立原道造/詩と建築と

小池昌代 ●詩人
鈴木博之 ●建築史家

詩人との出会い

鈴木 立原道造全集の刊行は、これで五回目になるのですが、これは日本の詩人のなかでは異例に多いと思いますし、それだけこの詩人に対する関心と興味が持続しているということだろうと思います。彼自身は建築家でもありましたから、そういう側面の彼のあり方も、今回初めて、なるべく多く収めていこうとしています。
まず、小池さんは立原にどういう感じで出会われたか、お聞かせください。

小池 出会ったのは中学生の頃だったと思います。詩に惹かれ始めた頃のことです。立原の詩は、「風」とか「光」とか、いかにも詩らしい柔らかい言葉でできていて、思春期の人間のあこがれをかきたてるような雰囲気があります。でもわたしはそれほど、夢中にはなりませんでした。生意気盛りで自分でも詩を書きたいと思っているところです。読んだあとに手の中に何も残らないのが、なんだか面白くなかったのかもしれません。言葉というモノに具体的に触った感覚が欲しかったんですね。
 ところが、四十を過ぎたころに読み返す機会があって。それがとても、いいんです。言葉と言葉がかき鳴らしている、純粋な音楽に心を打たれました。改めて、立原の詩は、言葉の楽譜なんだと気づきました。ひとつひとつ、意味を持った言葉が使われているにもかかわらず、詩の全体は、決して意味をつくらない。鳴らない観念の音楽状態をつくっています。そこにむしろ男性的なものを感じて、「立原道造って、フンワリした乙女チックな」というのは誤解だったと思いました。おばあちゃんになったら、さらにもう一度、読んでみたいです。

鈴木 楽しみがあるわけですね。

小池 はい。今度の全集では、私は特に建築関係のものはほとんど読んでいないので、楽しみに読みたいと思っています。十三の頃に出会った道造でないものが、出てくると思いますし、そこにはもっと激しいものがあったような気がするんです。

鈴木 私が立原に最初に出会ったのは、やはり中学から高校の頃です。先ほど、わりと抽象的で、具体的ではないとおっしゃいましたが、私はむしろ具体的な風景として読んだので、立原行脚で追分まで行ってみたりしました。ただ、生意気盛りの頃だと、もう少しモダニズムみたいな詩がカッコよく見えて、北園克衛とか春山行夫とかいう人の詩のほうが構築的で、カチッとしていて面白いと思っていた時期があったんです。
 でも、建築に入ると、「立原が好きだ」というヤツはほとんどいないわけです。それがちょっと残念でしたけど、最近になって、「実は立原が好きだ」という建築の人は、隠れキリシタンみたいに結構いる感じというのがだんだんわかってきました。

小池 「隠れキリシタン」(笑)。

少女趣味vs男性的な構築性

鈴木 僕は、特にこの全集に関わることが大きな機会だったわけですが、モダニズムとは別でありながら、人工的と言っていいぐらいに構成がカチッとしているのが面白いなという感じがします。

小池 その人工性についてなんですが、音楽や詩というと、普通はなだらかな曲線というか、見えない波動のウェーヴがその中に通っていることが多いと思うんです。自然が持つ曲線と言ってもいいと思います。でも、立原道造の詩を読んでいると、その裏側にイメージとして、直線がスッ、スッと出てくることが多いんですね。これはどこからくるものなのか……。私が建築家である立原を意識して読むからそうなのか、あるいは、立原道造の詩の中に、そういう建築設計図的な、直線的なものがあって、それが読む者の中にイメージとして表れてくるのかなと思ったり……。

鈴木 面白いですね。僕はむしろ全く逆で、柴田南雄さんという方が、早い時期に立原の詩を作曲しておられて、僕はそれでさらに「立原の詩はいいな」と思ったんです。でも、それを聴いていて、なんかこっぱずかしいわけですよ、少女趣味が加わっていて。
 結婚して、女房に「これは少女趣味の詩だから」と言ったら、いまの小池さんとかなり似た反応で、「これは少女趣味の詩じゃなくて、男じゃなきゃ書けない」というようなことを言っていました。

小池 そうですね。だから私は、この人はすごく誤解されている詩人だと思います。全然女性的じゃないですよ。真に男っぽいものがあって、むしろ女性から言わせると、ちょっと遠ざけたいぐらいに男っぽい。

鈴木 マッチョという意味ではなくてね。

小池 ええ、二十三、四ですから、男ならなおさら、自分の世界をまずつくるのに一所懸命で、生活どころじゃない。まずは、その前の理念を構築するというか……。
 晩年に寄り添った水戸部アサイさんという女の人は、写真で見るとすごくかわいらしい、清楚な、ヒナゲシのような人ですよね。一方、道造が、草原で横むきに膝を組んで写っている写真がありますが、腕も細くて針金のようで、ああいう肉体に恋をするということは、ほとんど不可能じゃないかと思うぐらい、痛々しい肉体ですよね。だから、アサイさんという人も、理念というか、魂に恋をしたんだと思うんです。

鈴木 北へ南へと最後に旅行していくわけですが、あれはほとんど無謀と言っていい旅行ですよね。ある意味では、それだけのっぴきならない何かに駆り立てられて行ったのだろうと思いますけれども。

小池 ですから、盛岡や長崎への紀行を含む手記というところは楽しみですよね。日本の文学史上、漂泊の文学という系脈はあると思いますが、そういうのとも違う。だから、この人の肉体の弱り方を念頭に置いて見ると異常な精神力で、男っぽいというか、魂だけを見れば、こんなに剛直な人はいないという感じのものに見えてきます。

詩と建築との繋がり

鈴木 そういう意味で言うと、立原の詩は、一見、ほんとに抒情的な雰囲気だけのようだけれども、すごく抽象的な構成でできている。そこが、ある意味では建築と繋がっているような気もしますよね。

小池 すごくそうだと思いますね。

鈴木 建築というのはいろいろな必要をなぞっていくだけではできないわけですから、ある種抽象化して、何かの型と構成をイメージしながら、それを一歩掘り下げていく仕事をしなければならない。その意味では、彼にとって建築というのは、すごく向いていたと思いますね。

小池 そうなんでしょうね。音楽も、楽譜というのは全く音の鳴らない状態で、作曲家は音符を書きますよね。建築の設計図も全く同じもので、具体的に何か物や音にならない、前の段階を作り上げることに、この人は恐らく長けていたと思いますね。抽象概念を作り上げるような能力といいますか。
 道造の詩は、意味のある言葉でできている詩なのにもかかわらず、読んだあとで全部スーッと、砂浜で波が引いてしまったように、あとに何も残らない。なんのマジックがここで起こったのだろうと、その不思議さに逆に目を見張ってしまうというところがあるんです。

鈴木 何も残らない。けど、何が残るのでしょうか。

小池 うん、残るんですよ、おっしゃるとおりに。道造は、道造以前の詩について、歌うのでなく描いているように思うと言っていますね。彼には詩で何かを描くという意識はなかった。だから言葉という具体物が残らなくて当然ですが、それが徹底していますね。意味と意味とが互いを消しあって音楽が湧いています。でもそこには、歌うという感情それ自体が残っていると感じます。冷たいパッションがあって、それがこちらの体液を揺するんです。

鈴木 僕は、好きな道造の詩に、「羊の雲の過ぎるとき/蒸気の雲が飛ぶ毎に/空よ おまへの散らすのは/白いしイろい絮(わた)の列」というのがあります。考えてみると、それは何を言っているのか。啄木の「空に吸われし十五の心」とも全然違う。やはりスーッと引いたあとには何も残っていないけれど、感情それ自体が残っているというのは、そういうことなのかもしれませんね。

小池 この人の詩は読む度に立ち上がってくる。まえに読んだという気がしていないものですから、同じ詩でも何度でも読んでしまいますよね。

鈴木 彼は建築を始めるわけですが、学校でノートを取っているあいだに落書きのようにスケッチをしたり、課題で出たのを自分で繰り返しながら考えているというのが、いろいろなところに出てきます。
 それから、舞台装置らしきものを書いたり、イニシャルを一所懸命カッコつけて書いてみたり、推敲に推敲、あるいは校正に校正を重ねて、ある形式と、ある内容のものが固まっていく。建築は一筆書きではサッと作れませんから、そういうプロセスを必ず通さなければ、いかなる大天才でも設計はないと思いますが、そういうプロセスというのが、彼が詩を書いていくプロセスと同じだったんだろうなと。だから彼は、仕事として建築、自分の使命として詩——という感じは一切なかった。同じような営みとしてやれたのだろうと思いますね。

小池 この人は結婚もしなかったし、生活を始めなかったということも関係しているかもしれませんが、建築、詩、あるいはパステル画みたいなものも全部、どこがどこというように分かち難いものとして、統一されている感じがありますよね。

ヒアシンスハウスの夢

鈴木 立原道造が学生の頃は、クラスの非常に輝ける存在というか、本当に建築設計の上手い人であったし、石本建築事務所という当時トップクラスの事務所に入る。普通は、建築事務所に勤めるというのは怖いわけですよ。

小池 怖い?

鈴木 要するに、役人になるとか、大企業に勤めるほうが安定するし、将来が保証される。だけど、建築事務所に勤めるというのは、将来的には自分で独立してやっていくわけだから、やはり才能を信じる、あるいは、それに情熱を持てる人しかそういう道を選べない。
 もし彼が生き長らえていたらどうなったか。ものすごく才能のあった建築家だし、小住宅あるいは芸術家コロニイみたいなイメージをつくっていたけれど、大きな事務所で公共建築の設計などをやっても、充分才能があった人だろうと思います。そのときに、彼の詩と建築というのがどういう関係を持っていくのかというのが……。

小池 すごく興味がありますね。でも、こういう詩はもう書けないですよね。書いていないと思います。

鈴木 建築家として大成し、詩人としての立原はだんだんフェードアウトしていくという見方もあるけれど、そうでなかったかもしれないという気も持ちたいですよね。

小池 そうですね。立原の詩の構築性というか、ハードなところに目を向けると、こういうものを持った人であれば、いくらでも違う詩を再構築できたのかなという気もしますね。

鈴木 すごい長篇詩を書く詩人になったとか、そういうことを夢見ると、とても楽しくなる。

小池 小説にも野心みたいなものを持っていたようだし、この人の散文というのは、かなり詩と違う面が出ていると思うので、小説をもっと書いたら面白かったのにと、もしもの話で思いますね。

鈴木 そうかもしれないですね。

小池 このあいだ、道造記念館でヒアシンスハウスの模型を初めて見ました。

鈴木 あれは、道造が神保光太郎さんと知り合って、埼玉県の別所沼公園の池の畔を勝手に想像して小屋というか……僕には、少年の秘密基地だという感じなのですが。旗竿が立っていて、自分が行くとスルスルと旗を立てるなどというのは、ものすごく子供っぽくて……。

小池 そんなのもあるんですか。

鈴木 そこで友達と語らって、食事は作れないし、泊まれないけれど、すごくエゴイスティックな少年の、逆に言うと、それだけ純粋な夢がある。ただ、建築的に見ると、本当に一部屋で、当時としてはとても新しいつくり方です。あれはワンルームそのものです。非常にはっきりしたイメージで、広くて明るいところに人が集まって、最終的には自分の寝る場所がこちら側にある。しかも、当時の建築の一般的な仕切りをせずに、それが繋がってくる。

小池 なるほど、そうですか。あのベッドが奥にあるというのは、どうですか。もし健康であれば、もう少し隠すと思うんです。ベッドをあんなにあからさまに見えてしまうところに置いたのは、「この人は、やはりすぐに横になりたかったんだろうな」というか、病弱性が表れているのではないか。

鈴木 それは鋭いなー。そうすると、ちょっと痛々しい気がしますね。僕は、子供はわりと屋根裏に行ったり、押入れの中に入ったりするから、そういう感じの秘密基地というイメージで見ていたけれど……。

小池 もちろんそれは、私も感じます。子供というのはもう少し、寝ると起きるが一体化している。それが幸福な子供時代だと思うんです。もっと大人になると、それがひとつひとつ、機能的にパーツで区切られてしまうのでしょうけど。ヒアシンスハウスもまた、若々しい純粋性の表れだったかもしれませんね。 鈴木 建築家にとって、限られた空間の中にどのように全体性を盛り込んでいくかというのは、すごく楽しいプロジェクトになるわけです。だから、立原のヒアシンスハウスというのは、ほんとに彼個人の最小限空間というのをつくりたかったのでしょう。

小池 そうですね、一人しか寝られない、シングルベッドですよね。

鈴木 シングルベッドですね。

最後の立原道造

小池 道造という人は、私は下町の感覚でわかるのですが、社交的だったと思います。人とぶつかっても、うまくいなしながら軽妙に人間関係の中を泳いでいく面があったような気がするんですね。室生犀星が書いた『我が愛する詩人の伝記』に出ている道造像というのは、とても魅力的なんですよ。私、犀星が書いた道造の像が一番好きです。

鈴木 わよ、わよ、というやつですね(笑)。

小池 こんなふうに年上の詩人たちと交流できたらどんなに楽しいだろう。この人は愛されていたということがわかりますね。

鈴木 友達に立原みたいな人がいたら、こっちが逃げちゃうかもしれない(笑)。あまりにブリリアントで。でも、彼は詩の世界だけでなく、建築の世界の友人、先輩も多かったから、とっつきにくい孤高の天才ではなかったでしょうね。

小池 そうなんですよね、そこが温かみを残しているんです。この人は絵も描けたから、あのパステル画がまた素晴らしいじゃないですか。色の使い方のハーモニーといい……。下町の風景を描いても、電柱や電線の直線の構図が生きているんですよ。

鈴木 彼はノートの中に、室生さんのお宅へ行って、どこに誰が座ったという見取図を描いています。それは建築的に言うと、部屋をどのように人は使うかという分析で、戦後の非常に重要な研究手法になります。それは、彼にとって、少年っぽい、「室生さんはここにいて、僕は横に座ったんだよ」という記録でもあるけれど、それ自体すごく建築的でもある。

小池 道造さんがアサイさんを犀星に会わせたとき、遠くのほうで挨拶しただけでも、犀星はアサイさんの本質みたいなものをグサッとつかまえてしまう。ああいう独特の女の愛し方やつかみ方みたいなのは、若い道造にはないし、多分わからない。

鈴木 やはり、夢に生きたというか、非常に理知的だったけれども、リアリズムの世界に生きていた人ではないという感じですよね。敢えて言うならば、彼はあれ以上生きていくと、それこそ水戸部アサイさんとも結婚しなければいけない。祝婚歌を意味する詩集『優しき歌』を用意するということと、結婚生活を始めるということは、実は同じではない。ヒアシンスハウスをイメージするのと、実際の住宅に暮らすというのは、また全然意味が違う。
 彼は、それがいよいよ目前に迫って、実際の人生というものに入っていく不安というのも、すごくあったのではないかと思いますね。会社に勤めて、一年足らずで休職してしまったのに、あれだけ無謀に、体を酷使してあっち行き、こっち行きする。

小池 拍車がかかっていますよね。自分で自分を追い詰めていくような……。

鈴木 いやあ、信じられないですよ。だから、最も完全な可能性の状態において、没したというような気もしますね。それだけに、我々に対して常に新鮮な感覚を起こさせてくれるし、その過程においては、驚くほど彼は完璧だと思うんですよね。

小池 そうなんですよ、その完璧性が痛々しいんですよ。ほんと完璧なんですよね。純粋性というか、やはりここまでこういう形で完璧性が表れるためには、死ななければいけなかったという感じが出てきますね。

鈴木 あれほど繊細な人が、なぜあれだけ駆り立てられていったか。それは、やはり彼にとっての切実さがあったし、自分の可能性における完璧さというのを彼は信じていたし、だけど、その危うさも無論感じていた。だからこそ、逆にいまを突き進まなければいけないというところがあったのかもしれませんね。

小池 ええ、いまという瞬間の燃焼度においてはすごいものがありますね。いまを本当に一所懸命、密度濃く生きようと。

(十月五日、山の上ホテルにて)

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立原道造全集 1巻

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立原 道造 著 , 中村 稔 編集 , 安藤 元雄 編集

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