太宰治賞

 

第二十四回太宰治賞選評

2008年5月8日、第24回太宰治賞の選考委員会が、三鷹市の文化施設「みたか井心亭」で開かれました。 選考委員4氏(高井有一、柴田翔、加藤典洋、小川洋子)による厳正な選考の結果、受賞作として選ばれたのは、永瀬直矢「ロミオとインディアナ」でした。 最終候補となった4作品を、選考委員はどう読んだのでしょうか。 4氏による選評です。

なぜ大人を書かないか

高井有一 作家
 どうして大人の話を書かないのか、―書く野心を持たないのか、―と候補作を読んで不思議に思つた。四篇のいづれも、主役は高校生かそれ以下の少年少女なのである。まだ志が定まらず、肉体的にも不安定な彼等が己れの感情に振り廻されて一喜一憂する有様は、若い作者の懐かしみをこめた関心をそそりやすいのだらうか。自分が超えて来て間もない過去の時間に生きる人間は、要するに料理しやすいのか。そして彼等の周りの大人たちは、おほむね型通りに描かれるだけだから、重たい葛藤を含んだ物語は、なかなか生まれ難い事になる。
 永瀬直矢「ロミオとインディアナ」は、高校風俗物語と言つていい一面がある。柴田翔さんが克明に数へたところによると、三十人にも及ぶ人物が出て来るのださうだ。「私はキリギリスよりせせこましい蟻んこでいい」「学校行って適当に勉強してくっちゃべってげらげら笑ってカラオケ行って手ぇ叩いてくっちゃべってケータイいじくってってめっちゃ楽しいやん」―これが惠理と名付けられた主人公の、試験勉強に取りかかる前のひとり言だが、さう言ひながらも彼女は、勉強を放擲して自堕落な方向に流れては行かない。「かなり気合を入れて」勉強して、母親を満足させるだけの成績を取るのである。さうするのが「蟻んこ」としてやつて行くのにいちばん賢明だと無意識のうちに気付いてゐるのかも知れない。作者は、これが今どきの〝フツー〟の女の子だと言ひたいのだらうか。
 惠理の家は、仁徳陵を連想させる巨大な古墳の隣にある。惠理の部屋の窓の正面に、古墳を包む森が、遮るものなく見える。千五百年もかけて繁り続けて来た森。或る日、その森の奥から、インディアナといふハンドルネームで、惠理のブログにコメントが送られて来る。森の奥深くに潜んで、何やら探査活動を行なつてゐると称するその人物は、惠理の部屋を窺いてゐるらしい。
 インディアナとは何者か、深い濠に囲まれた森の中に、果たして人は入つて行けるか、そもそも彼がコメントを寄越した動機は何か―小説はさうした謎を軸にして組み立てられたやうだが、最後まですつきりとした解決はない。ドタバタめいた小事件が起り、両親が惠理の行動について、可笑しな誤解をしたあたりで終る。謎を提出してそれを解くやうな、古典的な手法は作者の好みでないのだらう。謎をめぐつて人々が右往左往するなかに現はれる倉内といふ惠理のボーイフレンドが面白い。「背え高い◎、ちっちゃい顔垢抜けたらそこそこ、ギャグセンいまいち」といふのが「女子一般の評価」ださうで、「キレが欲しい。物心共に」と惠理に注文をつけられる。彼のやうな若者がやがて長じて、当節流行の〝家族にやさしい〟家庭を作るのだらう。
 傍目には暢気に暮してゐるとしか見えない彼等も、時には感情を揺さぶられる。昼間友達にひどい事を言つてしまつた日の深夜、惠理は恐る恐るケータイを取り出し、電話の着信もメールの受信もどちらも0件でほつとすると同時に、無性に心細くなる。「すごく怖くて寂しかった」。明日学校でどうしようと考へて、いつまでも眠れない。揉め事があつた日ばかりとは限らない。普段の日でも、ブログにたとひ冷やかしでも反応があると嬉しく、「逆にないと異様に淋しい」。こんな感情生活は荒涼としたものと言はざるを得ないが、作者は敢へてそのなかに踏み込んでは行かない。
 倉内が惠理に「付き合ってくれへん、俺と」と申し出る。惠理は「うちまだ、付き合う、とかってよぉわからんねん」と躱はす。「倉内どんな顔してたかな。見れなかった。卑怯っていわれればそうなんだろうけど駄目でした」。―この挿話はそれだけで終る。作者は何事につけても、破局に向き合ふのが苦手なのらしい。若しかすると、修羅場からうまく身を躱はすのが、風俗エンタテインメントを作る骨なのかも知れない。
 暇さうな中年男が、畳に浴衣を敷いた上に素裸で寝転がり、本を読んでゐる。畑の中の一軒家。開け放した窓の向うに「畑をはさんではるかかなたの隣の婆ア」が草むしりをしてゐるのが見なくても分かる。―川光俊哉「夏の魔法と少年」の書き出しである。この書き出しに作者は工夫を凝らしたに違ひない。一風変つた情景が見えて来る。
 一軒家には〝居候〟がゐる。達郎といふ小学生。主人公の兄の子。何の理由があつてか不登校を続けるのに手を焼いた兄が、当分の間、主人公と一緒に住むやうに、と押し付けて来たのである。まともな生活を営む兄は、自分とは対照に、いまだに独身で、コンビニの飯ばかり食つてゐる弟と暮させれば、息子の頑な気持も解けるかと期待した気配がある。
 しかし達郎は、大人が予測したよりずつとしたたかな少年で、叔父の家での自分の生活を作つて行く。「おじさん」と呼ばれて、「ああ、おじさんなのだなあ」と感慨を催すのは主人公の方である。「なまあたたかいような笑みが口の端にたまってきた」りして、彼の内にも家族指向がある事が露はになる。
 いかにも今の世の中にあつて不思議はない状況を捉へてゐるのだが、どうしてこんな持つて廻つた言ひ方をしなければならないか、と言ひたくなる文章があちこちに出て来るのには閉口した。文章の斬れ味さへ良ければ、この三分の二程度の分量で書けた筈の作品だと思つた。
 柚木緑子「背守りの花」は、幼い頃に父を亡くした中学生の綾子と母の文緒、それに文緒の妹で離縁されて実家に戻つた咲子との、女三人が一緒にする暮しのさまが描かれる。彼女たちが飼ふ猫の名が雪子。愛称はきあんちやん。つまり「細雪」の三女の名をそのまま使つてゐる。
 風が運んで来る金木犀の香り、「濃厚で至福の美味しさ」のある栗御飯、或いは離婚に傷ついた咲子が馳せる女の幸福についての思ひ。いづれを取つても、作者の谷崎潤一郎への傾倒はまぎれもない。綾子は「細雪」のなかに「女のやりきれなさ」を感じ取つたりもしてゐる。
 しかしそれ等が現実感に乏しく、全体に人形芝居めいた印象を与へてしまふのは、作者が谷崎の美に惚れ込む半面、谷崎の持つ人間観の酷薄さを、充分に汲み取つてゐない事と、たぶん関係があるだらう。
 江口隣太郎「夜は朝まで」については、格別に言ふ事がない。作者が今後どの方向を目指すか判らないが、自身の文学を獲得するまでには、まだかなりの時間を必要とするだらう。

太宰治賞2008

  • 第24回太宰治賞受賞作 「ロミオとインディアナ」収録
  • 太宰治賞2008
    筑摩書房編集部 編
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