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「葉山嘉樹 セメント樽の中の手紙」について
編集委員 紅野謙介(日本大学教授)
なつかしい教材の再登場である。かつて「セメント樽の中の手紙」は筑摩の「国語」にとって定番教材であり、わたし自身、高校時代に習った教材のひとつだった。では、レトロな復活ということか。そうではない。あらためて光をあてるべき時代になっている。そう考えたからだ。
労働のスタイルや工業技術、家族関係は変わったかもしれない。しかし、改革の名のもとに不合理な部分をなくすのはいいけれども、終身雇用制の撤廃とともに安定した仕事がなくなり、正社員が減り、アルバイトや派遣がふえていく。次々いれかわるひとたち。仕事の継続性もままならない。猫の目のように変わるルールや方針。きちんと雇用されることのないまま使い捨てられていく労働者たち。働いても働いても収入がふえないワーキング・プアーがいまわたしたち自身のすがたに重なり、影を落としている。
葉山嘉樹の「セメント樽の中の手紙」が描いているのは、もちろん一九二〇年代の厳しい労働条件のもとにある肉体労働者の現実である。しかし、実際に労働者がクラッシャーに落ちてセメントの粉になったそのままの事件があったわけではない。寓話のかたちをとった掌編である。けれども、鮮烈な寓話だからこそ、他人事ではなく受けとめられる。八〇年前と変わらない労働の風景に、いまわたしたちは立っている。オリのように、よどみのように静かにたまっていく疲労とあきらめ。時代を越えてセメント樽の中の手紙を受信するのは、松戸与三ではなく、わたしたち自身なのではないだろうか。
(日本大学教授 紅野謙介)
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