宮本常一が伝えたかったこと/結城登美雄

 七十三年の生涯の四千日を旅に生き、日本列島十六万キロメートルを自らの足で歩き続けた宮本常一。その旅は何を求めての、何を受けとめるための旅だったのか。むろんこれまで何度もこのテーマで多くの「宮本常一論」が書かれてきた。しかし本書はそれらと一線を画す独特の立ち位置をもつ。編著者の香月洋一郎は言う。「宮本の存在を実践の場からとらえようとするのではなく、能書きを能書きで洗いこんで精緻にしていくことで解釈していこうとする、それが宮本常一研究であるならば、やはり私はその価値をみとめることができても、その場に参加しようとする衝動はおきない」と。
 香月は三十年以上も前の若き日に、宮本常一から直接、景観写真読解の個人授業をしてもらったという。毎回三時間、十回にわたって千二百枚ほどの写真を宮本が一枚一枚アルバムからはがして、なぜそれを撮ったのか、風景の中に何を見ていたのかを説明し、香月に渡したのだという。著作を通してしか宮本常一に近づけない私などにとっては、直接指導を受けるとは何ともうらやましい限りだが、本人にとっては想像以上のプレッシャーになり、教えられたというよりは、たくさんの課題を背負わされたといった方がよいようだ。それにどうこたえたらよいのか、三十年にも及ぶ格闘の日々が彷彿とするようで、それが本書に独特の文体を与えているような気がする。宮本常一は若き香月たちに言う。「わしらのやっていることは、汗水流して畑を耕やしていることに比べたら虚業じゃろう。実業と虚業とは置きかわることはでけんよ。けどこのふたつの間に橋を架けることはできようじゃないか」。「そのためには現場を歩け! 旅はええもんじゃ! 風景はいろいろなことを教えてくれるだろう」と。
 本書は香月洋一郎の手元に残された昭和三十五年から十年間の写真四百三十枚をテキストに選び、これをテーマごとにとりまとめ、「宮本常一というひとりの旅人がどのように景観からの声を聞こうとしていたのか、そしてそれをどうそだてていこうとしていたのか」を伝えるために、宮本常一自身の厖大な著書から適宜引用し、これに香月の周到に配慮された言葉を添えることで景観写真論にまとめあげている。もちろん宮本は亡びゆくものにカメラを向けたのではない。これからの生業のあり方を模索して、その土地土地に刻まれた人々の意志を受けとめシャッターを切ったのである。
 香月洋一郎は本書で何度も「宮本の写真は手段である」とくり返す。ならばその目的とは何か? あえて言うならば、宮本常一は民俗学のために旅をしたのではない。農山漁村に生きる人々の悩みや苦しみをとりのぞき、地域の暮らしを豊かにするためにはどうしたらよいのか、その具体の知恵や手だてを見つけるために旅をつづけ、そのヒントになるものに向ってシャッターを切ったのではなかったのか。調査報告書や書物をまとめるためではなく、地域再生やしっかりした地域基盤づくりを共に行うために全国を歩き、それをふるさとの離島や日本の小さな村々をよくするために生かす、いわば「世間師」としての旅。それゆえ若き香月たちに、知るために学ぶな! 生かすために現地現場で学べ! 旅に出よ! そう励まし続けたのではなかったか。
 近年、非正規雇用などで行き詰まる都市を見限り、農村を人生の場にしようとする若者たちが増えている。そして彼らと力をあわせ、過疎化、限界集落化を超えようとする農村再生の動きも目立ってきた。本書がそれらの人々の心に届くことを祈る。この本には豊かなヒントがある。実は私もこの二十年ほど宮本常一の影響を受け、東北の農山漁村をたずね歩いて何事かを知ったつもりでいたが、本書を読み、まだまだ何ほどのことも見ていなかったことに気づかされる。本書をたずさえて、改めて東北の旅に出たいと思う。(ゆうき・とみお 「地元学」提唱者)

『景観写真論ノート――宮本常一のアルバムから』詳細
香月洋一郎編著

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