◇ちくま学芸文庫「益田勝実の仕事」全5巻・第60回毎日出版文化賞(企画部門)受賞

益田勝実氏の学問

鈴木日出男

『益田勝実の仕事』全5巻(ちくま学芸文庫)に結実されている数々の論考の最大の魅力は、氏の専攻する日本古代文学の研究はもちろん、国語教育の研究の領域においても、一貫して、人間とはいかに人間的な存在であるかを、根源的に問いかけつづけている点にある。さらにいえば、人間は誰しも言葉を操ってその生活を営んできているが、その言葉との緊張的なありように、人間性の重々しさを見出そうとしてきたのである。
 たとえば、最初の物語作品『竹取物語』の、かぐや姫昇天の条を論じて、このように説いている。「俗塵にまみれ、悲喜に翻弄されて生きる人間世界の恩愛の絆に苦悶するこの美女に、物語の読み手は、喝采を送りたくなる。人間万歳! 誰もが脱出したいと思っている世界であっても、愛する者を捨てて、われひとりのがれ出たいとは思わないであろう。人間界、それはなんとふしぎなところであろうか」(第2巻「フィクションの出現」四六九頁)と。日本固有の仮名文が工夫されたことによって、このような新しい文学的な想像力がはばたき、物語の成立が人間存在のありようを発見していく点に注目する。
 また、口承の説話がやがて文字と結びついて説話文学として自立するようになると、「人間および人間性の問題を、複雑な構造においてつかもうとする点」に、その最も大事な特色があるとする。『今昔物語集』が人間の愚かなまでの現実をいきいきと伝えているのも、その証だとする(第1巻「説話文学の方法(一)」六五頁)。
 あるいはまた、記紀歌謡に関して、「うた自体が矛盾をはらむもの(中略)そのことによって人間の矛盾の表出そのもの」(第3巻『記紀歌謡』五四頁)として、「実は、神々や先人のうたに託して、人びとがその中で恋し、悶え、悲しみ、恨みした抒情の姿、われわれの近代の個の魂の抒情とは異なる、もうひとつの抒情の姿ではないのか」(同上七〇頁)ととらえ、そこに抒情の源流を見出そうとしたのである。
 ここでいう「人間」的なるものとは、単に、人間は昔も今も同じ、などという体ではけっしてない。むしろ逆に、はるか遠のいてしまった古代への強靭なまでの歴史意識から、埋もれた事象を掘り起こす作業を通してのみ析出することのできる貴重な発言にほかならない。その歴史意識も、単なる過去を見つめる意識ではなく、古代と現代との間を絶えず往還しあうところから引き出される意識である。それによって析出される「人間」は、きわめて普遍的な人間性として浮かびあがってくるのである。
 この著作集が発刊しはじめたころ、秋山虔氏が益田氏の学問について、このように記している。「新たに光のあてられた古文献の厳密細妙な解読にもとづく考証作業と、歴史社会を自在に遊弋する強靭貪婪な想像力、繊細な感性と、両者は一体不可分であり、そこに見いだされ彫り立てられる時代時代の生動する「人間」は、層々たる歴史を内蔵する益田氏の「人間」と呼応するのだといえよう」(『ちくま』二〇〇六年三月)と。益田氏の学問の真髄をおさえた言辞として、味読すべきであろう。
 益田氏の学問では、古代的なるもの民俗的なるものが、時代を見すえる歴史意識によって鋳直されていく。それによって、時代という歴史性のなかでこそ輝きを放つような、貴重な古代や民俗の普遍性をとらえて見せてくれる。それは、人間の普遍的な真実の形姿だと言いかえることもできよう。
 本書には、第60回毎日出版文化賞が与えられた。名著の誉れ高い本書が、購入しやすい文庫版になったこの機に、一人でも多く読んでいただきたいものである。
 必ずや、古代の文学はもちろん、日本古来の民俗や文化の本質にふれることができるはずだからである。

(すずき・ひでお 二松学舎大学大学院特任教授)

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ちくま学芸文庫「益田勝実の仕事」全5巻

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