高度な技とセンスの凝縮作品/恩田陸

 子供の頃のイチゴは酸っぱかったので、どこのうちでも缶に入った甘いコンデンスミルクを掛け、イチゴを潰しながら食べていた。そして、正直なところ、子供たちは、酸っぱいばかりで潰すとやけに水っぽくなるイチゴはいいから、コンデンスミルクだけをお皿いっぱいに入れて、好きなだけ舐めてみたいなあ、と思っていたのである。しかし、それはイケナイことであった。甘いもの、もっと食べたいものは少しだけ。これが日本の常識であった。この反動で現在の我々は「オトナ食い」と称し、ロールケーキ一本とかメロン一個とかアイスクリーム一バレルなどを一気に食べる幼い頃の夢を果たし、体調を崩す。
 我が家に分厚いゲラが届いた時、私はその隅っこに書かれたタイトルを見て、一瞬おのれの目を疑った。
「清水義範パスティーシュ一〇〇」
 ひゃく? 百も書いてたの、アレを? いや、これは自選短編集だと聞いている。つまり、自選から漏れたモノがそれなりにあるはずだ。なんと、私の知らないうちに百よりも多い数のアレが書かれていたのだ。マジですか。
 私と清水義範のパスティーシュとの出会いは「インパクトの瞬間」であった。
 ぼちぼち「パスティーシュ」という言葉を聞いていたが、どういうものなのだろうと手に取って読んだのが、この作品の入った短編集だった。当時TVでやたらと流れていたゴルフクラブのCMで、「インパクトの瞬間、ヘッドは回転する」という、高級そうでなんだか凄そうなのだがさっぱり意味の分からないコピーがあった。それを完璧に解説してくれたのが「インパクトの瞬間」であり、私はひとり大受けしたことを覚えている。
 そもそも、パスティーシュというのは「文体模写」という意味らしい。しかし、ひと口に「文体模写」といっても清水義範のカバーする範囲はおそろしく広い。古事記や百人一首などの古典から、歌謡曲や『ブリジット・ジョーンズの日記』、英語の教科書、憲法前文、ワープロの取扱説明書、マラソン中継、将棋観戦記、文庫解説目録に通信添削。およそ人の手によって書かれたものはすべてカバーするのである。
 正直にいうと、私もこのようなものをやってみたいと思ったことがあるし、これに近いようなことを短編や長編の隅っこでやってみたことがある。それくらいならば、偶然うまくいくこともあるのだ。ひとつやふたつ、せいぜい五つくらいまでは。そう、イチゴの練乳がけ程度である。しかし、清水義範は、練乳「オトナ食い」を続けているのだ。
 練乳というのはなにしろ練乳なので、中身が凝縮されている。何かを模写するということは、元のモノについて理解していなければならないし、もちろんそれをなぞるだけでは意味がないのでそれをふまえた上で自分のモノを付加するという、ひじょうに高度な技とセンスを要求されるのだ。次々と繰り出される凄まじい技を目の当たりにしながら、私はじわじわと恐怖すら感じた。ここまでやりますか。マジなんですね。
 「一の巻」にさりげなく入っている「半村良『江戸群盗伝』の解説」(これは本物の文庫解説)の、師匠半村良との会話にその答えがあった。
「おれにはこれしかねえって、その一念でしたから」
「嘘ってもんは所詮嘘で、タメになったり、値打ちがあったりしちゃ邪道だぜ」
「切なさ」も「癒し」もなく、「泣け」もしない。ただ面白がれて、スカッとするものを書く。そう、これ以外に我々一エンタメ作家の望むものなどあろうか。
 しかし、そのいっぽうで、これらの短編群を読んでいくうちに、時折、フトひょっとしてこれが真実なのではないか、と思ってしまうのであった。
「英語の語源は日本語であった」と主張する学説。隣国の邪馬台国の記述に矛盾があるのは、日本人がやたらと「〇〇銀座」と付けたがるように、あやかり命名のせいであったという説。自然渋滞の原因は、全員が同時に動いていないからだという説。
「一の巻」の二編、司馬遼太郎のパスティーシュ「猿蟹の賦」と丸谷才一のパスティーシュ「猿蟹合戦とは何か」が大傑作だと思うが、私のお気に入りは『若草物語』×『細雪』の「パウダー・スノー」。ほんと、谷崎がオルコットを読んでいたかは、私もとても気になる。
(おんだ・りく 作家)

『猿蟹合戦とは何か 清水義範パスティーシュ100 一の巻』(全6巻)
清水義範
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