世俗化の果て/作田啓一

 本書について語ろうとすると、どうしてもまず著者たちから受けた私の個人的な印象から始めたくなる。それはとりわけ橋本峰雄氏の人柄によるものだろう。法然院の管主になる以前から、彼は僧侶であると共に哲学を講じる大学教授であり、学究仲間たちと緊密な交際を続けていた。その仲間たちのあいだでは、彼は「気配りの長者」と評されていた。この特徴が本書の解説で語られている橋本氏の「優しさ」である。彼から紹介された高取正男氏は、温厚・篤実な人柄であった。専門領域がなかなか見いだせない私にとって、若くから民俗学に専心する道を進んできた彼は、一つの驚異であった。
 本書の「忌みの思想」「仏神の加護」「神の啓示」「産土神の伝統」「家と祖先」「死生観」の各章は主として民俗宗教の探求にかかわっており、大部分は高取氏により記述されている。「終章――国家・科学・宗教――」はもっぱら橋本氏の手によるものである。
 終章において本書の全体の枠組が述べられている。それによると、近代に入って宗教は、強まった二つの勢力の挟撃を受けるようになる。一つは科学。他の一つは国家である。科学は信仰の土台を掘り崩し、国家は人々の忠誠を確保しようとして、国家を超える宗教的関心を抑え込む。こうして本来普遍主義的な宗教は、個別主義的な国家と対立関係に置かれる。さらに、科学の発展に起因するテクノロジーや情報化の急速な進行、ひとことで言えば世俗化の進行もまた、人々の生活環境を信仰に不利な方向へと解体してゆく。こうした状況の中での日本の宗教の現状を考察するのが本書の狙いとされている。
 日本では、普遍主義的な創唱宗教である仏教が到来する以前、原始神道を含む民俗宗教が先在し、仏教はその諸要素を取り込みながら広がっていった。その事情は、同じく創唱宗教であるキリスト教が、土着の民俗宗教を取り込んでいったヨーロッパの場合も同様である。しかし、橋本氏が強調するように、日本の仏教は、ヨーロッパのカトリシズムのように国家権力に対抗する権威を確立することはなかった。中世ヨーロッパでは、司教叙任権を巡る教権と俗権との争いは約二〇〇年続いた。ついにハインリッヒ四世の有名な「カノッサの屈辱」(一〇七七年)をもって教皇グレゴリウス七世の制勝が確定した。以後、皇帝と教皇の衝突がある時でも、神の代理者としての神政の政治が理想とされることには変わりはなかった。
 日本の場合、仏教は官寺仏教として出発した。律令制のもと、僧尼になる資格を与える権限は、律令政府にあった。最澄の教権の政権からの独立をめざす運動は、グレゴリウス七世の闘いに相当するものであったが、結局は俗別当制(官吏による制約)を受け入れて政権と取引することなしには、教権を相対的にも自立させえなかった(これを指摘したのは高取氏である)。以後、貴族政治から武家政治に移っても、教権の政権への従属は変わることはなかった。ということは、本来普遍主義的である宗教が、国家による個別主義的な制約から離脱できなかったことを意味する。
 最後に、書評めいた感想をひとこと述べておこう。世俗化によって宗教的信仰の全般的衰弱がもたらされたのは日本でも同じだ。科学の知と真正面から衝突する一神教が支配してきたヨーロッパとは多少異なるにせよ、また、人々の献身を引き出す国家の力と民俗宗教とが結びついた家族単位の祖先崇拝が、相対的に強いとしても、である。そのため、生きる根拠をどこにも求められない虚無感が広がっている。一種のニヒリズムと言ってもよいこの虚無感の蔓延こそ、今日の最も重要な宗教問題の一つであろう。この問題を積極的に取り上げていないのが、評者には心残りであった。しかし本書が、微視的な民俗学者の実証と、巨視的な哲学者のグローバルな構成とが見事に結びついた秀作であることには変わりはない。これが書評に代わる本書への感想である。
(さくた・けいいち 京都大学名誉教授)

『宗教以前』 詳細
高取 正男 著 , 橋本 峰雄 著

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