ちくま学芸文庫の今昔

坪内祐三

 ちくま学芸文庫が創刊十五周年を迎えるという。
 ちくま学芸文庫はちくま文庫と並んで私の大好きな文庫だ。
 しかし……。
 この「……」の意味は、わかる人にはわかるだろう。
 ちくま学芸文庫はちくま文庫と並んで、こういう時代には珍しく、毎月、良質なラインナップに出会える。時には全点買い揃えたくなってしまうこともある。
 しかし、良質なラインナップだから品切れになるのも早い。
 時には一年足らずで品切れになってしまう(気がする)。
 と、愛する文庫だからこそ、注文をつけてやろうと思いつつ、その目録の最新版(二〇〇七年版)を眺めて見た。
 巻末に「品切れ一覧表」が載っている。
 ほらね。エドマンド・ウィルソンの『アクセルの城』もジョージ・オーウェルの『ウィガン波止場への道』もホイジンガの『エラスムス』もカントーロヴィチの『王の二つの身体』もフレデリック・アレンの『オンリー・イエスタデイ』も品切れだ。五十音順の「ア」行のタイトルだけでもこんな具合だ。
 ところが……。
 私の手元に、十年ぐらい前、つまり一九九八年の目録がある。(ちなみに一九九七 〜 九八年というのはちくま学芸文庫がめきめきと充実していった頃だ)。
 その目録と最新版を眺め比べると、ちくま学芸文庫、意外なことに(?)、一九九八年版に載っている本、特に古典的名著(いや新古典的名著というべきか)がかなり生き残っているのだ。
 先の例に従って翻訳物の「ア」行(ただしこちらは著者名順)を列挙していけば、アウエルバッハ『ミメーシス』、ハンナ・アレント『人間の条件』、同じくアレントの『革命について』、アドルノ『プリズメン』、アルトー『ヴァン・ゴッホ』、A・R・ウォーレス『マレー諸島』、シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』、『ヴェーユの哲学講義』、ポール・ウィリス『ハマータウンの野郎ども』、E・O・ウィルソン『人間の本性について』、といった具合なのだ。さらにこの十年の間にアレントの『暗い時代の人々』とアドルノの『三つのヘーゲル研究』という新刊が追加されている。
 それから新刊といえば、この二〇〇七年版の目録にはヴァルター・ベンヤミンの『ベンヤミン・コレクション』シリーズ、3までしか載っていないが(それは既に一九九八年版の目録にも載っている)、先頃、まさに十年の時を経て、そのシリーズ4「批評の瞬間」が刊行されたのは、ちくま学芸文庫ならではの肝の据わり方だ。最近の出版界(文庫界)における快挙だと思う。
 ちくま学芸文庫に担当者の好みがダイレクトに反映されることも私は支持する。
 二〇〇七年版の目録と一九九八年版の目録を眺め比べると、「シ」と「テ」と「ハ」の充実振りが目を引く。
「シ」というのはルドルフ・シュタイナー。「テ」というのはジャック・デリダ、そして「ハ」というのはジョルジュ・バタイユ。
 いずれもこの十年足らずの間に七点もの著作が収録されている。
 しかもバタイユの『呪われた部分 有用性の限界』や『エロティシズム』は新訳で、デリダの殆どの作品も新訳さらには本邦初訳であったりするのだ。
 ちくま学芸文庫と私との個人的な縁を語れば、石井研堂の『明治事物起原』全八巻の事が忘れられない。
 当時の学芸文庫部長のKさんから文庫化の話を相談された時は、それはぜひとは思ったものの、簡単には行かないだろうと考えていた。それがKさんの剛腕によって短時間で実現して行ったから私は驚いた。
『明治事物起原』はこれまで三種のバージョンが出ていたが、このちくま学芸文庫版が一番充実している。しかも文庫サイズだから使い勝手が良い。
 しかし『明治事物起原』、二〇〇七年版の目録には、残念な事に載っていない。ぜひ復刊してもらいたい。

(つぼうち・ゆうぞう/評論家)

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