ちくまの教科書 > 国語通信 > 連載 > 舞姫先生は語る第一回(4/6)
第一回 『舞姫』のモチーフについて
第二回 太田豊太郎の目覚め
第三回 エリス――悲劇のヒロイン
第四回 太田豊太郎と近代市民生活
第五回 『舞姫』の政治的側面
第六回 結末
鈴原一生(すずはら・かずお)
元愛知県立蒲郡東高等学校教諭
第一回 『舞姫』のモチーフについて
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森家の真実――『本家分家』

 エリス来日の影響は森家にとってどのようなものだったのでしょう。事態を最も深刻に受け止めたのは鴎外の母親でしょう。森家にあって母・峰子は実質的な家長でした。鴎外の小説に『本家分家』という森家の事を書いた小説があります。そこに次のように記されています。

 吉川家は代々中国の或る藩の侍医であつた。然るに博士の曾祖父に子がなかつたので、世に謂ふ取子取よめで家を継いだ。そこで祖父は格の低い奥勤になつた。此人には儒者として門戸を張つて行かれるだけの学力があつたが、生涯微禄を食んでゐた。よめに来たのは長門国の豪農で、帯刀御免の家に生れた娘で、其腹に博士の母は出来た。
 そこへ婿入をした博士の父は、周防国の豪家の息子である。こんな風に他国のものが来て、吉川家を継ぐのは、当時髪を剃つて十徳を着る医者の家へは、藩中のものが養子やよめに来ることを嫌つてゐたからである。此人は医術を教へられて、藩中で肩を並べる人のない程の技倆にはなつたが、世故に疎い、名利の念の薄い人であつた。それを家つきの娘たる、博士の母は傍から助けて、柔に勧めもし、強く諫めもして、夫に過失のないやうにしてゐた。此夫婦の間を察するに足る一つの話がある。それは所謂長州征伐のあつた直前の事である。博士の父は茶が好きで、或る日茶会を催さうとした。其時博士の母は、夫の機嫌を損ずるのを憚らずに、強ひて罷めさせた。かう云ふ世の中の騒がしい時、気楽さうに茶の湯をしては、藩中の思はくが気遣はしいと云ふのであつた。父はつひ二三日前に友達の何がしが茶会を催して、自分も呼ばれたのを例に引いて争つたが、母は固く執つて聴かなかつた。すると数日の後に、その茶会を催した何がしが、時節柄を辨えず、遊戯に耽るのは心得違だと云ふので、閉門を命ぜられた。これには博士の父もひどく驚いたさうである。
 かう云ふわけで、吉川博士の家には、博士の祖父から博士の母を通じて、一種の気位の高い、冷眼に世間を視る風と、平素実力を養つて置いて、折もあつたら立身出世をしようと云ふ志とが伝はつてゐた。(「鴎外全集」第一六巻 岩波書店)

 事実と異なる点もありますが、吉川家=森家の実態を明快に示していると言ってよいでしょう。頭脳明晰にして世故に長けた家付き娘の母と、養子の父の関係が如実に示されています。おまけに母・峰子は、祖父・白仙の女に学問は要らぬとの教育方針によって、読み書きが殆どできませんでした。けれども息子が藩の儒者・米原綱善の許へ通うようになると、家事を終えた後の深夜、息子のノートで必死に勉強したのです。神童と言われた林太郎と歩調を合わせようというのですから並大抵の苦労ではありませんでした。単なる教育ママではありません。完全に息子と一体化していたのです。息子としても怠けることはできなかったでしょう。『舞姫』における父親不在は森家の実態を反映しています。豊太郎の不始末に対して彼の母は「諌死」という極端な対処をしますが(このことについては、後ほど述べます)、鴎外の母はこのように強くて優しい人だったのです。

 鴎外の出世志向は前述のように森家代々の意志を体現したものでした。これは彼にとって本能のようなものであり、意識的に否定しようにも不可能なことでした。

 母親を初めとする森家の人々にとって、期待の星である鴎外に関わる女性スキャンダルは一大事でした。弟・篤二郎、妹・喜美子の夫・小金井良精らが帰国工作を展開したのです。篤二郎は兄と異なり、陽気で茶目っ気もあり、エリスのご機嫌取りに努めました。帰国工作の中心人物は小金井良精でした。では、その間、当事者である鴎外はどうしていたのでしょう。勿論、エリスの滞在していた築地精養軒に通っていました。しかし、当然のことながら結婚の話をすることはできませんでした。封建的家制度の制約の中でエリスに対して冷たい態度を取るしかなかったのです。

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