小西甚一『古文の読解』復刊に際して/金田一秀穂
『古文の読解』は、もとは大学受験の参考書として書かれたのだが、単なる受験参考書にとどまらず、大人のための古典案内であり、入門であり、概説書である。
概説というのは、ふつう、初心者が学ぶものとされていて、大学であれば一年生が出席すべき授業であり、これから学んでいく学問のおおよその見当をつけるためにあると思われている。一年生相手だから、担当も若い研究者であっていいかというと、さにあらず。その学問を究めたような大家が行うのが正しい。
経験と知識をたっぷりと持った人による概論は、全体像を明確に照らし出し、重要な部分をきちんと押さえてくれる。その学問の魅力も伝えてくれる。
若い研究者であると、専門化が激しく、概論のようなものまで目が届かない。毎週の授業にあわせて、今まであまり勉強してこなかった分野を慌てて予習して、自転車操業のようなことになる。研究者にとって、概論を受け持つのはとてもいい経験になるけれど、しかし、そういうやっつけ仕事に付き合わされる学生にとってはいい迷惑である。
学生にとっても、概論を受講することは、入門として考えることもできるけれど、何年間かそれまで学んできた細分化された学問領域をまとめていく上で、とてもいい機会になる。統合された学問領域を、改めて知っておくことは、大切なことである。
この『古文の読解』は、そういう意味で、入門であり総括である。小西甚一は、言うまでもなく、この世界の碩学である。受験参考書のような本をよくぞ書いてくれたと思う。
小西は海外にも日本語の古典文学を紹介した国際派である。海外では、私も経験があるけれど、読者の母語能力に寄りかかった甘えた鑑賞は許されない。印象を述べあうだけで、感想を言い合うだけで、分かったような気になってしまう。日本語を知らない読者にたいして、客観的に、説得力を持って、日本の古典文学の良さを伝えるためには、文学的感受性だけではない、相当の能力が要る。考えてみれば、空間を共有するだけで、時間を異にするわれわれ現代人にとっても、古い日本は外国に等しい。その私たちに、古典の魅力を伝えるのは、異質な人びとにも魅力が理解できるように伝えられる言語能力であろう。
小西は国文学研究者としては異質で、英語中国語に堪能で、独仏韓の読み書きができたという。よく知られているが、小西は旧仮名遣いと新仮名遣いがもめたときに、そうした揺れを一切問題とせず、新旧どちらでも同じ表記ですむ語だけで一冊の本を書き上げることの出来た、言葉遣いの奇跡的な名人だった。異能の人である。そのような恐ろしいほどの言語能力の持ち主が、「古文ダッセー」、「古文うぜー」と平気で口にする高校生相手に、本気で立ち向かい、ねじ伏せる意気込みで、その力を惜しみなく注ぎ込んでいる。それは読んでいて、痛いほど伝わってくる。
見えてくるのは、読む人を決して見くびらない、という著者の誠実な態度である。初めての人にも、興味のない人にも、学会の研究者たちにも、海外の人びとにも、全く同じような姿勢で、自分の知っている、感じているものを伝えようとする小西の心意気が、全編に流れている。
小西の全体像を知るには、『日本文藝史』全五巻を読まなければならない。しかし、それを読むのは定年後の時間の楽しみにしておきたい。今はこの『古文の読解』で、手軽に彼の世界に触れたい。
私自身は、高校時代、残念ながら古文が好きではなかった。この参考書の存在は知っていたけれど、敬して遠ざけた。今になって、しみじみと俳句や和歌の愉しみを知りたいと思うようになり、こんな本を読み、あの頃読まなかったことを後悔すると同時に、もし読んでいたら、違うことをしていたかもしれないなあ、と思った。
受験のころを思い出したいおじさん、おばさんにとっても、楽しい本であるに違いない。
(きんだいち・ひでほ 杏林大学外国語学部教授)
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