ちくまの教科書 > 国語通信 > 連載 > 舞姫先生は語る第五回(2/3)
第一回 『舞姫』のモチーフについて
鈴原一生(すずはら・かずお)
元愛知県立蒲郡東高等学校教諭
第二回 太田豊太郎の目覚め
第三回 エリス――悲劇のヒロイン
第四回 太田豊太郎と近代市民生活
第五回 『舞姫』の政治的側面
第六回 結末
第五回 『舞姫』の政治的側面
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『舞姫』に隠された鴎外の政治的野心

 鴎外はこの作品において、自らを山県有朋のブレーンたらんと宣言したと言っていいのではないでしょうか。鴎外は山県に会って、政治家への転身を願い出たという説があると、鴎外研究の第一人者・長谷川泉氏が指摘しています。しかし、結果的にそれは実現されませんでした。これが『美奈和集』所収にあたって、この部分を削除した理由であろうと思われます。

 もう一つ、鴎外の政治的野心に関する直接的な証言があります。鴎外の長男・森於菟によるものです。

 さて、また山県公が洋行から帰って総理になられた頃、父ははじめて公に会いました。ところが山県さんは新しい人を受け入れる意志がないので、あまり父を好く思ってはくれなかったそうです。それやこれやで、使ってくれる人があらば政治的方面に出たい決心があったのですが、とうとう駄目になりました。父がこの方面に心のあったことは、その頃品川さんや大隈さんや伊藤博文さんに会ったと云う点から見てもわかります。
 ところが晩年になって、妙なことに、山県公と大変近くなりました。これは日露戦争の後公が常盤会と云う歌の集いを開いたことに始まります。この時小出粲、大口鯛二等宮廷の歌人の外に佐佐木信綱さん、井上通泰さんと、それに父、賀古鶴所さんが招かれて出席しました。そして賀古さんは会のあるごとに、父のえらいという事を力説するのですが、山県公は一向に知らん顔をしていました。
 そのうち井上通泰さんが公の賛成を得て雑誌を出すことになり、これに父も関係することになりました。それは敬神思想を養うもので、国体と新しい実証的思想との相違調和を論じたりするためでした。この雑誌は計画だけでついに出ませんでしたが、しかしとにかくこの雑誌を出すにあたって山県さんが森の意見を聞いてみよと云われ、それに対し、父は「すべて神のことは科学的に証明出来ぬ。しかし証明出来ぬからといって、それを投げ出しては世の中がなりたたぬ。すべてあるかのように思えばよろしい。たとえば×××××として崇拝することは××××、しかし×があるかのように思えば××出来ると云うようような意見を述べました。この思想は『かのやうに』と云う短編の中に述べてあります。このことが山県公の耳に入って、森は西洋心酔者だとばかり思っていたが、以外に保守的なところもある男だと心がとけ、それから以後大変親しくなったそうです。(『父親としての森鴎外』森於菟 筑摩書房)

 大変貴重な証言で、鴎外の政治家への転身願望の強さと、彼自身が具体的行動を取ったという重要な証拠となるものでしょう。ここには鴎外が賀古を通じて山県に積極的に働きかけたにもかかわらず、超保守派である山県は鴎外を西洋かぶれの進歩派であると勝手に思い込み、毛嫌いして彼を近づけなかったこと、しかし、後に鴎外が浮ついた進歩派などではなく、日本の現実に立脚した合理的保守派であると認識したことによってブレーンとして認められたことが記されています。

 これは、山県が鴎外の中に自己と共通の要素を見出したことに他なりません。また、小説『かのやうに』(明治四十五年発表)についても貴重な証言がなされています。この中において、鴎外は山県との関係を親子の関係になぞらえて描いています。これは取りも直さず二人の関係がかなり接近していたことを示しています。『かのやうに』は、西洋合理主義の洗礼を受けた主人公が、非合理な日本の伝統思想と西洋合理主義をいかに調和させていくかに苦心惨憺する様を描いています。鴎外のブレーンとしての苦労がリアルに表現されていると解すべきでしょう。

 前記のとおり、明治三十九(一九〇六)年、鴎外は山県の意向を受けて賀古鶴所とともに和歌の会「常盤会」を起こします。さらに「観潮楼歌会」等を通じて山県のブレーンとなり、持ちつ持たれつの関係になります。例えば自己の社会主義の知識を提供したり、逆に山県の力を自己の保身に利用したり、並の文学者とは懸け離れた人なのです。鴎外が帰国したのは明治二十一(一八八八)年九月でした。それを『舞姫』においては一年ずらしました。山県の欧州視察に合わせるためです。目的は前述の通り、山県との関係を匂わすことによって、自己の陸軍内部における地位の安定と、将来の出世を目指したものでしょう。

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