交響曲だって夢(悪夢?)を見る

吉松 隆

 音楽家というのは、口を開くと「音楽というのは本当に素晴らしいものです!」と言う。(私もそう思う)  でも、「じゃあ、お子さんにも音楽家になって欲しいと思いますか?」と聞くと、必ずと言っていいほど、こういう答えが返ってくる。「とんでもない!」(ちなみに私も、子供はいないけれどそう思う)  

 つまり、音楽というのは本当に素晴らしいものなのだけれど、音楽家になるというのは、それはもう親としては「絶対に自分の子供だけには同じ道を歩ませたくない」と断言したくなるほど、えらく大変なものなのである。  

 そんな音楽家の中でも、作曲家(それもクラシックの作曲家)というのは、また輪をかけて大変である。演奏家や指揮者なら、確かに音楽を演奏してお駄賃が貰える立派な〈お仕事〉である(まあ、有名か無名かによってギャラの多寡があるという問題はあるかも知れないが)。しかし、作曲家と来たらそもそも〈お仕事〉ですらない。  

 中でも、いちばん偉そうな顔をしている〈交響曲作家〉というのが最悪である。なにしろ一生かけてせいぜい9つくらいしか書けない交響曲に全精力を傾け、結婚もせず定職にも就かず家庭も持たず、あげく数年の歳月をかけて書き上げても報酬を貰えないどころか演奏すらしてもらえなかったりする。これはもう人類史上もっとも馬鹿げた職業のひとつと言っていい。  

 フンフンフンと十六小節ほどのメロディを書けば、そこそこのお駄賃が貰えるポップスの作曲家と違って(などと言うと、えらい偏見があるような気もするけど)、交響曲ともなると五〇人とか一〇〇人とかいるオーケストラ全部の楽器の演奏するパートを、全4楽章で三〇分とか一時間とかの長さの分だけすべて作曲し、厖大な数の音符をゴチャゴチャと書き込まなければならない。その労力だけだって気が遠くなるほどだ。  

 にもかかわらず、ベートーヴェン先生にしろシューベルト先生にしろ、交響曲を書いたおかげで金持ちになった……などという話はとんと聞いたことがない。それどころか、書けば書くほど貧乏になっているんじゃないかとさえ思えるほどだし、チャイコフスキー先生やマーラー先生に至っては、最後の交響曲を書き上げるや否やポックリ死んでるほど。まさに、作曲してお金を貰えるどころか、自腹を切って身をすり減らし寿命を縮める恐怖のお仕事という気さえしてくる。

 いや、そのことについては、私も〈交響曲作家〉というのをかれこれ二〇年以上やって来て、この歳にしてようやく思い知りましたね。これは職業なんかじゃない。子供を産むのと同じで、産んだからといってお金なんか貰えない。命をすり減らして産み、身を削って育てる〈業〉のようなもの。だから、9つも書いたら、とてもじゃないが死んでしまう、とね。  

いや。ところがですね。それでも、人生を賭けて悔い無しと思わせるほど素晴らしいのですよ、交響曲ってやつは。  

 そもそも音楽なんて、考えてみれば単なる音の集まりにすぎない。それなのに、そこに人生が聴こえ、思想や愛や自然や世界や宇宙が聴こえる。そして、楽譜なんて、どう見ても単なる音符や記号の集まりにすぎない。それなのに、そこに人間の感情が渦巻き、悲しみや喜びや切なさや勝利の雄叫びが組み込まれている。こんな凄いことはちょっとない。  

 中でも〈交響曲〉というものは、人間の音楽への探求心が生み落とした〈オーケストラ〉という万能楽器を手に、音の組み合わせだけで人間や世界や宇宙のすべてを描く。これこそ、人間がその知性と感性とを総動員して創り上げる最高の存在であり、最高の創造物のひとつなのであるッ!  

 ……と、まあ、そんなことを、交響曲作家であるセンセが、仕事場として借りている部屋の大家の娘である女子高生ヒビキ(響)くんと、飼い猫のG#(ジーシャ)を相手に、音楽を聴きながらとつとつと語るのが、この書というわけなのです。

(よしまつ・たかし 作曲家)

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夢みるクラシック

夢みるクラシック 交響曲入門

吉松 隆  著

定価798円(税込)