ことばと建築/天内大樹
昨春、文学部から工学部建築学科に移籍した。二年限定の若手研究員として東京理科大学に仮住まいしているだけだが、理科大が理学でも工学でもなく文学部で学位を取った人間に投資してくれたことになる。ありがたいことだが、学内でも学科内でも人文系の研究を理解してくれる人は多くない。
「私の出身は美学と芸術学を専門とする研究室でした。芸術学の一翼として近代日本の建築に取り組んでいます」と説明する。芸術と建築を重ねること自体に理解が得られないこともあるが、相手の意識からなぜか「近代」が抜けて、法隆寺や伊勢神宮を研究していると勘違いされる場合の方が多い。「日本」と「建築」という単語で伝統建築を思い起こすからだろう。
この事態のおかしさは「建築」を「ことば」に置き換えるとお解りいただけるだろうか。坪内逍遥や夏目漱石、森鴎外や島崎藤村なしに、私達が今使っている言語を考えることはできない。近代語を考えるときつねに『万葉集』や『源氏物語』に立ち返る必要はないだろう。同じように辰野金吾や伊東忠太、岡田信一郎や佐野利器といった近代の建築家や建築学者ぬきに、私達が今使う都市や建物を考えられないはずである。
確かに現代の建築が、西洋語と日本語ほど根本的な構造の違いを地域によって示すことはない。しかし耐震基準(実は日本の地域ごとにも異なっている)など種々の法規、その結果日本で太くなったコンクリート柱などを思い起こせば、近現代日本の建物が純粋に世界共通の普遍技術の産物だともいえない。
技術ばかりか、建築をつくる資格も普遍的ではない。欧米には構造や設備など個別の技術者をまとめる立場に「建築家」という法的な資格がある。しかし日本にそのような規定はない。「建築のノーベル賞」といわれるプリツカー賞など、世界的な賞を日本人「建築家」が最近相次いで獲得している。しかし彼らが持つ資格は一級建築士という、多数の登録者を抱えた技術資格だけである。あの耐震偽装事件の後、構造や設備専門の個別資格が新設されたが、いまや一級建築士はそれらの準備段階ともみなされかねない。こうした制度的風土も、私達が住む土地の地質学的・気候的条件と同様に都市や建物に作用する。技術としての建築は確固として認められてきたが、これをある歴史や思想の産物として考える立場は弱いし、それらを思考しまとめる個人=「建築家」も公認されていないわけである。
先ほど法隆寺や伊勢神宮そのものは研究していないと書いたが、しかし近代がそれらをどう受け止めたかを考えることは重要である。『古事記』や『大日本史』が近代にどう理解されてきたかを考えるのと同じで、歴史観の問題である。日本の正統をどう規定するか明治期に議論した際、『太平記』が参照された。同様にドイツの建築家ブルーノ・タウトが桂離宮を日本の正統と認め、東照宮をいかもの=キッチュとして蔑んだよりも前から、日本の先進的な建築家はモダニズム建築を伊勢や桂と結び付けようとしてきた。垂直に交わる直線による簡素な構成を日本の正統とし、世界を席捲した歴史の先端=モダニズムにこれを短絡し、相互に補強し合う歴史観をつくりだしたのである。太田博太郎はこの価値観を戦後に持ち越した。彼が地域や時代を超えた「日本建築の特質」の存在を信じたのも、現代では素朴に映るかもしれない。しかしその素朴さが平城京の復元を実現する大きな力を引き出したことも事実である。
ただしこうした言説も、戦前の「帝冠式」(戦後の命名である)すなわち「無理に国粋的であろうとするような建築」(タウトの言)が大日本帝国の公共建築を席捲したことには歯が立たなかった。軍人会館(現・九段会館)や神奈川県庁舎がこれに該る。寺社建築風の屋根や木造建築由来の装飾などをまとったコンクリート造の建築は、当時日本を覆っていたキッチュにすがる心性を示している。先進的な建築家の思想と対立していたのか共犯関係にあったのかは今後確かめられていくだろう。
文学や歴史、つまりことばと同様に、建築は思想研究の対象となり得るのである。
(あまない・だいき 美学芸術学)
『日本の建築―歴史と伝統』詳細
太田博太郎著
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