「家族」は終わらない!/斎藤 環
二〇〇六年に上梓した本がこのたび文庫版となりました。私にとってははじめての家族本でもあり、執筆当時はまさに私自身が家族的混乱の渦中にあっただけに、思い入れの深い一冊です。
家族療法の専門家でもないのに……とおそるおそる書きはじめてみましたが、予想以上に「語るべきこと」がたくさんあって驚きました。内容はまとまりに欠けるぶん、アイディアだけは豊富に含まれています。そこから発展して書かれた本がこれまで三冊、あと二冊くらいは書けそうです。
内容紹介を兼ねて、お気に入りのアイディアをいくつか挙げておきましょう。
・日本的ダブルバインド:矛盾したメッセージで相手を縛ることをダブルバインドと言いますが、これは普通「愛しているよ」と言いながら足を踏んづけているようなイメージです。これが日本の家庭では反転している。つまり「もうお前のことは知らん」と言いながら抱きしめている構図がしばしば見られるという指摘です。
・負け犬とエディプス:酒井順子さんのベストセラーに精神分析的なツッコミを入れてみました。このエッセイがきっかけで、酒井さんとの対談本『性愛格差論』(中公新書ラクレ)が作られました。
・「対幻想」は男性由来:「対幻想(吉本隆明)」をヘテロセクシズムと関連づけながら、男性側の発想に過ぎないと何気なく書いたところ、上野千鶴子氏にほめられました。この対幻想批判を核として書かれたジェンダー本が『関係する女 所有する男』(講談社現代新書)です。非常に画期的な主張を展開した本なので、すぐ一〇万部くらいは売れるはずだったのですが、それほどでもありませんでした。
・母親嫌悪の起源:やはりジェンダー問題との絡みで、母娘関係の困難を検討してみたところ、さる編集者の目にとまり、このテーマで一本書くことになりました。それが『母は娘の人生を支配する』(NHK出版)です。非常に画期的な(以下省略)。
・家族と世間の対立:世間学などの文献を参考に、私なりの世間論を考えてみました。イラク人質事件の教訓は、世間が叩くのは突出した個人ではなく、家族と対立する個人である、ということです。世間的価値観の根底には、非常に強固な家族主義があるというのは一つの発見でした。
・就労は義務ではない:本文よりもとにかく引用した詩「謝れ職業人」をお読みください。ネット上ではけっこう話題になりましたが、いまだ作者は不詳のままです。それらしき人のサイトをみかけて連絡を取ろうとしましたが、その後削除されてしまったようです。
・ビフォーアフター:どういうわけか大学入試に採用される機会が異常に多い文章です。噂に聞くとおり、入試問題は作者自身にも難しいものでした。
あとがきにも記したことですが、私はこの本を書きながら、自分が徹底した家族主義者であることを〝発見〟しました。これは非常に意外なことでした。しかし論理的な推論を重ねてゆくと、どうしてもそういう結論にならざるを得ません。
理由はいくつかあります。人は生きる上で一定の不合理や理不尽さを必要としますが、おそらく「家族」は、最後に残った「理不尽」な絆なのです。それは理不尽であるがゆえに不幸や幸福をもたらしますが、それほど影響力の大きい最小の共同体という意味で、家族はこれからも延命するでしょう。
今なお人は、家族を通じて「関係性」や「価値観」を学びます。逆に言えば、これらの機能は、いかなるシステムも代行できません。人が人である限り、家族は家族であり続けるでしょう。ならば、やはり家族について、私たちは考え続ける必要があるのではないか。
その意味で、私は自分なりの希望をこめてこの本を書きました。筆致は必ずしも前向きには見えないかもしれませんが、否定によって鍛えられない希望にどんな価値があるでしょうか。
本書が多くの読者にとって、自分なりの「家族」と向き合う機会となることを祈っています。(さいとう・たまき 精神科医)
『家族の痕跡 いちばん最後に残るもの』 詳細
斎藤環・著
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