仏との対話/清水眞澄

 本書は、昭和五十二年に出版した『仏像――その語りかけるもの』を、同六十四年に再版し、さらにこの度改訂して出版したものであるが、現代の多数ある仏像の入門書としては、非常に新鮮である。恐らくそれは、時代にかかわらず仏像と対面する時の背景にある仏教思想を、わかり易く説いているからであろう。
 近年仏像についての関心は高く、京都、奈良だけでなく地方のお寺巡り、仏像巡りが盛んである。多くの人が本やテレビ、講座などを通して知識を学び、写真集や展覧会、見学会で形の美しさに浸っている。また文化財という枠組みの中で、国宝とか重要文化財というランク付も一般的になっている。しかし、日本で仏像が鑑賞の対象となり、文化財として保存保護が叫ばれ、調査研究されるようになったのは、明治以降のことである。仏教が伝来してから千五百年経つことを考えると、あまりにもその歴史は短い。
 本書の著者は、そのことはそれとして、本来仏像は信仰の対象であり、仏であることを抜きにして仏像を語れないことを忘れてはならないと、繰り返し述べ、仏像が信仰の対象であるのは、誰もが知っているはずなのに、その最も基本的な部分が抜けているのではないかと、指摘している。
 具体的には、仏(仏像)について、その時々で表情が違うのは、見る者の心のありようによるのだといい、その心のありようを仏教的に捉えようとしている。例えば奈良・中宮寺菩薩半跏思惟像(一八)では、「そのまなざしが、時には滂沱と涙を流さんばかりに見え、時には親が愛しい子をるような、きびしいまなざしにも見えてくるのは、拝むわたしの心の動揺と弱さに反応するせいであろう。」とか、奈良・薬師寺月光菩薩像(八)では「しまったお顔に微塵だに動ずる気色はない。鼻筋の直線、口もとの威容、豊かな頬、結髪の櫛目、どれをとっても感歎せずにはいられないほど完璧な造りといってよい。それが完全であればあるほど、きびしい尊顔としてうつってくる。それもそのはず、月光の冷徹な感じが、邪まなわれわれの心の動きに対応し、その心をとらえているからである。毅然とした者に対してはやさしい笑みを浮べた温容と受けとられるから、実に不思議というほかはない。わたしの投影によって、実はいつのまにか仏像が変わってしまっていることを知るのでもある。」とし、仏像の顔が時によって微妙に変わるのは、人間の心の波が投影されているのだとする。
 さらに「仏像そのものには、それぞれの背景というものがやはりある。それは単に表面的なものだけでなく、その裏に秘められている思想のあり方を探りたい。そのためには、仏とのある意味での対話がなされなければならない。」として、著者はそれを「仏教思想の具象化」という言い方をしている。
 結局本書は、「序にかえて」の冒頭に「本書は仏像の概要書ではない。むしろ仏像を通して、仏教とはいかなるものかを語ろうと意図したものといったほうがよいかも知れない。」とあるように、奈良、京都を中心に四十三ヶ寺をめぐり、仏像と対面して心の通い合う様を綴りながら、仏教の奥深さを伝えようとしている。
 そして、巻末の「仏像の背後にあるもの――仏像理解のために」の末尾に記された、「野の仏のように、むしろ自分の身近に忘れられている仏というものがある。美と思わなかったところに、隠された仏さまが散在しているという点をもう一度見直す必要があることを忘れてはなるまい。」というのも、本書を貫く思想の延長線上にある言葉であろう。
 仏像愛好者、若い研究者に薦めたい、仏像入門書の一冊である。
(しみず・まずみ 三井記念美術館館長)

『仏像入門』詳細
石上善應著

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