英知あるはずの者たちが行き着いた悲劇/根井雅弘
本書を読了したときまず思い出したのは、シュンペーターが『資本主義・社会主義・民主主義』(一九四二年)のなかで引用した次の言葉である。「世界はなんとわずかの英知によって支配されていることか!」と。
もちろん、本書の主人公たち(イングランド銀行総裁モンタギュー・ノーマン、ニューヨーク連銀総裁ベンジャミン・ストロング、ライヒスバンク総裁ヒャルマール・シャハト、フランス銀行総裁エミール・モロー)に英知が足りなかったと言いたいのではない。彼らはその時代には「世界で最も排他的なクラブ」と称されるものを形成していたひとかどの銀行家たちだったが、それでも、現時点から冷静に振り返ると、適切な時期に適切な行動をとらなかった、あるいはとろうとしなかったと批判されても仕方がない面がある。
第一次世界大戦が終わったとき、ヨーロッパは戦前への「郷愁」の念に囚われていた。戦前は金本位制という国際通貨制度がうまく機能しており、英国を筆頭にその制度に復帰すれば再び戦前の麗しき秩序と繁栄が取り戻せると大多数の人が考えていた。英国がポンドが過大評価されているにもかかわらず旧平価にて金本位制度に復帰したとき、そのような現実離れした政策ミスを厳しく批判したケインズはさながら「一匹狼」のようなものであった。だが、戦前への回帰を模索した政策はのちに破綻する。本書にもその経緯が詳しく書かれているが、ウォール街の株式大暴落(一九二九年十月二十四日)に端を発する世界恐慌の蔓延もさらに危機を深刻なものにした。それにもかかわらず、「金本位制という死んだ手から逃れることが、経済回復の鍵だった」(下巻、二六四ページ)ということは直ちには理解されなかった。
かつて「見えない帝国の絶対君主」と呼ばれたノーマンは、一九三〇年代には「いまは昔のようではないとこぼす老紳士」となり、心労とストレスから精神を病んでいた。外国人嫌いのモローは、三〇年代には左派にも右派にも幻滅し、王党派となった。対立を恐れなかったストロングは才気煥発ではあったが、連邦準備制度内には敵もおり、一九二八年十月には腸内出血がもとで亡くなった。シャハトは第一次大戦後のドイツのハイパー・インフレを抑えるには功があったが、三〇年代には一時ナチ政権に近づきヒトラーの経済政策を支えた。このような一癖も二癖もあるバンカーが世界経済の舵取りを任されていたというのは、いまでは想像もできないが、著者も、三〇年代の大恐慌に責任のある人たちとして、ドイツに過酷な賠償金を課したパリ講和会議を仕切った政治家たちと並んで、この四人の中央銀行総裁の名前を挙げている。
二〇年代の後半、アメリカが低金利政策をとっていた限りはヨーロッパの経済破綻もなんとか避けられていたが、やがてアメリカの株式市場にバブルが発生し、それが崩壊したとき、アメリカからヨーロッパへの資金の流れが途切れた。しかし、英国もドイツも慢性的な金不足で有効な手立てを打てなかった。フランスは金準備には余裕はあっても、モローがそれを経済的目的のために使おうとしなかった。
さすがに現代はもっと主要国が国際協調のために努力し、分別ある中央銀行総裁が過去の歴史に学んで必要とあらば果敢に行動してくれるものと信じたい。だが、前にも触れたように、本書に登場する四人の中央銀行総裁が著しく英知に欠けていたわけではない。ところが、制度が完備していなければ、なにほどかの英知も「指導力」を発揮できずに終わる可能性がある。三〇年代の大恐慌はまさに悲劇であった。グローバル化した現代、ひとり日本のみが特定の政策(例えば円安)に固執すれば、いずれは他の主要国との摩擦が生じ、国際協調のための条件を掘り崩すかもしれない。読者は本書からいろいろな教訓を読みとられるだろうが、著者がプロの投資マネージャーだということが本書の魅力と問題の複雑さを象徴しているように思われる。人物描写も生き生きとして楽しい読み物である。
『世界恐慌(上・下)――経済を破綻させた4人の中央銀行総裁』詳細
ライアカット・アハメド著/吉田利子訳
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