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日本文学の声 作者の語り―物語(日本の小説)の読み方・教え方

I 三浦哲郎『とんかつ』(1987)

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③女将の冒険(変身)と物語の主題――「形式と内容」の統一性

 そこまで踏み込んでもいいという判断は、永平寺という一つの倫理的権威を近郊にもつ旅館としては、女将とはいえ、なかなかできることではないだろう。そこに躊躇がないことが、この物語を(敢えて言うなら)「ポストモダン」にしている。「十六歳の修行僧がとんかつを食べるのを善しとする」、ここには永平寺の権威をものともしない、一人の日本人の秀でた感性がある。

 一年後の少年は、〈見違えるような凛とした僧になっている。……それから調理場から漂ってくる好物のにおいに気づいたらしく、ふと目を和ませて、こちらを見た〉とある。そこで、主人公は己の判断の正しさを確認するのだが、すでに〈とんかつを用意〉するという「決定的な行動(クライマックス)」の後のことである。この女将の少年に対するスタンスが物語の意味を担っているのだ。この物語が優れた「日本人論」として読めるのは、女将のチャレンジ精神だ。

 だが、もしも、少年が〈修行中の身〉を理由にとんかつを辞退したとすれば、これは修行僧の「成長の物語」として成り立つだろう。その場合、女将はおのれの不徳を咎められたことを恥じる立場に置かれて、あるいは、主人公の資格がなくなるかもしれない。物語の結末では、しかし、〈(とんかつで)よろしかったでしょうか〉との女将の問いに、少年は「ありがたく頂戴いたします」の意味をこめて〈合掌の礼〉をしている。

 女将の人間性が見事な語り口に認められる。物語の倫理は、女将が自分の「こゝろ」の動きを的確にわれわれ「聞き手(読者)」に向かって語る、その端正さにある。

 整然とした三部形式、その中で、身体の成長過程真っ盛りにある十五、六の少年に一番必要なもの、それは宗教的な修行の場にあっても戒律がすべてではない、と主張すること。普通は高校卒業後に入門するのだが、父親の不慮の事故死のために、無理矢理の入門であることを聞かされた女将に躊躇はなかった。作者の声がテクストから聞こえてくるのは、主人公の言説を支える作者がそこにいるからだ。

 この物語の構造を能楽の「序破急」と見るならば、クライマックスは、「急」の部分をさらに三分割したうちの「破」の終わりに置かれている。そこがこの物語の「急所」であることを、生徒たちに見つけさせることが、授業のひとつの目標でありたい。語り手の叡智がそこに集約されているからだ。 

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