号16年11月号
- 第454号09年1月号
- 第520号14年7月号
- 対談
- 第509号13年6月号
- 第524号14年11月号
- 第548号16年11月号
- 第565号18年4月号
以前のPRちくま
「ちくま」購読料は1年分1,100円(税込・送料込)です。複数年のお申し込みも最長5年まで承ります。 ご希望の方は、下記のボタンを押すと表示される入力フォームにてお名前とご住所を送信して下さい。見本誌と申込用紙(郵便振替)を送らせていただきます。
-
受付時間 月〜金 9時15分〜17時15分
〒111-8755 東京都台東区蔵前2-5-3