浪速のスーパーティーチャー守本の授業実践例

第二章 小説

第二章 小説

4 『変身』 フランツ・カフカ

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 『山月記』や『棒』の授業では、同じ変身譚として、カフカの『変身』に言及することがあります。できるだけ多くの機会をとらえて生徒を読書に誘うということは、教師はだれもが留意していることで、生徒にとっては、馴染みのない世界文学への入り口ともなります。教科書ではこの小説は採用されていませんが、特に『山月記』とは対照的な作品でもありますので、教室での参考にしてください。

① 解きほぐす――原因には興味がない?

 主人公のグレーゴル・ザムザは、朝起きると巨大な虫に変身した自分に驚きます。しかし、『棒』や『山月記』の主人公とは異なり、「なぜ自分が虫に変身したのか」という理由について思い悩むわけではなく、この悲劇を極めて冷静に受け止めます。むしろ、これを「悲劇」とも思っていない節があります。最初は仕事への悪影響を心配していますが、時間が経過すれば、その心配も姿を消していきます。何しろ虫になったグレーゴルの関心事は、自分のことより家族のことなのです。虫なったとはいえ、一家を献身的に支えてきた自分を家族はどう扱うのか、ということなのです。自分と家族との関係こそが彼の関心事なのです。

 愛する息子が虫になったということで母親は悲嘆にくれるのですが、この母親に対しては、グレーゴルはあまり関心を示しません。関心は、この家族の一大事に母親に代わって一家を切り盛りする妹に向けられていきます。虫になった自分の世話をする妹へのまなざしは、事務的に兄の世話をする妹のそれとは対照的に熱いものがあります。

 負債を抱え、身体も「不自由」な父親は、一家の生計をグレーゴルに任せて隠居のような生活をしていましたが、グレーゴルの変身によって、驚くべき「変身」を見せます。

 グレーゴルのお気に入りに絵をめぐって、グレーゴルが母親を昏倒させた時のことです。

 (父親は)入りかけて、すぐさま叫んだ。怒りとよろこびが入りまじった声だった。グレーゴルはドアから首をはなし、父に向けてのばした。そこに立っている父の姿は、まるきり想像もつかないものだった。(白泉Uブックス『変身』フランツ・カフカ/池内記 訳 69頁5行目)

 負債を抱え、家長の地位をグレーゴルにとって代わられたかつての家長の復活というわけです。この父親の怒声にグレーゴルは喜色を見て取ります。そこには父親と息子の葛藤があります。カフカの作品には父親と息子の葛藤をテーマにしたものが少なくありません。そこにドイツ系ユダヤ人であった厳格な父親との関係もうかがえます。家長ということにも彼らには重要な意味があるのかもしれませんが、日常生活では見えなかった父親の姿が、このような異常事態との遭遇によって現れてくるというわけです。家長の自分が虫になったら父親はどう変身するのか、という関心です。

 妹への愛情は複雑です。虫になってからは決して自室から出ようとしなかったグレーゴルは、間借り人を前にしてヴァイオリンを演奏している妹に近寄るために思わず居間に出て行きます。

 妹のところに進み出ようと、グレーゴルは決心した。スカートを引っぱって、それとなく示すのだ。妹はヴァイオリンをもって自分の部屋に来るといい。この部屋では甲斐がない。自分のもとでこそ演奏が生きてくる。そのあと、もう部屋から出したくない。少なくとも自分が行きているかぎりは、出さないだろう。おぞましい姿でいるのが、はじめて役に立つ。どのドアも見張っていて、向かってくる者は撃退しよう。妹は強いられてではなく、自分の意志で彼のもとにとどまるといい。(同書89頁4行目)

 ここには屈折した妹への愛情が見えます。妹は自分を信頼し、慕っている。その妹のために献身的に尽くす自身を想像し、それに酔い痴れているのです。勝手な思い込みとも妄想ともとれる類のものです。しかし、この妹も「変身」します。不気味な虫の存在が知れて間借り人とのトラブルになった時のことです。

 「もうこのままはダメ。お父さんやお母さんにはわからなくても、わたしにはわかる。このへんな生き物を兄さんなんて呼ばない。だから言うのだけど、もう縁切りにしなくちゃあ。人間として出来ることはしてきた、面倒をみて、我慢したわ。誰にも、これぽっちも非難されるいわれはないわ。」(同書93頁4行目)

 グレーゴルの熱い思いとは異なり、妹の方は至って冷ややかです。はっきりと兄を厄介者として追い出すべきだと主張しているのです。この妹の変身についても、グレーゴルは妹を責めようとはしません。すべてを受け入れているのです。

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