見栄っぱりのイタリア人
── 新訳ブルクハルト『イタリア・ルネサンスの文化』発刊に寄せて

新井靖一

 大分前のこと、さる百貨店の紳士服売場でひやかし半分にイタリア・ブランドのジャケットを見ていたとき、じつにすっきりしたデザインの、いかにも着心地のよさそうなジャケットがあった。しかしまことに品よく付けられていた前ポケットがあまりに華奢で、とても物が入れられそうになかったので、女店員にそのことを言うと、イタリアの方は形を重んじるので、ポケットには物を入れないのです、という答えが返ってきた。そういうものかとそのときは思ったのであったが、この度ブルクハルトの『イタリア・ルネサンスの文化』を訳出して、あの女店員の言葉はなかなか的を射ていたな、と感じたのであった。
 ルネサンス期のイタリアでは他のどこの国よりも人の外見が完全で美しく、洗練されていたとブルクハルトは言う。イタリアほど服装に大きな価値のおかれている国はどこにもない、「この国民の見栄っぱりは今に始まったことではないのである。」あの当時のイタリアでは、人に好印象を与えるような、できるだけ美しい衣服を身に付けることをもって「その人の人格が完成していることの証しの一つ」とされた。十五世紀以降イタリアは他国の流行を追うのに寧日なき有様で、「フランスから入ってくるものはなんでもばかみたいに有難がるが、じつはそれはもともとイタリアで流行っていたものなのだ」と心ある人は慨嘆している。
 ところで、こんなときに必ず起こるのが贅沢禁止令で、当時ヴェネツィアとフィレンツェでも流行にうつつをぬかす女性にたいして贅沢禁止令が出ている。しかしどの時代、どの国にも見られるように、彼女たちはその機知と知恵によってこれを巧みにすり抜けている。例えばフィレンツェの作家サッケッティの作品(杉浦明平訳『ルネサンス巷談集』)にこんな話がのっている。フィレンツェの女たちがこの禁止令を無視しているので、役人がこれを罰しようとすると、彼女らは衣服に付けた沢山の、高価なボタンを数珠玉だの、貂の皮の首巻きを子牛の皮だのと言い逃れをする。そこで政務委員はあきらめ顔に「全世界を征服したローマ人さえその女どもには勝てなかったものですよ。かの女たちは自分の贅沢禁止令を廃止するためにカンピドリオに集合してローマの男どもを征服し、自分の欲する法令を獲得しました」と言って、万事をなすがままにしたという。
 フィレンツェでは十四世紀末になると男子の服装の主調となる流行はもうなかった。これは誰もが自分独自の服装をしようと努めたことによる。この時代には「人目を惹くこと、他人と違って見えることを憚るような人間は一人もいない。」このようにブルクハルトは服装を個性の発露の一つとして把えているが、そもそも個性を発達させた強力な理由として彼が挙げているのが、世界のあらゆる事柄を客観的に考察する精神の目覚めであり、既成の倫理観、価値体系にとらわれない打算と意識の産物としての国家、「精緻な構築体としての国家」(従来「芸術品としての国家」と訳されてきたが、ブルクハルトは元来「機械装置としての国家」を念頭においていたとするケーギその他の研究者の説を参考に、本訳では国家を精密な合目的的な組織体という方向で把え、上記のような訳語にした)である。
 そうした国家形態の典型である専制国家が専制君主の個性を最高度に発達させ、さらにこれに仕える有能の士、秘書、芸術家、詩人などの個性を育て、共和制都市になると、政権の頻繁な交替によって各個人、政治家、民衆指導者は著しく個性的な生存の仕方を獲得した。人々が個人としての認識に到達するのに「政治的状況がきわめて強力に関与していた」とブルクハルトは述べている。イタリア・ルネサンスは中世の宗教的桎梏から人間を解放し、現実直視的、合理的思考をもろもろの行動の中心にすえた近代文化、社会の出現を用意するものであった。天才的芸術家、詩人、思想家の活躍が戦争や暴力と共存していたこの激動の時代をブルクハルトは「分析的に考量し、パターン化された形で思惟するのではなく、多層的かつ多彩な全体像として叙述し、一つの形象として描いている」(W・ケーギ)。
 イタリア・ルネサンス学の原点ともいうべき本書が、この新訳によって、およそ文化や文化史に関心を寄せるすべての人たちに、今ふたたび好意的に迎えられることを期待したい。

(あらい・せいいち 早稲田大学名誉教授 ドイツ文学・西欧文化史)

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イタリア・ルネサンスの文化

ヤーコプ・ブルクハルト 著 , 新井 靖一 翻訳

定価7,350円(税込)