あまりに多くの悲しみ―。それでも前へ/上田紀行

 この本は決してすらすらと読める本ではない。ページをめくる毎に胸が張り裂けそうになり、涙が溢れて、読み進むことができなくなる。そうやって何回も止まり、現実を受けとめながら進む。そしてその途上で何かが立ち上がってくるのに気づく。それは何か大きな力とも言うべきもの、言葉では言い表すことができない、人が在ること、世界が在ること、そしてそれを生みだす大きな力ともいうべきものだ。
 東日本大震災のただ中で、仙台に本社を持つ河北新報社が報道し続けた記事を集めたのが本書だ。それは、三月一三日の社説から始まる。
〈生きてほしい。
 この紙面を避難所で手にしている人も、寒風の中、首を長くして救助を待つ人も、絶対にあきらめないで。あなたは掛け替えのない存在なのだから。〉
 まだがれきの下にいる人がいる。孤立した集落で助けを待つ人がいる。そして一昨日まで生きていた肉親を、友人を失い、途方に暮れている人たちがいる。新聞は発行できるのか。新聞が人々に届くのかも分からない。無力だ。しかし生き抜こう、共に助け合おう。
 八〇を超える記事が、震災の断面ひとつひとつを描き出している。
 津波の襲ってきたその時、何が起こったのか。役場で、老人ホームで、電車の中で、空港で、海岸沿いの住宅地で、小学校で、幼稚園で……。様々な場所で、「その一瞬」が再現される。
 読みながら、ただただ息をむ。叫びながら階段を駆け上がり、屋上に出たが、そこに津波が押し寄せる。流されそうになったところを同僚が襟をつかんで引き戻す。屋根に上って濁流を逃れた人の前を、自動車の窓を内側から叩き、助けてくれと叫びながら人々が流されていく。小学校を脱出した子どもたちの後ろから津波が迫ってくる……。
 巨大な脅威の中での人間の無力さ。どうにもならない。逃げるしかない。しかし逃げ切れない。しかしそこにも必死で同僚を、患者を、お年寄りを、子どもたちを助けようとする人たちがいる。心打たれる。しかし全ての人を助けることは到底できない。全力を尽くしながら、しかし悲しみと自責が常にそこにある。
 自分がそこにいたら、どうなっていたのか、どうしていたのか。私たちは常にそのことを突きつけられる。本の中には数百人が実名で登場する。命からがら逃げた人たち、その状況の中で奮闘した人たち、助けられなかった自分を責める人たち。他人事だろうか? いや他人事ではない。そこにいれば自分が彼であり彼女だった。たまたま私が読者であるにすぎないのだ。生き残った人たち、亡くなった人たち、その全ての人たちが、私たちをここに在ること、生きていくこととは何かという問いへと、大きな力で誘っていく。
 言葉を失う、途方に暮れる、極限の状況下での人間の崇高さに魂を揺り動かされる……、この八〇の現場にはもう一人ずつの営為が隠されている。この場に赴き、この風景の中で、悲しみにうちひしがれる人たちに話を聞き、それを記事にするという記者たちの心はいかばかりだっただろう。その記者たちの極限での「書く」という行為への打ち込みも、いつしか私たちに浸透し、お前は何をするのかという問いへと導かれていく。
 震災はまだ終わっていない。あまりにも多くの悲しみと、そしてその中でも前に向かっていこうという、その切実な願いを大切にしたい。再度その思いを強くする。
 この本は後世の人たちに遺すべき歴史書になるだろう。五〇年後、一〇〇年後、どこかでこの本を読んだ人たちは、二〇一一年の地震と津波で何が起こったのか、そして先達がどのように行動したのかを鮮鋭に知るだろう。記憶は薄れるかもしれない。しかしこの激烈な場面は決して古びることはない。
 全国の図書館に、学校に、ぜひ一冊ずつこの本を入れてほしいと思う。地震から遠く離れた地域の人たちにもぜひ読んでほしい。若い人たちにも読んでほしい。そして二〇年後にも、五〇年後にも読んでほしい。
 悲しみの中で、人間とは何か、在るとは何かという問いがつきつけられる。何があっても、それでも前に進む。立ち上がるのだ。大きな力がみなぎってくる。
(うえだ・のりゆき 文化人類学者)

『再び、立ち上がる!――河北新報社、東日本大震災の記録』 詳細
河北新報編集局著

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