「聖書」の「絶対性」は「相対的」である/加藤 隆

 日本がキリスト教に、ある程度以上本格的に取り組むようになったのは、明治の開国以来と言うべきだと思われる。とすると、およそ一世紀半ほど経過している。かなりの期間だが、結局のところ、キリスト教の影響は限定的だったと言えると思われる。
 実際、日本では、相当の知識人と思われるような人でも、キリスト教のこととなると、「私はキリスト教徒ではないので」と前置きして、何かを述べるということが珍しくない。「キリスト教徒」ならば、「キリスト教が分っている」かのような言い回しだが、そんなことはまったく非現実的である。「仏教徒」ならば、「仏教が分っている」のだろうか。そうは思わないだろう。「キリスト教徒」「仏教徒」ならば、そうでない人よりも「キリスト教」や「仏教」に親しんでいるかもしれないが、本格的な理解ができているということにはならない。
 キリスト教が理解されていないというのは、日本だけの問題ではない。キリスト教はやはり西洋的なものであって、「西洋」と共に世界的に大きな影響力をもつようになった。日本がキリスト教に関心をもたざるを得なくなったのも、「西洋」の世界的拡大があったからである。では西洋の人ならば、キリスト教のことがよく分っているかというと、そうではない。西洋の一般人は、キリスト教についてほとんど分っていない。では西洋の「キリスト教の専門家たち」は、キリスト教について分っているかというと、彼らには大きな欠陥がある。彼らは何よりも、キリスト教の権威の枠内でしか考えられない。彼らは「よく勉強したキリスト教信者」といった態になっている。ここでの「信者」とは、自分が信奉していることだけが真実だと「信じこんでいる者」といった意味である。そして、彼らはキリスト教のことしか知らない。キリスト教の権威のバリアーが、西洋ではきわめて強力である。西洋やキリスト教についての情報の蓄積が十分にあり、キリスト教の「教会」の権威のバリアーが相対的に弱くて、キリスト教について自由に検討できるのは、今の時代では日本くらいなのではないだろうか。
 キリスト教の権威は、本来的には神に依拠している。しかし実際には、「教会」と呼ばれる制度の権威が大きな機能を果たしてしまっている。しかし教会は無数に分裂していて、互いに相対化して、キリスト教のまとまりが崩壊していると言ってもよいような様子になっている。しかしキリスト教が統一ある権威を維持しているのは、「聖書」があって、この「聖書」が絶大な権威をもっているからである。
 聖書は、どのようにしてこのような絶大な権威をもつようになったのだろうか。これは、「聖書」はなぜ「聖書」なのか、という問題である。「聖書学」は、聖書の内容については、きわめて優れた成果を挙げつつあるのかもしれないが、「聖書」はなぜ「聖書」なのか、という根本的な問題にほとんど答えようとしていない。「聖書」の権威のバリアーの内部に活動が終始しているということになる。「聖書」はなぜ「聖書」なのか、このことについて議論を試みたいと思っていた。
 結論的に述べるならば、次のように言えるだろうか。「聖書」はいわば絶対的とされている。しかし、絶対的な「聖書」の「絶対性」は、ある特殊な時代の相対的な状況の中で「絶対的」とされるに至って生じた。したがって、「聖書」の「絶対性」は「相対的」である。
 時代は変化する。「聖書」のテキストは、古いまま残るのかもしれない。しかし「聖書」の「絶対性」は、一定の時代の中で意義があったのだから、そのまま維持できるとは限らない。相対的な「聖書」の絶対性がどのように相対的なのかを、「聖書」の中の個々の主張についていろいろと検討してみるのも必要だし、興味深い課題かもしれない。しかし「聖書」の「絶対性」は、「聖書」の全体についてまずは主張されている。「聖書」の全体が「正典」(カノン)とされている。今回の『歴史の中の新約聖書』では、相対的な状況の中で「聖書」がどのように絶対的なものとされるに至ったのかを検討してみることにした。(かとう・たかし 千葉大学教授)

歴史の中の『新約聖書』 詳細
加藤 隆

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