勤労と責任を重んじ—大村はまを読む

上野健爾

 戦後日本の教育は、個人の権利のみを主張する利己的な人間を作ってきたとよく言われるが、時の文部大臣田中耕太郎の多大な努力によって制定された教育基本法には「勤労と責任を重んじ」る人材を育成することが教育の目的として、第一条に高らかに謳われている。しかし残念ながら、この理想は多くの人々に無視されてきた。とりわけ、教育基本法を遵守すべき旧文部省が、教育行政を通してどのように教育基本法を骨抜きにしてきたかは、林竹二著『教育亡国』(ちくま学芸文庫)に詳しい。しかし一方では、この教育基本法の理念を愚直なまでに守り続けてきた一群の教師もいた。その代表は大村はまである。彼女ほど、生徒に対する教師の責任を重んじ、そのために全生涯を捧げた教師を知らない。

 大村はまの名前は単元学習と深く結びついている。しかし、大村はまに傾倒する多くの教師が、大村の単元学習にヒントを得て、そこから自己の教師としての使命を深く考えるのではなく、極言すれば、大村はまの単元学習をまねするだけで終わってしまっている。大村はまが求めていたものは、生徒の学力を養う技術を持った人としての教師が、生徒一人一人に目を向け一人一人を育てる仕事に全責任をもってあたることであった。国語教師としての大村はまにとってそれを実現する手段が単元学習であった。

 最晩年の大村はまは、時折、言いようもない孤独感を親しい人に訴えることがあったと聞く。大村はまの名が称揚され、大村の単元学習が評価されまねされていくのを見ながら、大村の求める根本がなおざりにされているのに、もどかしさを感じていたのではなかろうか。太平洋戦争の敗戦後(この敗戦を終戦と言い換え、占領軍を進駐軍と言い換えてきた多くの日本人は、結局の所、敗戦から何も学ぼうとしなかったが)、戦前の教育に欠けたものを反省し、新たな教育をめざすところから大村はまの教師としての戦後は始まった。戦前は高等女学校の教師であった大村はまは誘われて中学校の教師となった。戦争直後のすさんだ中学校の現実を前に、高校の教師に戻ることを求めて西尾実に相談に行くと「本当の教師になるときかもなぁ」といわれ、その帰り道で単元学習に思い至った。その歩みについて、大村は様々なところに記している。そこで一貫しているのは、教師としての責任の重さの自覚とそれを実現するための人一倍の勤勉であった。『日本の教師に伝えたいこと』の中で大村は次のように記している。

 なぜ、研究しない教師は教師として困るのでしょうか。研究には、楽しみもありますが、苦しみの方がずっと多いと思います。高いものを目指したり、得たいものを目指したりして、苦しみながら、少しの楽しみを味わいながら、自分を伸ばしていこうとします。自分を伸ばす苦しみと楽しみのなかで生きています。そして、それは、学ぶ子どもたちの姿なのです。ですから、研究をつづけ、学びつづけることは、子どもと同じ床に立ち、同じ世界にいることなのです。研究していなければ、そこが崩れてしまいます。

 かつて、テレビの番組で大村はまが、自分は授業で同じ教材を二度使ったことはなかったと語っているのを聞いて、思わず襟を正したことを思い出す。

 大村は最晩年に至るまで、話し合うことが、未だに日本で実現されていない重要な課題であることを力説していた。一人称がいつの間にか二人称となり、論理的であるよりは感情を重んじる日本人にとって、自己の責任を自覚することは大変難しい。しかし、責任の自覚なくしては実のある話し合いは実現しない。

 大村はまを読むことは、そこから国語教育のノウハウを単に得ることではなく、私たちの生き方そのものを根源から問い直し、勤勉と責任を重んじることの大切さを学ぶことである。

(うえの・けんじ 京都大学大学院教授/数学者)

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