ちくまの教科書 > 国語通信 > 連載 > 舞姫先生は語る第五回(3/3)
第一回 『舞姫』のモチーフについて
第二回 太田豊太郎の目覚め
第三回 エリス――悲劇のヒロイン
第四回 太田豊太郎と近代市民生活
第五回 『舞姫』の政治的側面
第六回 結末
鈴原一生(すずはら・かずお)
元愛知県立蒲郡東高等学校教諭
第五回 『舞姫』の政治的側面
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鴎外の理想と現実

 鴎外の中には理想主義と現実主義の両方が存在します。山県に対する接近にもそれが窺えます。鴎外は何故に山県に接近したのか。それは山県が陸軍と政界における最大の実力者であり、有能であったからでしょう。例を挙げれば、山県は徴兵制度を実施しました。これによって日本の軍隊制度は近代化されました。明治十七年は鴎外がドイツ留学を果たした年であり、また、自由民権運動が最高潮に達した年です。山県は、自由民権運動による混乱を象徴する秩父事件の発生を電信でいち早くキャッチし、政府軍を急派し、民衆たち蜂起軍を粉砕しました。さらに保安条例を公布し、民権運動を徹底的に弾圧し、明治政府の基盤を強化しました。政治家としても二度にわたって内閣を組織し、元老となって明治から大正に至る間、政界を牛耳ったのです。

 鴎外は自己の政治的理想を山県という人物を通して実現しようとしたのではなかったでしょうか。彼の日記には山県との交流が頻繁であったことが如実に示されています。

 鴎外の歴史小説に『大塩平八郎』があります。その「付録」で次のように述べています。

 平八郎は天保七年に米価の騰貴した最中に陰謀を企てて、八年二月に事を挙げた。貧民の身方になつて、官吏と富豪とに反抗したのである。さうして見れば、此事件は社会問題と関係してゐる。勿論社会問題と云ふ名は、西洋の十八世紀末に、工業に機関を使用するやうになり、大工場が起つてから、企業者と労働者との間に生じたものではあるが、其萌芽はどこの国にも昔からある。貧富の差から生ずる衝突は皆それである。
 若し平八郎が、人に貴賎貧富の別のあるのは自然の結果だから、成行の儘に放任するが好いと、個人主義的に考へたら、暴動は起さなかつただらう。
 若し平八郎が、国家なり、自治団体なりにたよつて、当時の秩序を維持してゐながら、救済の方法を講ずることが出来たら、彼は一種の社会政策を立てただらう。(中略)
 この二つの道が塞がつてゐたので、平八郎は当時の秩序を破壊して望を達せようとした。平八郎の思想は未だ醒覚せざる社会主義である。(「鴎外全集」第一五巻 岩波書店)

 鴎外は『歴史其儘と歴史離れ』というエッセイの中で、自己の歴史小説について歴史的事実を尊重したものと、変更を加えたものがあると述べています。しかし、私は彼の歴史小説の本質は歴史そのものにあるのではなく、彼の現代社会における個人的な不平不満のはけ口であり、また社会的には政治的理想の実現にあったのではないかと思います。『大塩平八郎』は、表面的には勝れた人物の提言を活かすことが出来ずに犬死にさせてしまった徳川幕府の政治制度・組織の問題点および、高級官僚の無能・無責任・保身の醜さ等が描かれています。実は徳川時代の問題点を批評しながら、明治国家そのものを批判の対象としているのです。ひょっとすると大塩平八郎と幸徳秋水を重ね合わせていたのかも知れません。或いは大塩平八郎は俺だと言いたかったのかも知れません。当時の彼は、陸軍軍医総監(陸軍中将相当官)でした。官僚機構の頂点に位置する彼が、ストレートに体制批判することなど出来るはずがないのです。このように考えて行きますと、鴎外にとって歴史小説とは、実に有効な表現手段であったと言えるでしょう。

 以上、様々な資料を使って『舞姫』における政治的部分について述べてまいりました。豊太郎の背後には森鴎外がいます。文学者にあるまじき政治的人物。これも鴎外の真実なのです。その犠牲者がエリスです。しかし、それを彼はやむを得ないものとして片付けることが出来たのかといえば、そうではありません。それは深い心の傷として残り、生涯にわたって彼を苦しめ続けたのです。『舞姫』の冒頭部分を思い起こして下さい。

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