人はどこまで自由でいられるか —『マイケル・K』文庫化に寄せて

藤原章生

 J・M・クッツェー氏の小説『マイケル・K』の主人公、Kは、その風貌から、大方の人々に目をそむけられ、無視される。寡黙な彼は、宮沢賢治の「虔【けん】十【じゆう】公園林」に出てくる虔十のような、「でくのぼう」といった存在だ。

 市営公園の庭師の仕事を黙々とこなし、友人もできないまま、孤児のように生きてきたKは、ある日、病院からの連絡で、母親が永くないことを知る。生涯、他人の家の床を磨き、他人の汚れた服を洗濯してきた母親は、病気が重くなると主人の家から放り出された。Kは幼いころ、養護学校で考えたことを思い出す。

「なぜ自分がこの世に生まれてきたかという難題にはすでに答えが出ていた。母親の面倒を見るために生まれてきたのだ」

 Kは母親を手押し車に乗せ、故郷に連れ帰るが、母親はあえなく息を引き取る。遺灰を手にしたKは、フェンスがどこまでも張り巡らされた荒野をひとり歩きつづける。

 だが、どこに隠れようと、ひとりでいることを許されない。舞台は内戦下の南アフリカだ。どこにも属さず、政治から浮き出た存在は認められない。Kは常にどちらの側にいるかで判断され、政治犯収容所やキャンプに放り込まれる。だが、強制や、服従を無気力に拒み、状況に身を任せようとも、へつらおうともしない。点滴や食事を拒んでも、そこに「ハンガーストライキ」の意味を備えさせることさえ拒絶する。

 ある日、見知らぬ若い男に一宿一飯の恩を受けたKは「人々は互いに助け合わなければいけない」という言葉を聞く。そのときのKの自問が印象深い。

「自分は人を助けるかもしれない。助けないかもしれない、そのときになってみないとわからない、どんなこともありうるのだから。自分には信念がないような気がした。いや、助けるということについての信念がないようだ」

 そして、感謝の言葉を言わなければと思いながらも、Kは体を震わせ、「言うべきことば」をどうしても発せられない。

 Kは、信念、つまりあらかじめ用意された言葉に従って生きることに、はっきりと背を向けている。

 人はどこまで自由でいられるのか。『マイケル・K』は、クッツェー氏の一連の作品の底に流れるこのテーマが、より鮮やかに描かれた作品と言える。

「あなたが描くのは、歴史の中の個人の運命ですね」。97年、私がそうたずねると、クッツェー氏は迷うことなく、こう応じた。「そうです。私が描くのは、あくまでも個人の運命です」

 人は、たまたまある土地に生まれ、風に流れる砂粒のように消えていく。だが、砂粒は、土地や国家がもたらす運命に巻き込まれ、好き勝手に色づけされる。何も求めず、たった一人でいるという小さな自由さえ与えられない。

「洞穴の正面で、頭の後ろでしっかりと指を組み、目を閉じて心をからにし、何も望まず、何も期待せずにいること」。それがKの望みであり、自分の内面に忠実であろうとする。

 

 人が人に会う。人が人に関わる。それはどういうことなのだろう。私は九五年から五年余りの間、アフリカに暮らし、よくそんなことを考えた。

 人と出合い、向かい合えば、出てくるのは言葉だ。それで親密になるかもしれないし、興味を失うかもしれない。でも、実のところ、言葉があろうがなかろうが、関係ないように思える。相手を受け入れるかどうかは、大方、出合いのときに決まるのではないだろうか。肩書きも、前置きも何もいらない。

 でも、日々の暮らしを見ると、余計なものが邪魔をして、そう簡単にはいかない。利害のある相手に自分を合わせ、直感より対話で人を評価する。

 だが、アフリカ生活の後、私は第一印象や直感、人と人の間にある不思議な空気を大事に思うようになった。アフリカで会った人々の心を描こうとしてきたのも、おそらく、マイケル・Kなどクッツェー作品を読んだ影響が大きいと思う。

(ふじわら・あきお 毎日新聞記者)

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マイケル・K

マイケル・K

J・M・クッツェー 著

内戦下の南アフリカを舞台にさすらう一人の男を描く異色の小説。二〇〇三年にノーベル文学賞を受賞した著者の初期の話題作。

定価1,050円(税込)