おもしろうてやがてかなしき――茨木さんに聞いてみたかった/栗田 亘
「店の名」と題された詩が好きだ。詩集『倚りかからず』の中の一篇で、茨木さんの自選作品集『言の葉3』で読むことができる。その一節。
〈なつかし屋〉という店がある/友人のそのまた友人のやっている古書店/ほかにもなんだかなつかしいものを/いろいろ並べてあるらしい/絶版になった文庫本などありがたいと言う/詩集は困ると言われるのは一寸困る
最後の〈詩集は困ると言われるのは……〉が、いかにも私の知っている茨木さんだ。真っ向唐竹割りでいながら、何ともいえぬユーモアとウイットがにじむ。笑ってしまう。大きな大きな手のひらで、読む者を温かく包み込み……考えさせる。
十一年前、出たばかりの『倚りかからず』を読んで引き込まれ、茨木さんに会いに行った。当時、新聞の朝刊コラムを担当していて、取り上げたいと思ったのだ。
会いに行った、と簡単に書いたけれど、実は一大決心を要した。なにしろ「わたしが一番きれいだったとき」の詩人である。「おんなのことば」の作者である。姿勢正しく、まなじりを決しているに違いない。怖いではないか。恐ろしいではないか。会うのは詩の中にとどめ、敬して遠ざけておくにしくはない。君子危うきに近寄らず。
とは思ったが、話を聞きたい気持ちが先立った。これほど見事な日本語の書き手に遭遇することなど、滅多にありはしない。これほど背筋のぴんと伸びた精神に出会える機会が、この先あるだろうか。それに。
それに、折角の好材料を逸するのはいかにも残念だ。新聞コラムは毎日書かねばならぬ。毎日となると、ネタに窮する日もある。結構ある。釣った大物(まだ釣ってはいないけれど)を放す手はない。
指定された荻窪の喫茶店で待ち合わせた。茨木さんは大柄の、七十三歳とはとうてい思えぬ妖艶な美女であった。やわらかな声も魅惑的で、話の中身は声以上に引力に満ちていた。
ご縁が生まれて、以後、親しくお付き合いいただいた。お酒を飲み料理を楽しみ、何人かで短い旅をし、でも詩や言葉の話はほとんどせず、ひたすら茨木さんの人柄に浸った。
「吹抜保」という詩も好きだ。『言の葉2』の『人名詩集』の中にある。その一節。
ふきぬけたもつ か/ふきぬきたもつ か/吹抜家に男の子がうまれたとき/この家の両親は思ったんだ/吹抜という苗字はなんぼなんでも あんまりな/親代々の苗字ゆえしかたもないが/天まで即座に ふっとびそうではないか/この子の名には きっかりと/おもしをつけてやらずばなるまい
散歩で見かけた表札からの奔放な発想。奔放でいて、きっかりと重しがつけてある。茨木さんでなければ創れない。記者稼業に染まった私なぞは、吹抜保さんから抗議が来ないかしら、と心配してしまう。
同じ『言の葉2』に、「井伏鱒二の詩」というエッセイが収められている。その一節。
おもしろうてやがてかなしき……であって、井伏鱒二の笑いの質は、かなりしたたかなのである。
笑いの質は、かなりしたたか。同じ言葉を茨木さんに返したい。とは思えども、やんぬるかな、茨木さんはもういない。このエッセイ、私は今度はじめて目にしたのだ。間に合う時期に読んでいれば、酒杯のあいま、笑いと文学について一度っきりのブンガク談義を挑んだのに。
茨木さんの墓は、医師だった夫君の故郷、山形県の日本海を望む寺にある。詩人が眠るのは三浦家代々の墓。古風なたたずまいで、何の衒いもない。それが茨木さんにとても似合う。
寺の地番は鶴岡市加茂字大崩。加茂はめでたく、大崩はどこか剣である。「吹抜保」を書いた詩人は「加茂字大崩」をどう思っていたのか。これも、ちょっと聞いてみたい気がする。
(くりた・わたる コラムニスト・元朝日新聞「天声人語」筆者)
茨木のり子集 言の葉全3冊
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