モノでこそ見えてくる歴史の躍動感/田中優子

 モノでこそ他の時代を語ることができる、と私は思っている。
 文献は、文字を書ける人びとが書くべきだと考えたことだけ書く。だから毎日の生活がわかるとは限らない。一方モノは生活である。むろん奢侈品はいくらでもある。が、モノが無い時代であればあるほど、まるで光学的な立体図像のように、モノから生活が浮上し映像を結び、人の動作まで伝わってくる。たとえば二〇〇万年前と予想されるタンザニアのチョッピング・トゥールすなわち石器である。脳の重さは体重の二%だが、全エネルギーの二〇%を消費しているのだという。私は、脳が発達したから道具が発明されたと思い込んでいたが、実際はその逆で、道具があったから骨髄やたんぱく質を入手でき、脳が発達したのだという。
 さらにそこには「物を必要以上に高度なものにつくろうとする衝動」までを読み取っている。まさにそれこそが、この三冊の本全体を貫くテーマである。必要な道具だけでなく、必要性、実用性を瞬く間に超えてしまった人間というものを、人間が創り出したモノによって語る試みなのだ。
 著者のニール・マクレガーは大英博物館の館長だ。そして本書は、二〇一〇年にBBCラジオで放送された番組の再構成である。「ラジオ?」──私はその試みにまず驚いた。二〇〇万年前から現代まで。クレジットカードや充電器も語られる。取り上げているのは一〇〇点で、世界全体を網羅的に巡るよう設計されている。むろん日本のモノも出て来る。
 それにしてもラジオだ。想像してみた。私は『江戸百夢』という著書を書いた。一〇〇の図版で出来上がっている。その本をラジオで一〇〇回分放送できたら、なんて素晴らしいだろうか。眼で見るのと言葉で聞く(あるいは読む)のとでは、想像力の働き方が違う。言葉だけの場合、モノの背後に拡がる世界やそれを造った人、使った人について語ることになり、想像力はモノの後に大きく拡がる。聞いている人は博物館に行って、そのモノを無性に見たくなるだろう。本書はそのラジオのときに開発された言葉に、写真を加えて構成されている。
「事物に歴史を語らせることが博物館の目的である」とマクレガーは言う。そのとおりだが、実際の博物館ではその「言葉」に出会えない。言葉は「解説」であって、私たちにモノの本質を語ろうとはしてくれない。本当はモノという道具と言葉という道具が組み合わさることで歴史が見える。それはまた、人類がモノを革新してきた現場で起きていたことでもある。
 ところで、本書(およびラジオ番組)では、語らせ方に面白い特徴がある。専門家以外の意見を聞く方法だ。たとえばイラクのラキシュで紀元前七〇〇年ぐらいに作られたレリーフのくだりでは、現代の難民キャンプを目撃した人の発言を入れている。二七〇〇年前も今日も、難民問題は同様なのだ。六〇〇~六五〇年ぐらいのイングランドの兜を見ながら、『ベーオウルフ』やその現代語訳をした詩人の話を聞く。アメリカのヴァージニア州で発見された一七〇〇年代の太鼓を取り上げながら、ジャズと奴隷制について書き、脚本家に語らせる、といった具合だ。
 選択と配置も、語りの重要な要素である。幾種類ものコインや中国の紙幣が語られた果てにクレジットカードが出て来ると、これもまた権力と権威によって瞬時の価値を保っているモノに過ぎない、と気付かされる。
 私は江戸時代のモノをグローバリズムの中で見ようとしているが、本書ではそれは当たり前。たとえば柿右衛門の象は、一七世紀の多国籍企業の物語として語られる。モノには国境がなく、地球を移動し続けた。モノを作る職人もまた、モノの移動と出会いのなかで、新しいモノに挑戦していた。本書で見えて来るのは積み上げられる歴史ではなく、動き続け、変化し、創造され続ける歴史である。言葉が面白いモノの本は初めてだ。
(たなか・ゆうこ 法政大学教授)

『100のモノが語る世界の歴史1 ─文明の誕生』 詳細
『100のモノが語る世界の歴史2 ─帝国の興亡』 詳細
『100のモノが語る世界の歴史3 ─近代への道』 詳細
ニール・マクレガー著 東郷えりか訳



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