古さと新しさ

宮台真司

 私の大学時代と大学院時代は「廣松渉の時代」だった。七八年に初めて聴講したが、壁際にも演壇の前にも立ち見がぎっしり。どんな答案でもAがつくと評判だったから、成績目当てで聴講する必要はない。神話的イメージゆえに人が集っていた。だが廣松ゼミで廣松語を使うエピゴーネンには、辟易した。私は廣松に心酔したからこそ、廣松語を別の言葉にパラフレーズしようと必死になった。その訓練の場として社会学のゼミを利用した。
 廣松を経て社会学に接し、驚いた。第一に、社会学理論が厳密さを欠く。第二に、理論が全体構想を欠く。この欠落を埋めようとして長大な卒論と修論を「非廣松用語で廣松的に書き」、東大助手になった。助手になって『権力の予期理論』を書いた。ゲーム理論とシステム論を使った国家権力論。私の思考は廣松に触発されて始まったが、気がつくと遠くまで来ていた。廣松先生ならどう評価するかが気になり、突如研究室に押しかけて原稿を渡した。間もなく「コメントするから研究室に来い」と連絡があった。好意的コメントに続けて「権力の人称論を展開しろ」と仰言った。かくて第四章「権力の人称類型」が成った。
 さて、廣松の仕事を一言で述べれば、ミクロな「四肢構造論」とマクロな「協働聯関論」のセットだ。前者は「我以上としての我」(主体要因)が「何か以上の何か」(客体要因)を認識するという図式。ハイデガーの「として構造」論(客体要因)と「用在性」論(主体要因)の拡張版だ。何かがコップとして現前するのは(客体要因)水を飲む[ためにコップを使う]という潜在行為を前提とする(主体要因)。可能な潜在行為は、社会全体の協働聯関=分業体制で決まる。然るに協働聯関を支える個別の現実行為はと言えば、何かをコップとして認識するのと類同の構成的認識を前提とする。かくして全体が循環する。
「可能にする関係」を「→」で記せば、[協働聯関→潜在行為→構成的認識→現実行為→協働聯関(以下循環)]。協働聯関が潜在行為を通じて構成的認識を生む過程を、物象化と呼ぶ。物象化を免れた認識はあり得ない。だから疎外からの自由があるようには、物象化からの自由はない。かくしてマルクスが前期の疎外論と後期の物象化論に区別される。ハイデガーに加え、イデアル(我以上/何か以上)とレアル(我/何か)のカント的調停を再問題化したリッケルト、絶対時空を否定して相対性理論を準備したマッハ等を踏まえて、マルクスを改釈した形だ。
 今日廣松は忘れられた。19世紀的「潜在性の思考」に留まり、20世紀的「自己言及の思考」に背を向けたからだろう。潜在性の思考は、目に見えるものが目に見えないものに規定されるとする発想。無意識論や下部構造論が代表的だ。自己言及の思考は、潜在性を否定、互いに参照し前提し合う循環として社会を記述する。言語ゲーム論やシステム論だ。言語ゲーム理論への評価を尋ねたら「それを言っちゃお終いだよ」と仰言った。真理性の要求ができなくなるのを恐れたのだろう。だが今日残ったのは、自己言及的に閉じた循環の指摘によって、普遍妥当性要求を、前提に満ちた特殊な営みへと部分化する類の議論ばかり。
 廣松が真理性の要求に執って「自己言及の思考」を却けたのは、「真理の政治性」を批判するフランクフルターとは逆に「真理の政治性」を革命に利用するためだろう。だが複雑化した社会では真理性の要求の文脈依存性が高まり、真理性を要求するとカルト化する。これを踏まえ、真理の言葉の階梯でなく、機能の言葉の網の目を通じて全体性を企図するのがシステム論だ。だが廣松は、叙述的にはイザ知らず、実践的には「自己言及の思考」に連なった。価値観に基づく政治的行為としての真理研究を企図したからだ。価値観には根拠はなく、実践によって一般化すれば後から妥当だったことになる。自分の振舞いは正しいと言い、正しさを振舞いによって現実化する。そこに手前味噌な自己言及がある。この自己言及を、前述した「協働聯関と構成的認識との循環図式」によって正当化した。廣松は、振舞いにおいて新しくあるべく、叙述において古かったと言えよう。

(みやだい・しんじ 社会学者)

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もの・こと・ことば

廣松 渉 著

定価1,050円(税込)