新しい世界を造型する女性建築家の証言/今村創平

 日本のこの何ともいえない行き詰まり感のある状況に慣れていると想像しにくいが、東南アジアや中東をはじめ、世界のさまざまな場所で、少し前には見かけなかった大胆な造形の大型建築物が次々と構想され、そのうちの多くが実際に建ちあがっている。一〇〇〇メートルに届かんとする高さを誇るもの(日本で今一番高い建物は横浜のランドマークタワーで二九六メートル)、軟体動物のような立体的に捩じれた形態を持つものなど、建築造形ボキャブラリーの新開発が競われ、日々都市の風景を大胆に更新している。
 こうした傾向は一過性の感冒だとする論調は優勢であり、特にバブルを経験した日本ではそう受け止められがちであるし、金融危機後それらの建築計画のいくらかが止まったため、やはりと安堵した人は多いが、これは今後の都市のあり方を示している兆候だと、私は理解し観察している。都市は、われわれの住む社会の映し鏡であるから、ここしばらくの間に社会が大きく変わることが実体として現れているのである。
 世界各地に出現している新しい形態を伴った建築の代表的な作り手が、建築家ザハ・ハディッドである。彼女の手掛ける建築は、現在世界中の数十か所で同時に計画され、彼女の率いる設計チームは四〇〇人を超えて増え続けているという。もちろん単なるビジネス的成功ではない。世界的な芸術賞である高松宮殿下記念世界文化賞を昨年受賞するなど、ザハの作品の創造性への評価はとても高い。
 経歴は順調ではなかった。彼女はロンドンを拠点としているが、イラク人であること、女性であることが、建築という政治的であったりマッチョであったりする仕事をするにあって障害であったことは容易に想像がつく。実はザハは、とても若くから建築界では注目を浴び続けていた。学生時代からその才能を師である建築家レム・コールハースに認められていたし、三〇代前半のときに審査員磯崎新の目にとまり香港に計画された国際コンペで一等賞を獲得する。
 残念ながらその計画は実現に至らなかったが、独特の表現を持つドローイングは一躍世界中に知られるところとなり、その後も彼女は無数の魅力的なドローイングを生産し続けた。
 彼女の学んだロンドンの建築学校AAスクールは、実験的な校風で名をはせ、イギリスにおける「ペーパー・アーキテクチュア」という潮流の震源地となっていた。「ペーパー・アーキテクチュア」というのは、計画だけの建築や都市のプロジェクトで、実現されることのないものであり、それは揶揄であると同時に、当事者たちにとっては創造性の証ともいえる誇るべき呼称であった。ザハもそうした建築グループの一人と目され、長らく実作に恵まれなかったのだが、九〇年代から少しずつ作品が実現しはじめ、二〇〇四年の時点では実作一〇点以上との慣習を破って建築界のノーベル賞といわれるプリツカー賞を受賞した。
 彼女の作風の特徴の一つが、三次元の曲面であり、これは四角い箱という今日標準的なビルの形態からすると奇異に映るが、実は今日の建築界における一大トレンドであり、こうした傾向をめざす建築家は世界中に無数にいる。これは三次元での描写や解析を容易としたコンピューター技術の発展が背後にあるので、きわめて現代的なあり方であることは確かである。しかし、こうした先端技術の威力に頼る方法は、個人の発想力よりもその時々のソフトウエアの能力によって規定されてしまい、よって世界中のだれもが同じような質のCGを垂れ流しているのが実際のところだ。そうした中で、ザハのプロジェクトは、文脈やプログラムとの周到な呼応がなされており、何より彼女の造形感覚は長年の探究のはてに身につけられたものだ。長かった不遇の時代に生産された圧倒的な質と量のドローイングと模型。その時々に考え続けられた建築的問題。それらが、今の破竹の勢いの源となっていることが、今回翻訳されたインタビュー集の中でも、ザハ本人の口から証言されている。
(いまむら・そうへい 建築家)

『ザハ・ハディッドは語る』 詳細
ハンス・ウルリッヒ・オブリスト ザハ・ハディッド
瀧口範子訳

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