七郎考/三上 寛

 深沢七郎と最初にラブミー農場で会った時、うむを言わさずと言おうか、ヤオラと言おうか裏の畑に誘われて「今がいい時期」とか言いながら葡萄をもいでくれた。
 ヤオラひと房をわしづかみにすると口の中にほうり込み(今考えると最初は失敗したようだが)、次に、機関銃のように種を発射したのだった。
 その行儀の悪さは、高名な小説家のすることでも、六十過ぎた大人のすることでもなかったが、「こうヤルのが本当です」と言った。
 正直私は驚いたが、恐れ入ったというのが本当の気持ちだった。
 プププププ! プププププと何度もくりかえして見せた。自慢しているようでもあった。
 こうして深沢七郎の周辺にはいつも「音」が満ちていたように思える。
 農場の作業場にはエルビスが流れていて、それは自身も言っているように、モーツァルトのように美しい、のだった。
 ギターがあるのだから、君も歌ってみなさいとうながされ「東京だよおっ母さん」を歌うと、突然泣き出した。涙はあふれてきて、テーブルの台布巾で何度も顔をふいた。
 私は祖母を想い出した。
 祖母は畑から帰ると、堆肥で汚れた手を、家の裏の下水で洗い落とすのだが、その手と、その姿をきたならしいものだと思ったことは一度もなかった。
 七郎の姿が、その時の祖母の姿に重なった。
 私はその感想を直接伝えたのかも知れなかった。その後にも歌ったのだろうか。七郎は、私の歌に、東北の寒い漁村のオババの姿を想像したのだろうか。
 今となってはわからない。
 不思議な体験だった。
 今度は私が弾こうと言ってギターを抱いた。
 私にはその時の音色が、ギターの弦がふるえるというよりも、畑の草を取り除く時の、ブス! ブスッ! というような音にきこえた。
 私は目の前のこの人を完全に信用した。
 どこにでもいるオヤジなのだが、どこにもいない。見たことのない人でもあった。
 著作の中で「私は北海道を流れていた時に、パチンコ屋から流れてくるギターの音を聞いて、走り出したのだった」というような意味のことを書いている。
 ギターの音を聞いて走り出す!
 私は今でもこの文章のことを覚えていて、ギターを取り出すたびに「お前がオレを走らせている訳だナ」と思ったりする。
 確かにギターは人を走者に変える。
 そのことを一番最初に私たちに示唆したのが七郎だった。
 今、ギターを持って走り出そうとする無数の若い衆は皆、七郎の子である。
「先生の小説はオッカネエ」と言うと、「ギター弾きが小説を書くと、みんな、ああなるのです」とも言った。
 私はどちらかというと、ギター弾きの七郎が好きだ。だが、その書くものにも、音が流れ、ギターが浮かぶ。
 人は言葉を音に変換しようとたくらむが、七郎は、音を言葉に変えてみせた。
 ププププ! もブス、ブスッ! も、みな生活の生きた音だが、七郎はそれを物語にし、私たちも土の一部であることを証明しようとしたのだ。
 ありがとう! 深沢七郎!
(みかみ・かん 歌手)

『深沢七郎コレクション 流 』 詳細
深沢 七郎 著 , 戌井 昭人 編集

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