万葉樵話――万葉こぼれ話

第三回 『万葉集』は素朴か

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『万葉集』は「ますらをぶり」か

 前回も述べたように、『万葉集』はまずは宮廷歌集として把握されなければならない。ならば、『万葉集』は、「みやび」の精髄を集めた歌集になる。「みやび」は「風流」などの文字があてられたりするが、そもそも「みやび」の「みや」は「宮」であり、全体として宮廷風の美意識を表す言葉である。宮廷は、世俗の日常とは切り離された世界である。それを構成するのは、天皇を中心とする貴族たちだが、もともと貴族はこの地上世界の神として存在した。それゆえ、貴族の役割は、神のありかたを模倣するところにあった。世俗の日常はけがれた世界とされたから、宮廷社会はそこから隔絶されなければならなかった。もとより、現実がそうだというのではなく、あくまでも理念の問題としてである。

 神のふるまいは「あそび」と呼ばれた。地上世界の神である貴族も、その役割は「あそび」にあった。「あそび」とは、遊芸つまり歌舞、音曲の類を意味するが、宴席(酒宴)も「あそび」の場であり、そこで遊芸を披露する遊女もまた「あそび」と呼ばれた。狩りも「あそび」だが、これももともとは神のふるまいとされた。

 天皇の役割も「あそび」にあった。それをよく示した歌が『万葉集』にある。長歌なので、前半部分だけを掲げる。

す国の とほ朝廷みかどに いましらが かく退まかりなば たひらけく われは遊ばむ むだきて 我はいまさむ……
(巻六・九七三)
〈口語訳〉
私が支配する国の、遠くの朝廷ともいうべき各地方の政庁に、お前たちがこうして下って行ったなら、平穏に安心して私は遊んでいよう。腕組みしたまま手を出すことなく私はおいでになろう……。

 聖武しようむ天皇(七〇一~五六)の歌である(げんしよう太上天皇〈六八〇~七四八〉の作とする異伝もある)。一部、自敬語が用いられている。せつ使(西辺の軍備を固めるため、諸道に派遣された監察官)を派遣する際の酒宴の場で歌われた歌である。ここで天皇は、お前たちが政務をきちんと遂行するのだから、自分は遊んでいようと歌っている。天皇は、地上世界の神の中の神だから、「あそび」こそがその役割だったことになる。ここには、「むだきて」ともあるが、反対からいえば、天皇自身が直接手出しをするのは、この世界が危機に瀕していることの現れになる。以前にもどこかに紹介したことがあるが、大昔のテレビCMに「大統領のように働き、王様のように遊ぶ」(大正製薬・サモン・1988年)というのがあって、大統領(人)と王様(神)の違いがよく現れていて、いたく感心した覚えがある。

 「あそび」は、宮廷儀礼の場の基本理念でもあるから、それを体現する美意識が「みやび」になる。「みやび」の精髄を集めた歌集である『万葉集』の美の中心もまた「あそび」に置かれていたことになる。

 教科書の『万葉集』についての解説を見ると、右に記したところとはまったく正反対の説明がなされていて、前回に引き続き、ここでも「おやおや」と思ってしまう。それは、『万葉集』を、「素朴」な歌集とする理解についてである。「素朴な心情」「実感に即した感動を率直に表現」「上代人の素朴で純粋な生活感情が歌いあげられている」等々の文言がそこに見える。「現実生活の感動を素直に表現」と述べているものもある。「ますらをぶり(男性的歌風)」を掲げている教科書があるのも、驚きである。「ますらをぶり」「たをやめぶり」はものぶち(一六九七~一七六九)の評言(『にひまなび』)からの引用だが、これをそのまま肯定する研究者は、いまはさすがにいないだろう。「ますらをぶり」「たをやめぶり」は、近世国学の批評意識の問題であって、古代の文学とは直接結びつかない。「上代人の素朴で純粋な生活感情」という理解など、万葉人は単純な感情しか持ちあわせておらず、そこから徐々に複雑な精神が生まれるようになったとする、まことに粗雑な進歩史観の現れにすぎない。

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