二人で歩いた『居ごこちのよい旅』/松浦弥太郎

 地図は、売っているものを買うのではなく、その土地を歩いて自分で作る――十代の終わりから、旅をし始め、その都度、旅先で手に入れた地図を持って歩いていたある日、ふとそんな思いが心の奥から湧いてきて、持っていた地図を投げ捨てた。他人が作った地図を頼りに歩いて、何が面白いのかと思った。誰もが目印を同じにした、そんな旅や、歩き方に退屈していたのだろう。人と違った景色を見たい。他人にとってどうでもいいものが自分にとっては宝物になることもある。その宝物をひとつも見過ごしたくないという気持ちが強かった。
 自分の足で歩き、自分の目で見て、自分の肌で感じた、自分だけの地図を作り、それを持って、どこまでも歩きたい。そこで出会うものと向き合いたい。何かを頼ることなく、本当の意味での旅の仕方を知りたかった。
 地図なんて無くても大丈夫。砂漠やジャングルを歩くのなら話は別だが、僕が旅する町は迷っても生死に関わる心配はないだろう。自分の嗅覚を頼りに方角を決めて、迷うことを前提として彷徨うようにそぞろ歩く。まずは迷うことから僕の旅はすべてが始まっていく。
 ある意味、無駄で無謀で、風に吹かれてふわふわと流される風船のような流儀が、「旅行」ではなく、「旅」という捉えようのない日常に実感を与え、その意味を確かなものにしてくれるのだ。
 旅先では何もしないに限る。利口になってはいけない。賢い旅をしてはいけない。ただひたすら歩き、地図を作る。『居ごこちのよい旅』は、そんなふうにして出来上がった。
 旅のはじめ、たしかサンフランシスコのダウンタウンにあった日当たりのよいカフェで午後を過ごしていたとき、一緒に旅をした写真家の若木信吾がつぶやいた話を強く覚えている。高校を卒業して、ニューヨークのロチェスター工科大学に留学した彼は、はじめて浜松の親元を離れ、独りで大学の寮に入った。二段ベッドのある部屋をあてがわれ、そこで暮らすことになったのだが、ベッドには底板がむきだしのまま何も敷かれてない。アメリカ人は、こんな硬い寝床で寝ているのかと呆れたと言う。部屋には彼一人だった。
 何日か経ってから、板ばりのベッドで寒さに耐えながら丸くなって寝ている彼を見た同級生は驚いて、「日本人はマットやブランケットを使わないのか」と聞いた。「そんなことないよ。ベッドに何も無いから、アメリカ人こそ何かを敷いたり、かけたりしないのかと思った」と答えると、「必要なものは自分で買って揃えるんだ」と同級生に笑われた。
 その時彼は、アメリカでは、誰かの親切を期待していても駄目で、他人を頼らずどんなことも自分で動かない限りは何もできないと思った。何でも用意されてあたりまえの日本人特有の甘えた気分が打ちのめされた。もじもじして困っていても誰にも相手にされないと、この時、彼は肝に銘じたと言う。
 ベッドが硬ければ硬い、寒ければ寒いと、声高に文句を言って、はじめて必要なことを手にできると彼は学んだ。こんなエピソードをゲラゲラ笑いながら、あっけらかんと話してくれた。
 この話を聞いた時、幾多の無知や失敗を重ねて海外で暮らしてきた自分の経験と重なり、言葉でうまく表せない共感を抱いた。そして、これから先、彼と一緒に旅が出来たらいいなと思った。
 たった一人で外国に渡り、自立しながら暮らしていく術を一から学んできた彼と方々を歩けたら、自分で地図を作るという旅はもっと面白くなるだろう。きっと彼も、売っている地図よりも、自分で作る地図のほうが役に立つし面白いに決まっていると思うに違いない。
 サンフランシスコのノースビーチ、バークレー、ブリムフィールド、ニューヨーク、ハワイ島のヒロ、パリ、ロスアンジェルス、バンクーバー、中目黒、ロンドン、台湾の台北と台東。地図を持たない二人の旅はおよそ二年続き、僕はエッセイと地図を描き、彼は写真を撮った。
 この旅で学んだことは、何を見るかではなく、何が見えてくるかということがどれだけ重要かということだ。居ごこちは最高によかったことは言うまでもない。
(まつうら・やたろう 文筆業)

『居ごこちのよい旅』 詳細
松浦 弥太郎 著 若木 信吾 写真

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